アルツハイマー型認知症となった実母との暮らしを脳科学の視点から描き出した『脳科学者の母が、認知症になる 〜記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか?』を発表した脳科学者の恩蔵絢子さん。
前回インタビューでは、違和感のある行動をとるお母さまを脳の専門家でも受け止めづらかった話から、「治らないとわかったのならば、母が楽しくいられることを考えよう」と覚悟を決めた話まで語られました。
後半は、恩蔵さんのライフワークである感情と脳の結びつきや、認知症でも伸びゆく機能はあるかについて、話を伺いました。
――前回のインタビューで、お母さまが仕事をしていらした話がありました。アルツハイマー型認知症と診断されてからもお仕事は続けていましたか?
続けていました。音楽関係の仕事だったのですが、認知症が初期の頃は、母もまだ楽器も弾けて、楽譜もきちんと読めていたのです。他人に教えることもあって、仕事は生活の一部という感じで違和感も特にありませんでした。
しかし私の知人から「お母さん、認知症になられてまだ仕事をしていらっしゃるの?」などと言われてしまって。私自身どこかで「この先、人が変わってしまったらどうしよう? 徘徊などが母に起こるのだろうか?」という不安を、診断されたばかりのまだ戸惑っていた時期には持っていましたので、「もう少しの間は仕事もできるはず」という気持ちと、不安との間で苦しみました。
――世間一般の認知症のイメージでお母さまを語られてしまうのは、ご家族としては辛い話です。認知症の初期は、まだまだ日常生活でできることが多いですもんね。
私が本を書いた理由が、少なくとも初期の段階はまだできることがたくさんあるということでした。また、認知症になったら徘徊や攻撃性が必ず出るわけではないし、出るとしてもそれには理由がある。だから、攻撃性、徘徊という、怖いイメージを植え付ける言葉を使う前に、語るべき言葉がたくさんあるのではないかと思いました。アルツハイマーと診断されたら、一気に何もかもできなくなるわけじゃない。大丈夫だよ。まだまだ色んな事ができるし、これからも学べる。そう言いたかったですね。
――ある段階でお母さまは、仕事に一区切りつけましたか?
区切りをつけました。これがあって辞めたという明確な出来事はなかったのですが、なんとなく無理な時期が来て、「お母さん、辞めようか?」と聞いたら「辞める」と。私が母に音楽関係の仕事を辞めさせることは、母から生きがいを奪うことなので、できるだけ長く続けさせてあげたかった。とはいえ、母はプロとしてお金をもらっているわけです。毎日の母の様子から、慎重に判断せざるを得ませんでした。
私は初期の頃、母を見ながら「記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか?」とおそれを感じていました。でも私は、今診断から3年半母を観察してきて、認知症になっても“その人らしさ”は失われないと確信しています。
これは本にも書いたエピソードですが、母が昨年のサッカーワールドカップ 日本対コロンビア戦を観ていた時のことです。母は、日本代表がテレビに映るたびに「あら。お兄ちゃん、どこかしら」と、彼らの中に真剣に兄を探しました。子どもの頃、人見知りだった兄をサッカーチームのような集団に入っていかせるのは大変だったらしく、そのときの記憶が強く残っているのでしょう。サッカーを見て兄を思い出してしまうのですね。
ここには兄を心配する“母らしさ”が色濃く出ています。“その人らしさ”は失われないので、まず安心してほしいのです。なぜなら感情を起点にした記憶は残りやすいですし、認知症になっても感受性は伸びるからです。
――感情を起点とした記憶は、なぜ残りやすいのでしょうか?
簡単に脳のメカニズムを説明すると、感情の中枢である扁桃体がわっと動くと、感情中枢のすぐ隣にある海馬に「今起きたことは大事だから、覚えておきなさい」と伝わる。それで感情を伴わない出来事よりも強く記憶として定着されます。
「うわ、恐竜が来た。怖い!」「酷い目に遭った。二度とこんな思いをしたくない」。これが生物の学習の原点なんですね。上手く生きる知恵は、生身の感情から来る。マイナスの感情だけでなく、プラスの感情からももちろん「こんなに嬉しいことがあった。どうしたら次もこういうことが起こるのか、今の状況を覚えておこう」と強く記憶され、生きる知恵になります。
論理的に考えることを学びと感じている人が多いと思いますが、生き物としては感情の動きこそが学びです。だから認知症になっても感情の部分は深く残りますし、育つわけです。
――認知症になっても感受性は伸びるものですか?
伸びます。伸びると感じたのは、母のこんなエピソードでした。
母方の祖父が亡くなった時です。母は新しい事を覚えることが難しいので、祖父の死を覚えられないかと思ったのですが、母は覚えていました。本当に優しかった自分の父を亡くし、数ヶ月は口で言わずとも明らかに落ち込んで、体調を崩していました。
それで、気分転換をしようと家族で旅行をして、また元気を取り戻してくれました。悲しみ、楽しみ、そしてそれ以外の微妙な感情を、母は今でも働かせています。親が亡くなるという人生最大の辛い出来事を何とか乗り越えてくれました。
脳の深部で受け取る感情の刺激によって、進化的に新しい組織である大脳皮質が動きます。「こんなことがあった!どうしよう!」と感情のシステムが、大脳皮質にシグナルを送って、それで問題に対処したり、その出来事を記憶したりすることになります。脳の感情部分に刺激がいくことで、大脳皮質も刺激されるので、感情が動く生活をすることで、病気の進行を遅らせることができるのではないかとも思っています。
――その後、お母さまの心の安全を担保しながら、どう感情にアプローチしながら生活していったのですか?
まず、母は認知症になってから、言葉を使ったコミュニケーションが難しくなりました。例えば「お母さん、リモコン取って」と言っても、リモコンの概念がわからなくなる。論理や言葉を使った意思疎通は難しいのです。しかし、感情を通わせることは言語を使わずともできます。
母は料理が完成できなくなっても、包丁さばきは忘れていなかった話をしましたが(インタビュー前編参照)、言葉でなくて、体で覚えている記憶があります。同様に抱きしめられるなどのスキンシップも、自分が大事にされている、心で温かいと感じる記憶として溜まっていきます。それが精神の安定につながっていくと思うのです。
朝起きると、私は「お母さん、おはよう」とすり寄っていきます。寝ぼけていますが、母はいつも笑ってくれますね。
――虐待を受けると精神が安定しなくなるのと同じで、自分が人として大事にされている感覚が大切ですね。そこは子育てと少し似ていると言いますか。
自分が大事にされている感覚は、本当に大切だと思います。
子育てや認知症の介護は、人を何かができる、できないといった能力だけで判断していたら、抱えきれないですよね。私が子どもの頃、両親はどういう子に育つかもわからないのに、生き物として信頼して愛したと思うんです。
愛するとは、できる、できないという条件面を超えたところでできること。誰しも子どもとして生まれ、平等に歳をとる。出来、不出来でないところで人間を見つめることが、人の持つべき知恵だと思います。
あと、体で覚える記憶は、海馬ではなく、大脳基底核や、小脳と呼ばれる部分で行われます。そちらはアルツハイマー型認知症では、少なくとも初期に問題が出ることは少ない。ですから認知症になっても、覚えられることはたくさんあるわけです。
――認知症でも体の感覚を頼りに、新しく何かを記憶することはあるのでしょうか?
私の祖父は目が見えなくなっていた上に、アルツハイマー型認知症になりました。施設に入った当初は家族がその場にいるかどうかがわからないため、祖父は家族の名前を呼び続け、施設の職員さんもケアがしづらい状況だったようです。
でもしばらくして、施設の職員さんから「安心して介護ができています」と言われて。祖父は目が見えませんが、体の感触で施設の人を覚えたんですよね。
アルツハイマー病になっても新しいことはまだまだ覚えられますし、「うわ、この人苦手だな」などの好き嫌いもはっきりとわかる。私たちは日頃、体の感覚をおろそかにしていますよね。頭で理解することだけが学習ではない。体から教わることが、本来もっとたくさんあると思うのです。
町田育ちのインタビューライター。漫画編集、ぴあでのエンタメ雑誌編集を経て、2017年に独立。週刊誌編集者時代に母の認知症介護に携わり、介護をはじめて13年が経った。2020年にひとりっ子でひとり親を介護している経験から、書籍「目で見てわかる認知症ケア」(2刷)を企画・構成した。
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