超高齢社会の生き方を落語に学ぶー立川談慶『老後は非マジメのすすめ』インタビュー

立川談慶さん(メイン)

落語家としての活躍はもちろん、『なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか』(日本実業出版社)、『慶応卒の落語家が教える「また会いたい」と思わせる気づかい』(WAVE出版)など、数々の著作を持つ立川談慶さん。

2019年1月には超高齢社会の生き方を落語から学ぶ『老後は非マジメのすすめ』(春陽堂書店)を上梓しました。そんな談慶さんが考える「老後の生き方」について、お話をうかがってみましょう。

今回のtayoriniなる人
立川談慶さん
立川談慶さん 落語家。1965年生まれ。長野県出身。慶應義塾大学卒業後、(株)ワコールに入社。1991年、一念発起して立川談志16番目の弟子になる。立川ワコールの前座名で師匠に仕えること9年半を経て2000年、二つ目に昇進して立川談慶に。2009年4月、真打昇進。特技はボディビルでベンチプレス120㎏をらくらくとこなす。著書も多数。

落語の世界には「老後」は存在しない

──談慶さんは今年で53歳。まだ老人とは言えない談慶さんがなぜ、「老後」をテーマに本を書くことになったのでしょう?

談慶

来た仕事は断らない、というのが私のモットーですからね。ところが、「こりゃ困ったことになったぞ」と書き始めてすぐに気づきました。

落語は基本的にはフィクションですが、江戸時代後期から明治大正期にかけての日本人の価値観や考え方が凝縮されたものです。ところが、その世界の中には現代風に言う「老後」という概念がないんです。

もちろん、大家さんとかご隠居といった、お年寄りの登場人物は出てくるけれども、前期高齢者とも、後期高齢者とも呼ぶにはふさわしくない人たちです。

立川談慶さん左向き

──そのような高齢者が登場するのは、テレビのコントですね。寝たきりになった老人が「いつもすまないねぇ」と介護をする娘にあやまり、「それは言わない約束でしょ」とたしなめられるコントはクレイジーキャッツやザ・ドリフターズといった昭和のコメディスターの定番でした。

談慶

その通り。ですから「老後」というのは、日本の高度成長期の産物なんですね。ただ、経済が右肩上がりに伸びていった時代は終わりつつあり、サラリーマンの定年も55歳から60歳、65歳と先延ばしになったり、進んだ企業の中には「定年制廃止」を採用するところなんかが出てきて時代の空気はだいぶ変わりました。

そこで、今の時代に則した「老後」のとらえ方が必要だと思うんですが、私は落語がそのためのヒントになるのではないかと発想を変えたわけです。

死ぬと生きるは紙一重。「老い」は決して惨めなもんじゃない

──落語に学ぶ、「老後」のあり方とは、どういうものなのでしょう?

談慶

勝ち組、負け組という言葉ありますね。これ、資本主義社会の競争意識の中から生まれた言葉だと思うんですが、罪つくりな言葉ですよね。

というのも、日本には昔から「勝負は時の運」という言葉があるように、勝ちと負けは代わりばんこのはずなのに、そのふたつを両極の組に分けてしまうのが現代特有の考えなんでしょう。

落語の世界では、そういう風に考えません。地震や台風、それから江戸は大火事がしょっちゅう起こって焼け野原になりましたから、勝ち組と負け組の大逆転がつねに起こりました。そんな、いつ何が起こるかわからない世界観の中で、勝つことだけにこだわるのは空しい行為なんですね。

そこで、勝ちも負けもお互い様。暑いときは「暑いですねぇ」、寒いときは「寒いですねぇ」と不自由を共感しあうコミュニティが生まれました。

立川談慶さん右向き

──普段の生活が自然災害のリスクにさらされているのは、現代も同じです。落語には、そんな世界に生きる知恵がつまっているのかもしれませんね。

談慶

災害だけじゃなくて、「老い」についても同じことが言えます。

落語には老いさらばえて惨めな境遇にある老人はめったに出てきません。長屋の八五郎や熊五郎から「ご隠居は稼ぎもないのに、いつもいいものを食ってる。泥棒でもしてんじゃねぇのか」なんてキツい冗談を浴びせられても怒ったりしません。「ご挨拶だねぇ」と受け流し、八五郎が「泥棒はずいぶん前に辞めたよ」と言っても、ニコニコやりすごしている。

私の師匠の立川談志は、「死ぬと生きるは紙一重だ」とよく言ってました。医学が進歩して、死を遠ざけたような顔をしている現代人は傲慢である、死を克服することなんてできっこないというわけですね。

要するに、誰もが明日、死ぬかもしれないということを受け入れれば、「老い」もお互い様。年のとりっこだってことです。

──なるほど、そう考えてみると、お年寄りにも寛容になれるような気がしますね。

談慶

生活から何から昔の社会に先祖返りするなんて、どう考えても不可能です。でも、みんながそれぞれお年寄りへの尊敬の気持ちを持つことができれば、お互いを支え合っていくコミュニティをつくることは充分に可能だと思っています。落語はそのテキストとして、最適なんです。

生マジメ・不マジメの二元論から脱した「非マジメ」のすすめ

立川談慶さん右向き2

──談慶さんは本の中で、そんな落語的な態度を「非マジメ」と名づけていますね?

談慶

同じ人間を勝ち組と負け組に分けたり、「老後」という言葉を作りだして「備えをしておかないと悲惨なことになりますよ」と恐怖心を煽ったりするのは、実は「生マジメ」な態度から生まれるんじゃないかと思うんです。

人は恐怖心や不安がないと成長しませんから、戦後の焼け野原から立ち直って経済を発展させるには、そういうものが必要だったのでしょう。

ですから、一概に「生マジメ」を否定するのも間違いの元になるように思います。災害が起こったとき、日本人がパニックや暴動を起こさず、救援物資を配る場所にキチンと列になって並ぶのは、そういう「生マジメ」さが良い方向に発揮された証拠でしょうからね。「生マジメ」の反対の「不マジメ」な社会になったら、それこそ国そのものが成り立ちません。

そんな生マジメ・不マジメの二元論の世界から、ちょっとはずれたところにあるのが「非マジメ」の風情です。「人間なんていい加減なものだよ」と笑って過ごす知恵と言い換えてもいいですね。もしかするとご先祖さまは、子孫が自らの「生マジメ」のせいで困ったことになることを予見して、その知恵を永久保存してくれたのが「落語」というパッケージなんじゃないか、そんな風に私は思っています。

立川談慶さん正面

撮影:八木虎造

立川談慶さんの著作『老後は非マジメのすすめ―後半生は落語的に生きるべし』(春陽堂書店)は絶賛発売中。
内藤 孝宏
内藤 孝宏 フリーライター・編集者

「ボブ内藤」名義でも活動。編集プロダクション方南ぐみを経て2009年にフリーに。1990年より25年間で1500を超える企業を取材。また、財界人、有名人、芸能人にも連載を通じて2000人強にインタビューしている。著書に『ニッポンを発信する外国人たち』『はじめての輪行』(ともに洋泉社)などがある。

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