エド・ハリス-老後に効くハリウッドスターの名言(18)

誰だって歳をとる。もちろんハリウッドスターだって。

エンタメの最前線で、人はどう“老い”と向き合うのか?

スターの生き様を追って、そのヒントを見つけ出す。

「舞台で演技をするときの高揚感はタッチダウンのスコアを上げるのと同様で、肉体的にも精神的にも高度のスリル感とチームワークの成果を得られる。
ちがうのは想像力と感情面で、それまでの僕は味わったことがない部分だった。生活費のことなど全く考えず、俳優になりたい一心で、我を忘れていたのだよ」

――エド・ハリス 『アビス』でのインタビューより(キネマ旬報2008年 6月上旬号)

出てくるだけで映画の格が上がる名優エド・ハリス

アメリカを代表する燻し銀スターが歩んできた頑固一徹なキャリアを振り返る。

永遠の燻し銀 エド・ハリス

2022年を代表するハリウッド映画は間違いなく『トップガン マーヴェリック』(2019年)だった。ド迫力の映像は全世界の観客の度肝を抜き、洋画不況が叫ばれるここ日本でも特大ヒット。そんな同作を支えたのは、主演のトム・クルーズはもちろん、実際に戦闘機に乗り込んだ俳優たちの熱演だ。しかし一方で、本作でさりげなく凄い仕事をしている俳優がいた。エド・ハリスである。

序盤にチラっと登場し、トムが演じるマーヴェリックに説教をかますだけだが、ヤンチャの権化のようなマーヴェリックに説教できる説得力、圧倒的な貫禄と緊張感、まるで前作からいたような自然な溶け込み具合……すべてにおいて並大抵の役者にできることではないファインプレイであった。

思えば90年代くらいから、エド・ハリスはずっとこういう人だ。個人的に怒られたくないハリウッドスターNo.1。威厳と貫禄に満ちた人格者を演じ、出てくるだけで画面に緊張感が走る。90年代から現代までと考えると、30年以上ずっと渋いままということになる(モーガン・フリーマンも近いポジションにいる)。

さらにスクリーンの外でも彼は寡黙であり、パパラッチにキレることはあっても、私生活は表には出さない。今まで紹介してきたスターは何かとインタビュー記事が多く、プライベートでも波風が立ちまくる人物が多かった。しかしエドはプライベートで波風は少なく、そもそも(邦訳されている)記事も少ない。監督/主演作のオーディコメンタリーなどでも、出演する俳優たちへの賞賛や、撮影の苦労などは口にするものの、余計なことは語らない。まさに絵に描いたような燻し銀だ。

今回はそんなエド・ハリスのキャリアを総括しつつ、彼の魅力について語っていきたい。

【10代~20代】スポーツ青年、演劇に出会う

1950年11月28日、エド・ハリスはアメリカのニュージャージー州で生まれた。高校時代はアメフトに熱心で打ち込んでいたが、一方でキレやすい問題児でもあったという。コロンビア大学進学後もフットボール選手として活躍するが、2本の演劇を見た途端にスポーツへの関心を一切失い、演劇の道を志す。あまりに極端だが、この気持ちのオン/オフの切り替えの極端さ、そしてやるとなったら徹底的に打ちこむ集中力は、後の演技のスタイルにも通じる(エドは後々「演じる役になりきる」メソッド演技を得意とし、共演者たちは現場で彼が「役になったままだった」と証言することが多い)。

かくしてエドはコロンビア大学で演技を学びながら、バイトと舞台演劇に熱中し、大学を中退する。大学中退はこの連載の定番だが、ただの中退で終わらないのがエド・ハリスという男。さらに演技を学ぶためにカリフォルニア芸術大学へ再入学する。演技の勉強をしながら、地元劇団の舞台で経験を積み、最終的にはちゃんと大学も卒業。その後は俳優として精力的に活動しながら、活躍の場を舞台からテレビや映画へと広げていく。

30歳になる頃には『ボーダーライン』(1980年)でチャールズ・ブロンソンと共演するなど、大きな役が来るようになった。彼の演技力は徐々に評判となり、遂にキャリアを大きく変える1本と出会う。名作『ライトスタッフ』(1983年)だ。

【30代~40代】完成されていく燻銀俳優

アメリカとソ連の宇宙開発競争が激化した時代を舞台に、宇宙に行って国の英雄になる者や、不運が重なった結果イイ加減な扱いを受ける者、いつしか時代の遺物となってしまった戦闘機のテスト・パイロットなどなど、何人もの男たちの生き様を通して「挑戦」すること自体の大切さを描く……『ライトスタッフ』はそういう映画である。

公開当時は興行的に成功しなかったが、現在でも根強いファンが多いロマンあふれる傑作だ。同作でエド・ハリスは、アメリカ人で初めて軌道に乗って地球をグルグル回った男、ジョン・グレンを演じた。宇宙飛行士チームは、基本的に酒と女が大好きな軍隊出身の荒くれ者たちだが、彼が演じたグレンは、紳士的かつ品行方正、自分にも仲間にも厳しく、それでいて愛する妻を何より大事にするという、まっすぐな男だった。チームの中では少し浮いている立場なので、一歩間違えれば嫌味な優等生になりそうなところだが、これを堂々と演じ切り、エド・ハリスの名は一躍ハリウッド中に広まる。

これをきっかけに、エドのもとへ次々とオファーが転がり込んでくる。妻であるエイミー・マディガンと共演した『アラモベイ』(1985年)、ヘンテコ西部劇の『ウォーカー』(1987年)、ロバート・デ・ニーロとガッツリ共演した『ジャックナイフ』(1989年)など、様々なタイプの作品に出演する。

特に『ジャックナイフ』ではベトナム戦争のトラウマから酒に溺れて妹に迷惑をかけまくる帰還兵役を熱演。体重を大幅に増やして、普段のシュっとしたビジュアルを完全封印。ごくごく平凡な中年男性になりきった。色々あったすえに泥酔して高校のプロムパーティーに乗り込んで、遅すぎた尾崎豊と言わんばかりに校舎を破壊するシーンは、涙なしでは見られない。この映画の熱演で、彼は初めてゴールデングローブ賞にもノミネートされた。

そして30代も終わる頃、エドは『タイタニック』(1997年)のジェームズ・キャメロンの監督作品、『アビス』(1989年)の主役に抜擢された。深海を舞台にしたSF映画だが……キャメロンは強いこだわりとハードな撮影、そして何より海が大好きで有名な人物だ。本作ではリアリティを求めて劇中の大半で過酷な水中撮影を敢行。キャスト陣はダイビングの特訓を受け、万全の準備をもって撮影に挑んだが、それでもエドは事故で溺れて「俺はここで死ぬんだな」と覚悟したという。修羅場すぎる現場で、おまけに映画自体も思ったほどヒットはしなかった。

しかしヘンテコな映画から、実直な人間ドラマ、桁外れの超大作など、この時期にエドは様々な経験をする。これらの経験を糧に90年代を迎える頃、つまりエドが40代になる頃、燻し銀エド・ハリスは完成されていった。

そしてこの三十路半ばの頃に、エドは人生の1本と呼ぶべき企画と出会う。そのキッカケは父親だった。美術館に勤めていた父は、エドに1人の芸術家の伝記本を渡してこう言った。「この男はお前に似ている。映画にできるんじゃないかな」その芸術家は、アメリカを代表する画家ジャクソン・ポロックだった。

ポロックは売れない頃から酒に溺れて精神を病み、成功を収めた後も、今度は周囲のプレッシャーに耐えられず精神的に破綻していき、44歳で自殺に近い交通事故で他界している。エドはポロックについてリサーチを始め、徐々に彼に親近感を持っていった。「(中略)僕はポロックのことを読み出し、読むほどに彼の複雑でアップダウンの凄まじい生き方に、うーむ、この男を演じたい! という欲望にかられてしまい、僕自身にもある、がんこな面などに共感しては僕を彼になぞらえだした」そして人知れず、ポロックを演じるための準備を始めた。

【40~70代】完成された燻し銀と念願の企画

今の我々が抱くエド・ハリス像が完成されたのは、間違いなく90年代だ。その決定的は『アポロ13』(1995年)だろう。宇宙で事故を起こしたアポロ13号を無事に地球に帰還させる為に、地上と宇宙で人々が大奮闘するSF映画の傑作だ。エドは地球側の管制官を演じ、『ライトスタッフ』のグレンにも通じるMr.頼り甲斐な佇まいは絶賛され、初のアカデミー賞候補となる。

続けて超大物のショーン・コネリーと、イケイケ時代のニコラス・ケイジと共演したアクション超大作『ザ・ロック』(1996年)で、国に裏切られてテロを起こす軍人・ハメル准将役を熱演。物語の展開上、一歩間違えば腰砕け野郎になりそうなところを、エドは圧倒的な俳優力によって、ハメル准将を現在まで語り継がれる名悪役に作り上げた。

自分の人生が勝手にリアリティ番組にされていた男を描いた『トゥルーマンショー』(1998年)では、番組プロデューサー役で強烈な印象を残し、再びアカデミー賞にノミネート。俳優エド・ハリスの評価は確かなものとなった。そして観客の間でも「異様に渋くて説得力がある人」「何か頼り甲斐がある人」として、エドは広く認知されていく。

そして50代を迎えると、エドは初めての監督作に挑む。それこそが三十路半ばに構想を抱いたポロックの伝記映画『ポロック 二人だけのアトリエ』(2000年)だ。当初は監督するかで悩んだそうだが、「ポロックに対する情も強くなり、彼の心身が僕の中に宿っているという感も出てきた。これを赤の他人の手にゆだねるのは嫌だ、という気分ががーんと湧いてきてね」と、監督に初挑戦。

撮影が始まると、三十路半ばから準備していたエドの演技欲求が爆裂した。絵の具を飛ばして絵を描くドリッピング画法を習得し、劇中の絵を描くシーンは全て自分で描き、晩年の姿を演じる為に6週間で16キロを増量するなど、気合い全開で撮影に入った。完成した映画は高い評価を集め、ポロックの妻を演じたマーシャ・ゲイ・ハーデンは同年の助演女優賞を受賞、エド自身もアカデミー主演男優賞にノミネートされた。

50~60代になっても、エド・ハリスの活躍は止まらない。悪の(しかし例によって美学を持ち、カッコいいとしか言いようがない)ドイツ軍スナイパーを演じた『スターリングラード』(2000年)、謎めいた男を威圧感たっぷりに演じた『ビューティフル・マインド』(2001年)や『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(2005年)などは、緊張感のあるエド・ハリスが存分に楽しめる。一方でド直球な感動作『僕はラジオ』(2003年)や『スクール・デイズ』(2011年)では心優しい人物を見事に演じて、単なる強面俳優ではないことをシッカリと示した。

さらに宇宙サバイバルの金字塔『ゼロ・グラビティ』(2013年)ではNASAの職員役で声の出演を(こんなにNASAと縁がある俳優も珍しい)、2作目の主演兼監督作で、激渋な西部劇『アパルーサの決闘』(2008年)では作詞作曲したエンディングを歌う新境地を開拓。さらにインドで竜巻が大量発生し、ドバイで津波が起き、ロシアがレーザービームで焼かれる大バカ気象パニック映画『ジオストーム』(2017年)にも出演する懐の深いところも見せた。そして現在もジャンルや規模を問わず、様々な映画で活躍を続けている。

さて、駆け足でエド・ハリスという男のキャリアを辿ってみたが、振り返ると興味深い点が見えてくる。彼はどこからどう見てもカッコいい燻し銀の男で、そういった役が良く似合う。しかし一方で、1998年のインタビューでは、今まで演じた中では、『ジャックナイフ』が一番気に入っているとも語っている。そして渾身の企画『ポロック』で演じたのは、前述のようなエドの十八番の人物像とはまったく違うキャラクターである。どちらも酒や薬に溺れて、周りに迷惑をかけまくる役だ。渋い役が似合うエドだが、当の本人は、こういったキャラクターにこそ親近感を抱いているのかもしれない。何かに依存して、頑固で、死の香りがつきまとう危険な人物である。

このことから推察するに、恐らくエドもそうなのだ。理想の仕事=演技に夢中になったまま、若い頃から走り続けている。時に危険なほど役に入り込み、過酷な撮影を経験しても、それでも役者として演技に全力投球することをやめられない。いわば演技ジャンキーなのだろう。

確かな演技力と同時に、演技のためなら自身のすべてを投げ捨て、わずかな妥協も許さず、己にも周囲にも徹底的に厳しく接する危うさをはらんでいることも、俳優エド・ハリスの魅力を支えているのかもしれない(実際NGテイクでは小道具を破壊するなど尋常じゃないくらいキレている姿が確認できる)。語弊はあるかもしれないが、彼は幸せな演技ジャンキーなのだ。

それでは最後は、そんなエドの演技ジャンキーな側面が窺い知れる発言を引用しよう。とあるインタビューで、彼はこんな言葉を残している。若い頃、彼は小さな舞台で大喝采を受けた。そして生まれて初めての感覚を覚え……。

「(前略)私は頭が空っぽになって、ショーをやったことが思い出せなくなってしまった。
ドラッグや何かとは関係なく、突然それまでに経験したことのなかった、陶酔した気分がやってきた。10分くらいは続いたかな? 信じがたい体験だった。
本当に演じたことを覚えてなくて、頭が真っ白になってしまったんだ。(中略)
一度の経験が忘れられなくて、その後の人生は、その気持ちをもう一度味わいたくてやっているようなものだ」

▽参考・引用元

・キネマ旬報 1998年11月下旬号/2008年6月上旬号

・THE RAKE JAPAN 俳優エド・ハリス インタビュー

・出演作品のパンフレット/DVDの音声特典など

『老後に効くハリウッドスターの名言』が、内容をバージョンアップして書籍化!

イラスト/もりいくすお

300年続く日本のエンターテインメント「忠臣蔵」のマニア。

加藤よしき
加藤よしき

昼は通勤、夜は自宅で映画に関してあれこれ書く兼業ライター。主な寄稿先はweb媒体ですと「リアルサウンド映画部」「シネマトゥデイ」、紙媒体は「映画秘宝」本誌と別冊(洋泉社)、「想像以上のマネーとパワーと愛と夢で幸福になる、拳突き上げて声高らかに叫べHiGH&LOWへの愛と情熱、そしてHIROさんの本気(マジ)を本気で考察する本」(サイゾー)など。ちなみに昼はゲームのシナリオを書くお仕事をしています。

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