誰だって歳をとる。もちろんハリウッドスターだって。
エンタメの最前線で、人はどう“老い”と向き合うのか?
スターの生き様を追って、そのヒントを見つけ出す。
「まもなく30歳だというのに、自分では全く成長していない気がする。
(中略)僕は俳優としての生まれつきの才能に恵まれていない。
20歳の時、トロントからハッピー・ゴー・ラッキーといった
脳テンキな気分でハリウッドに来て、大した束縛も受けないまま、今になってしまった。
じっくりキャリアを考える余裕もなかった。
デ・ニーロのような才能に恵まれた芸術家のレベルには到底、たどりつかないだろうが、
まだ僕は成長途中だ。(中略)
いつかマイペースで僕なりに満足のいくステイタスに届くと思っている」
――キネマ旬報 1994年11月上旬号
欲望の街ハリウッドで孤高を貫き続ける男、キアヌ・リーヴス!
異色の魅力を放ち続ける大スターの人生を振り返り、
マイペースに生きる術を考える!
キアヌ・リーヴス、御年59歳。彼は間違いなくハリウッドを代表する大スターである。日本でも非常に人気が高く、『マイ・プライベート・アイダホ』(1991年)、『マトリックス』(1999年)、『ジョン・ウィック』(2014年)など、彼の映画で育った人間も多いだろう。
ところが、キアヌは知名度に反して非常に自由である。あれだけの著名人でありながら、ふらっと来日して美術館を訪ねたり、どこかのベンチに一人で座ってサンドイッチを食っている姿をパパラッチされ、サッドキアヌ(悲しきキアヌ)として世間を賑わせたり。そんな風来坊なイメージで知られる一方で、病に倒れた妹との絆や故リバー・フェニックスとの友情、人知れずチャリティ活動をしていたかと思えば、「映画のスタントマン全員に感謝の印としてハーレーダビッドソンをプレゼントした」など、その善性を物語るエピソードも盛りだくさんだ。幼い頃からのヒーローだった千葉真一と日本のTVの企画で対面したときは、子どものような笑顔を見せたことも忘れがたい。
「孤独」「いい人」……キアヌを形作るイメージは、この2つだろう。ハリウッドスターでありながら、ここまでマイペースに自分の人生を生きている人物も珍しい。今回は彼のキャリアを総括しつつ、キアヌのようにマイペースな人生を手に入れるためのコツを学んでいきたいと思う。
キアヌ・リーヴスは1964年、9月2日にレバノンのベイルートで生まれた。父親は中国系の血を引くハワイ人で、母はイギリス人。「キアヌ」はハワイ語で「山々のあいだに吹く涼風」という意味だ。名は体を表すというが、神秘的なルックスを持つ彼らしい由来である。しかし、実際のキアヌの少年時代は怒涛かつ過酷なものだった。
最初の父は麻薬の依存症に陥り、早々に離婚。幼いキアヌは母に引き取られた。程なくして母は芸能関係者と再婚するが、その後も離婚・再婚を繰り返した。目まぐるしく変わる過程環境のせいか、幼きキアヌは遅刻や忘れ物が多く、落ち着きのない少年だったという。友人たちとスケボーでショッピングアーケードを爆走するアメリカン不良行為もしていた。しかし、かと言って周囲と衝突を繰り返すわけでもなく、むしろクラスメイトからも人気があったという。そして、この頃のキアヌを知る教師たちは、彼がふとした瞬間に「孤独の世界」に入り込んでいたと述懐する。「彼はよく1人でバスケットボールをやってた。1時間も2時間もただシュートを繰り返してね」
そんなキアヌ少年だが、母の交際相手に芸能関係者が多かった影響で、自然と業界に触れることになる。TVドラマや映画の撮影現場を見学や手伝いをしたり、チャック・ノリスの家に泊まったり。この影響もあって十代にして演技の学校へ通うようになるが……最初の学校は教師とモメて退学。代わりに得意だったアイスホッケーの道へ進むが、やはり演技が気になって別の演劇学校へ再入学する。そして授業を受けながらCMの仕事を受け始めた。この頃にはすでに抜群のビジュアルは完成されており、演劇学校の校長はこんな証言を残している。この頃からキアヌは服装に無頓着であり、ボロボロのジーンズ姿でウロウロしていて、かなり周囲から浮いていたそうだ。しかし校長曰く「あの頃は、誰もあんなファッションをしてなくて(中略)学校にやってくる色々な生徒を見て、『やれやれ……』と思うことはあっても、キアヌの場合『彼なら許せる』っていう気持ちになるのね」身も蓋もないコメントだが、しかしキアヌだから仕方がない。
こうしてCMやテレビドラマで活動し、演劇の舞台にも立った。必然的にも映画に出演するようになり、20代には映画『栄光のエンブレム』(1986年)で映画デビュー。活動の拠点をハリウッドへ移した。その後いくつかの映画に出演しつつ、マイペースに活動を続けるわけだが……ここでキアヌのマイペースっぷりが分かるエピソードがある。あのオリバー・ストーン監督が、あの『プラトーン』(1986年)の主演として、キアヌに目をつけていたのだ。しかしキアヌは「暴力的すぎるから」とあっさりとオファーを断る。もしも彼がここで『プラトーン』に出ていたら、キャリアはまったく違うものになっていただろう(実際はみんな大好きチャーリー・シーンが主演を務めた)。しかし……ストーン監督も現在は政治的に色々アレなことになっているが、やはり一角の男である。現在にも通じる見事なキアヌ評を残した。「彼は平和主義者なんだ。優しくて感じがよくて……でも銃が似合うんだな」
ハリウッドに拠点を移して数年、キアヌは映画に出続けたが、大きな成果は得られなかった。一方、この頃には現在まで続く趣味と出会う。バイクである。キアヌは収入の大半をバイクにつぎ込み、ゴーグルもヘルメットもつけず、ヘッド・ライトも消して、田舎道を爆走する「悪魔の疾走(※キアヌ本人が命名)」なる趣味にハマる(結果、事故って大ケガを負うのだが、現在もキアヌはバイクが大好きである)。
そんな仕事と趣味にドタバタの20代を過ごすうち、遂に最初の当たり役と出会う。留年しそうな高校生が、歴史のレポートのためにタイムマシーンで過去の偉人たちを集めてきて、そいつらにレポートの発表をさせるという、コメディ『ビルとテッドの大冒険』(1989年)だ。非常にザックリしたタイムスリップ感とロック感がたまらないお気楽コメディで、キアヌはボサボサ頭のロック大好き青年テッドを演じた。イイ加減このうえない映画だが、しかしキアヌ本人はこの映画に真剣に取り組む。メイクさんと何度もテッドの髪型を調整し、撮影中には楽屋でロシアの演出家/俳優であるコンスタンチン・スタニスラフスキーの本を読み込みながら、物凄く真面目にテッドのキャラを作っていった。こうして完成した映画は若者たちを中心に大ヒットする。
そして90年代に突入すると、キアヌは次々と大きな仕事をこなしていった。初のアクション映画『ハートブルー』(1991年)に、名匠ガス・ヴァン・サントが監督し、伝説の俳優リバー・フェニックスと共演した『マイ・プライベート・アイダホ』(1991年)、ポーラ・アブドゥールの全米No.1ヒット曲「あふれる想い(Rush Rush)」のミュージックビデオにも主演している。さらにコッポラ、ベルナルド・ベルトルッチなどの巨匠たちがキアヌとの仕事をブッ込んできた。本人もテッドのイメージから脱却を図ろうと挑戦を繰り返したが、いかんせん『ビルとテッド』を超えるヒット作には恵まれなかった。またこの頃にはゴシップ誌&パパラッチの攻撃がキアヌを襲う。『マイ~』で共演したリバー・フェニックスが薬物依存症でこの世を去り、悲しみのドン底に叩き落されている頃、よりもよって最初の父親が薬物所持で逮捕されてしまう。その流れでキアヌ本人にも薬物関係の疑惑の目が向けられ、さらに『マイ~』が同性愛を取り扱っていたことから、パパラッチはキアヌの性的指向も執拗に追求した。
マスコミの攻撃に曝され、俳優として新たな方向性を模索していた頃、唐突にキアヌのもとへ大ブレイクのチャンスが転がり込む。それがノンストップアクション映画の金字塔『スピード』(1994年)だ。変態爆弾魔がバスに速度を一定以下に落としたら爆発する爆弾を仕掛け、SWAT隊員(キアヌ・リーブス)が、たまたまバスに乗り合わせた豪快な女性(サンドラ・ブロック)と力を合わせて危機を乗り越えていく……というあらすじで、キアヌはシュワちゃんのジムで筋トレに打ち込み、危険なスタントにも挑戦。かつてストーン監督が評した通り、銃を持つ姿もサマになっており、これまでのイメージを一新する。同作は大ヒットし、キアヌは一躍新時代のアクションスターとなった。
サンドラ・ブロック-老後に効くハリウッドスターの名言(17)
このままアクション方面でやっていくのと思われたが、しかし冒頭に引用した発言のように、キアヌはマイペースに進み続ける。『スピード2』のオファーを「脚本が『あぁ…』って感じだったんだ」と断りつつ、様々なジャンルの映画に出演する。やがて三十路に突入した99年……キアヌは人生と映画史を変える1本に出会うことになる。その映画はまたしても銃、そして中国拳法の映画だった。
30代になってからも、キアヌはマイペースな活動を続けた。ビートたけしと組んだ『JM』(1995年)やサスペンスアクション『チェーン・リアクション』(1996年)、アル・パチーノ共演の『ディアボロス/悪魔の扉』(1997年)、このあたりは日本でも馴染深い映画だろう。しかし、最大のヒットは世紀末にやってきた。言わずと知れた『マトリックス』(1999年)である。実は人間は既にコンピューターに支配されていて、この世界は全てコンピューターが作った幻。真実に目覚めたハッカー青年のネオ(キアヌ・リーブス)は、人類を機械から救うべく死闘を繰り広げる……という、今になって思うとヤバい人の主張のようなSF映画だが、監督のウォシャウスキー兄弟(現・姉妹)は、自身の愛する香港映画と日本のアニメの要素、そして最新の映像技術をふんだんに盛り込んだ。キアヌは黒のロングコートで二丁拳銃を撃ちまくり、功夫バトルを繰り広げ、今なお語り継がれるバレットタイムによる弾丸避けを披露。誰も見たことがないスタイリッシュなアクションは世界中の度肝を抜き、社会現象と呼ぶべき大フィーバーを巻き起こす。
一気に時の人となったキアヌは、『ギフト』(2000年)のようなサスペンスから、『陽だまりのグランド』(2001年)などのヒューマンものなど、相変わらずマイペースに映画に出つつ、『マトリックス』の続編に漕ぎつける。ニュースステーション(現・報道ステーション)の番組内で予告が流れるなど、まさに世紀の大作として公開された『マトリックス リローデッド』(2003年)だったが……予算と映像技術は前作より格段に豪華になったが、複雑化した世界観とシナリオによって、前作ほどの熱狂を生むことはできなかった。もちろん大ヒットはしたが、周囲の期待値が高すぎたのである。続くシリーズ完結編『マトリックス レボリューションズ』(2003年)も期待値を超えることはできなかった。
そしてキアヌのキャリアは、少しずつ停滞を始める。現在もカルト的な人気を誇る『コンスタンティン』(2005年)や意欲作『スキャナー・ダークリー』(2006年)、古典的SFのリメイク『地球が静止する日』(2008年)などに出演するが、大作のオファーが徐々に減っていく。久々の大作だった忠臣蔵をもとにしたファンタジー超大作『47 RONIN』(2013年)も大失敗に終わった。乱高下の30~40代を過ごしたキアヌだったが、継続は力なり。映画に出続けていたキアヌに再ブレイクが訪れる。その映画のキーアイテムは、またしても銃、そして柔術だった。
小・中規模の映画にはコンスタントに出演していたが、話題作や大作でキアヌを見ることが減った。本人も「『大作に復活する気があるか?』ってよく聞かれるけど、僕自身はあるよ。オファーがこないだけだ」と語っている。干され気味だったキアヌだが、なんと50歳を迎えて新たなる代表作と出会う。それこそが『ジョン・ウィック』(2014年)だ。妻と死別した孤独な伝説の殺し屋が、ロシアンマフィアに妻の遺した犬と思い出の車を奪われ、封印していた殺人スキルを全開にして復讐に走る。シンプルなプロットながら、キアヌが見せる銃と総合格闘技をミックスしたような“グンフー”は、『マトリックス』とは異なる意味で世界中に衝撃を与えた。シリーズも『チャプター2』(2017年)、3作目の『パラベラム』(2019年)、完結編に当たる『コンセクエス』(2023年)と計4本が作られ、いずれも大ヒット。世界中で同シリーズに影響を受けた作品が続々と作られた。
特に完結編は、あのドニー・イェンと真田広之が出演し、超絶スタントが連続する現代最高のアクション映画に仕上がった。大変な現場だったらしく、同作のプロデューサーは現場でのキアヌについてこう証言している。「最後には、いつも『もう二度とできない』と口にするようになって、僕らも彼(※筆者注 キアヌのこと)の言葉に納得した。死力を尽くしたあとで、抜け殻のようになっていたんだ。『この映画の最後で完全に殺してくれ』と言っていた」
こうして新たな当たり役ジョン・ウィックを完全燃焼したキアヌだが、これからも映画の仕事が控えているし、90年代からのバンド活動も継続し、さらに小説も発表するそうだ。
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さて、駆け足でキアヌのキャリアを振り返ってみたが、一つ分かることがある。それは、キアヌは温和で優しい人物なのは間違いないが、同時に断るときはしっかり断り、逆に引き受けた仕事には愚直なほど厳しく真面目に取り組む、ということだ。キアヌには「涼風」の如き柔らかい印象があるが、同時に非常に厳しくストイックな性質もあるように思う。そうでなければ成功への大チャンスだった『プラトーン』を前にしたとき、考え方を曲げて受けていただろうし、テッド役に真剣に向き合わなかったかもしれない。そして数々のアクション映画でのトレーニングもしていなかっただろう。もしもこういった己への厳しさがなかったら、彼の成功はなかったと断言できる。
キアヌのマイペースなキャリアは、俳優の仕事に愚直なほど真面目かつ一生懸命に取り組んだ結果だ。もちろん持って生まれたビジュアルも成功の大きな要素だが、仕事への姿勢が何よりの秘訣のように思えてならない。趣味のバイクにムチャクチャにのめり込んでいるのも、90年代から地道にバンド活動を続けているのも、ある種の厳しさがあるように思う。「よく学び、よく遊べ」をハリウッドの誰よりも実践している男、それこそがキアヌではないかと思うのだ(ちなみに恋愛関係だと、芸術家のアレクサンドラ・グラントと10年に渡って交際している)。
さて最後はそんなキアヌの、非常に地に足の着いたコメントを抜粋して終わりたい。通りがかった普通の人の結婚式に参加するなど、ファンに対する「いい人」エピソードが語られるが、厳しいところは厳しいのである。そうでなければ自分のペースは守れない。
キアヌはとあるレストランでインタビューを受けたあと、周りにいた人々からの記念写真を求める声が上がった。キアヌはそれを丁重に断り、謝罪しつつ、こんなありふれた言葉を残して去って行ったという。彼はこれからもずっとこんな調子で、マイペースに活躍を続けていくだろう。そして、彼がまた銃を握る役を演じるとき、きっと大ヒットが起きるはずだ。
「時間がなくてね。仕事もしなくてはいけないし」
―― エスクァイア 2021年冬号「キアヌ・リーブスの謎を解明する」より
『ジョン・ウィック パラベラム』の乗馬トレーニングに向かう直前に
▽参考・引用元
1992年12月上旬号 1994年11月上旬号 1994年12月上旬号
1995年5月下旬号 1996年10月下旬号 1997年10月下旬号 1999年9月下旬号
2001年6月上旬号 2002年5月上旬号 2003年11月下旬号 2005年4月下旬号
2006年10月上旬特別号 2008年12月下旬号 2009年3月上旬号 2013年2月上旬号
2015年1月上旬号 2017年7月下旬号
キアヌ・リーブスの謎を解明する
https://www.esquire.com/jp/culture/interview/a38576126/keanu-reeves-knows-the-secrets-of-the-universe/
キアヌ・リーブスが悲痛の訴え!「超大作の主役を演じたいけどスタジオから干された」
https://moviewalker.jp/news/article/51748/
300年続く日本のエンターテインメント「忠臣蔵」のマニア。
昼は通勤、夜は自宅で映画に関してあれこれ書く兼業ライター。主な寄稿先はweb媒体ですと「リアルサウンド映画部」「シネマトゥデイ」、紙媒体は「映画秘宝」本誌と別冊(洋泉社)、「想像以上のマネーとパワーと愛と夢で幸福になる、拳突き上げて声高らかに叫べHiGH&LOWへの愛と情熱、そしてHIROさんの本気(マジ)を本気で考察する本」(サイゾー)など。ちなみに昼はゲームのシナリオを書くお仕事をしています。
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