ブルース・ウィリス-老後に効くハリウッドスターの名言(16)

誰だって歳をとる。もちろんハリウッドスターだって。

エンタメの最前線で、人はどう“老い”と向き合うのか?

スターの生き様を追って、そのヒントを見つけ出す。

「自分は幸福になりたい。そして、プロのハープ(ハーモニカ)の奏者になるのが夢だ」

――ブルース・ウィリス、高校の卒業アルバムより

俳優引退を発表したブルース・ウィリス

ヤンチャ心とガッツを胸に、ブレないキャリアを積んだ男!

今こそ永遠の不良中年の人生と魅力を語ろう!

フォーエバー不良少年 ブルース・ウィリス

愛すべき不良……そんな存在は基本的にファンタジーだが、時おり認めざるを得ない本物も存在する。ハリウッドスターでいえばブルース・ウィリスである。

ブルースといえば、日本でも根強い人気を誇るビックスターであり、2022年に俳優引退宣言で世界を驚かせた人物だ。私は彼こそが“愛すべき不良”であるように思う。この連載で取り上げた中でも元不良は多い。しかし彼らは大人になるにつれて丸くなり、少年のような心は持ちつつも、大人として理性的に振る舞っている。

しかしブルースは別だ。彼は俳優デビュー後も警察沙汰を起こしているし、結構な年齢になってもインタビューでは基本的にビッグマウスのスタイルで、無茶な発言を繰り返している。メディアでの発言だけを見るなら、「面倒そうだし、関わりたくない」そう判断されてもおかしくない人物だ。

どんな名優でも、あまりに勝手がすぎると、徐々に周囲から距離を置かれて、仕事がなくなっていくものだ。しかしブルースは数多くの話題作・名作で主演を務め、多くの監督・役者たちから信頼され、スターとして輝き続けた。これこそ彼が「愛すべき不良」だと表現する理由である。

今回はブルース・ウィリスという男のキャリアを振り返りつつ、皮肉とヤンチャな言動の裏に隠れた、彼の魅力に迫っていきたい。

【10代~20代】ヤンチャと苦悩の若き頃

1955年3月19日、ブルース・ウィリスはドイツで生まれた。父親が軍人で、ドイツに駐留中だったのだ。その後、2歳でアメリカのニュージャージー州へ移り住む。9歳の頃にボーイスカウトの寸劇で5000人を爆笑させたのが原体験になり、高校時代に初舞台に上がる。

こう書くと普通の演劇青年を思い浮かべるが、ブルース本人は高校生活をこんなふうに振り返っている。

「学校へ行って一番よかったのは、読書の楽しみを覚えたことだ。(中略)たいていのことは経験した。マリファナ、女、酒、夜遊び

前段と後段の落差が激しいが、さらに他の資料によると学校で意図的に火事を起こしたこともあったそうだ。お近づきになりたくない不良っぷりだが、どっこいブルースは一筋縄ではいかない。

当時の彼について、高校時代の教師はこんなふうに語っている。「特に興味をひかない子だったが、深刻などもりを隠すために無理して騒ぐようなところがあったね。(中略)でも、彼にはそんなハンデを克服する勇気があったんだ。生徒会長に立候補した時、壇上に上がった彼がどうなるか心配したんだが、立派なスピーチをして何と当選してしまったんですよ」演劇に打ち込み、学校に火を点け、生徒会長を務めた。どんな高校生だかサッパリ分からないが、大物の到来を予感させるのは事実だ。

高校は結局のところケンカで退学になってしまい、19歳になるとマリファナ所持で初めての逮捕も経験。何とか田舎を出てビッグになりたい一心で、地道に働いて学費を稼いで大学に進学する。

しかし俳優のオーディションを受けるのに熱中して(この連載でお決まりの)大学を中退。以後は劇団に所属して活動するが、食えなかったのでバーテンのバイトを始めた。店では「ブルーノ」のアダ名で人気者になったそうだが、肝心の俳優の方は上手くいかず、映画に出演したが出番は全カット。舞台で脇役を演じ、テレビCMで糊口をしのぐ生活が続いた。

それでも諦めずに俳優活動を続けるうちに、『フール・フォー・ラブ』という舞台で業界人の目に留まる。これをきっかけにいくつかのテレビドラマに出演。そして三十路になる頃、とあるオーディションにバイト感覚で参加。それこそがブルースの最初のヒット作になる『こちらブルームーン探偵社』だった。

【30代】最初の成功、そして苦悩と最大の成功

元モデルで探偵会社の社長マディ(シビル・シェパード)と、イイ加減な性格の探偵のデイヴ(ブルース・ウィリス)が、ケンカしつつも力を合わせて難事件に挑む。『こちら~』は凸凹コンビの活躍を笑いたっぷりに描くテレビドラマだ。

「アルバイトのひとつにすぎなかった」と、冷ややかなスタンスだったが、主演のシビルとの化学反応が炸裂し、ドラマは大ヒット。特にブルースは女性からの人気が凄まじく、関係者が言うにはシーズン2の時点で主演のシビルより人気者になったという。

追い風に乗って高校時代からの特技であるハーモニカを活かして音楽活動にも着手。初アルバム『The Return of Bruno』はビルボード14位に食い込むヒットになった。初めての成功を手にして、ヤンチャなマインドも爆発。連日パーティーを繰り返し、大騒ぎしすぎて逮捕された

かくしてスター街道に乗ったブルースだったが、世間は思った以上に厳しかった。『こちら~』以外の俳優仕事が上手くいかなかったのである。

映画初主演を務めた『ブラインド・デート』(1987年)ではそこそこの評判で終わり、プロデューサーにも名を連ねた『キャデラック・カウボーイ』(1988年)は見事にコケた。プライベートでは87年にデミー・ムーアと結婚し、幸せな家庭を築くことができたが、仕事の方は伸び悩んだ。

そんなブルースのもとへ一本の映画の企画が転がり込む。イーストウッド、シュワちゃん、スタローンが断ったアクション映画の企画だ。さえない刑事が泣き言を言いながら、ビルを占拠したテロリスト相手にド根性で戦いを挑む……いわずとしれた『ダイ・ハード』(1988年)である。

当時この企画は多くの俳優たちに断られていた。主人公のジョン・マクレーンが、アクション映画の主人公らしくなかったからだ。他のアクションスターたちは、愚痴と弱音と不平不満を言いまくる役を演じることで「弱い」「情けない」そういったイメージが自分につくのを嫌ったのである。それはブルース陣営も同様で、エージェントは「リスキーな役をやる以上は」とブルースのギャラを吊り上げた。

結局、映画のキャリアが少ない俳優としては破格の500万ドルで主演を引き受けたが、撮影はトラブル続き。脚本は改訂に改訂が重なり、ブルースのエージェントが激怒する事件も。しかし、脚本家がブルースに直接会うと、2人は秒で意気投合

脚本家がそれとなく「もっと書き直してギャグを入れたいんですけど、あなたのエージェントにこれ以上の書き直しはダメだと言われてまして……」と話を振ると 、ブルースはエージェントのことは気にするな! どんどんギャグを増やそう!と快諾したという。ブルースの人柄が垣間見えるエピソードだ。

こうして映画は出来上がったが、予告が映画館で流れるとブルースが登場した途端に観客のブーイングが起きた。こちらも今となっては信じがたいが、それほどブルースにアクションのイメージがなく、さらにアンチも多かったのだ。ちなみに同作の日本版パンフレットにも堂々とブルースについて「半端な二枚目半の中年スターという印象しかなかった」と、厳しい意見が載っている。

しかし、結果は皆さんご存じの通りである。映画は世界中で大ヒットして、『ダイ・ハード』は単なる映画ではなく「『ダイ・ハード』もの」という一つのジャンルを作った。同作の主人公であるジョン・マクレーンはブルースのハマり役となり、彼は一気に新世代のアクションスターに躍り出る。それは紛れもなく、ブルースがハリウッドの頂点に立った瞬間だった。

【40~50代】アクションスターから演技派へ

『ダイ・ハード』を成功させたブルースだったが、ここから再び苦難が続く。続編の『ダイ・ハード2』(1990年)は安定の大ヒットをしたものの、トム・ハンクスと共演した『虚栄のかがり火』(1990年)、デミー・ムーアと夫婦共演作『愛を殺さないで』(1991年)、自らが原案の『ハドソン・ホーク』(1991年)といった主演作は興行/批評の両面で大失敗に終わる。『ダイ・ハード』という新たな名刺を手にしたものの、ブルースの30代はやや不満の残る形で終わった。

そして迎えた40代、ブルースは明確に脱・肉体派志向で出演作品を選ぶようになった。最初の一手となったのが『パルプ・フィクション』(1994年)、当時はまだ新進気鋭の若手だったクエンティン・タランティーノ監督の作品だ。脚本に惚れ込んだブルースは友人の俳優のバーベキューパーティーにいたタランティーノを直撃し、出演を直訴する。同作は大ヒットになり、はじめてブルースに「二枚目半の中年スター」でも「アクションスター」でもなく、「演技派」の肩書きがついた。

そのまま四十路を迎える頃、鬼才テリー・ギリアム監督に直電して『12モンキーズ』(1995年)の主演を勝ち取る。ブルースは謎のウィルスによる人類壊滅を防ぐために未来からタイムスリップしてきた男役なのだが、そこは底意地の悪さと狂気が武器のテリー・ギリアム。ただのタイムスリップものでは終わらない。ブルース演じるジェームズ・コールは「オレは未来から人類を救いに来た!」と主張するが、周りにまったく信じてもらえず、精神病院に放り込まれてしまう。必死の思いで脱走するが、未来と過去を行き来して、おまけに精神科医に病気だと言われ続けた結果、自分でも自分が何者なのか分からくなっていく。悲惨かつ複雑な難しい役柄だが、ブルースはこれを見事に演じ切った。同作はヒットし、今もなお語り継がれるカルト作となる。

ブルースの俳優としての評価はここで頂点を迎えた。かと言って丸くなることは一切なかった。この頃に出た名著『ハリウッド・ガイズ スーパーインタビューブック』では、成功について「毎朝、目が覚めるたびに高笑いさ」とビッグマウスをかまし、無神経なマスコミへの怒りをブチまけ、自身の短気な部分についてこんなイケイケな発言も残している。

「仕方ないね。どうしても殴らずにおけない相手だったら、何があっても殴ってやる。そのために百万ドル払ったってかまわない」

その後も『フィフス・エレメント』(1997年)や『アルマゲドン』(1998年)といった超大作で主演を張りつつ、『シックスセンス』(1999年)で再びネタバレ厳禁の複雑な役を演じる。賞レースにこそ絡まないものの、エンタメから作家性の強い作品まで、何でもイケる俳優として確固たるポジションを築いた。

私生活ではデミー・ムーアと離婚したが、俳優としての勢いもヤンチャ心も衰え知らず。『アルマゲドン』の来日インタビューでは「愛国心が全面に出た作品ですね」と皮肉交じりの質問に対して、それを遥かに上回る剛速球の皮肉を返している。

「これがエンターテインメントだということを忘れてはいけない。愛国心には善と悪が含まれる。アメリカという国は暴力が基になって確立された国だ。ヨーロッパからはじき出された人々がここへ来て、先住民から国を盗み、彼らを滅ぼそうとしたのだから

会場の空気を想像すると胸がキュッとなる。この頃のブルースは、まさにイケイケの不良中年だった。

【50~60代】引退、そして病との闘いへ

50代が見えてきた頃、ブルースはコメディ映画『バンディッツ』(2001年)のインタビューでこんなふうに語っている。「もうアクション映画はあきあきしたね。(中略)コメディで観客を笑わせる方が、銃をかざして走り回るよりずっと演じがいがあるもの」しかし、この言葉とは裏腹に、ブルースの50代はアクション映画への回帰となった。

同名マンガを実写化した『シン・シティ』(2005年)や渋い刑事映画の『16ブロック』(2006年)などは印象深い。ちなみに『16~』のインタビューでは「髪が薄くなったからもう男じゃない、なんて僕に言うようなヤツは尻を蹴飛ばしてやるよ(笑)」と相変わらずの強気なジョークを飛ばしていた。

ファン待望の『ダイ・ハード4.0』(2007年)も納得の面白さ&大ヒットを記録し、遂にはスタローンやシュワちゃんをはじめとする80年代アクションスターの同窓会『エクスペンダブルズ』(2010年)にも出演。レディー・ガガの生肉のドレスが話題になると、生肉のカツラを被ってトークショーに登場し、時には日本の携帯会社のCMで某ネコ型ロボットを演じるなど、笑いを取りに行く姿勢もあった。まだまだこれからかと思われたが……60代が見えてきた頃、彼のキャリアに異変が起き始める。

もともとブルースは働き者だった。80年代から1年に数本の映画が公開されるのは当然の状態だったが、それにしても映画に出過ぎている状態が続いた。特に60代に入ったころからは、ブルースだけ別撮りだったり、明らかに出番が削られていたりと、違和感の強い作品が増えていく。『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』(2014年)では、高額のギャラを要求するあまり主演のスタローンと衝突して降板。スタさんがブルースを「強欲な怠け者」と一喝する騒動も起きた。

しかし2022年、ブルースの家族が、彼についてのメッセージをSNSに公表した。

「ウィリスはいくつかの健康上の問題を抱えており、最近、認知能力に影響を与える失語症と診断されました。熟考の末、ブルースにとって非常に大きな意味のあるキャリアから離れることを決めました」

失語症、それは物事への認知能力が低下する病だ。俳優とは、台本を読み、理解して、覚えて、演じることが役目である。俳優にとって失語症はあまりにも大きなダメージだ。実はかなり以前から症状は出ていたそうだが、代役を立てたり、別撮りをしたり、台詞の修正をするなど、様々な工夫をして乗り切っていたそうだが……端的にいえば、無理をしていたのである。まるで高校生の頃、どもりを克服するために、あえて生徒会長選挙で演説した時のように。

キャリアをザッと総括してみると、改めて思うことがある。それはブルースが少年時代から現在まで、まったく変わっていないことだ。自分を変えたいと思ったら、どんな難関でも果敢に挑んでいく。誰もが尊敬するガッツを持っているのだ。けれど同時に、周囲からの賞賛を集めても、素直にそれを受け止めず、照れ隠しの憎まれ口を叩いてしまう。口が悪くて素直になれないが、根っこは熱くて優しい。だからこそ「愛すべき不良」なのである。

それを証拠に、病気の件が公表されると、『エクスペンダブルズ3』で衝突したスタローンをはじめ、トム・ハンクス、アンソニー・ホプキンス、ジョン・トラヴォルタなど、かつての共演者が口々に応援の言葉を送った。何より家族からのメッセージは、離婚したデミー・ムーアと現在の妻のエマ・ヘミングが連名だった。

ここまで実際に接した人々から愛されているのだから、彼がどういう人間だったかは推して知るべしだろう。メディアで見せる強気で皮肉屋な姿ではなく、近しい人間にしか見せない顔があったはずだ。デミー・ムーアらのメッセージの結びに書かれた「いつもブルースが言っていたとおり『楽しくいこうぜ』、私たちも一緒にそうするつもりです」という一文からは、映画の中でブルースが見せていた笑顔が浮かんでくるようである。

それでは最後は、イケイケ時代のブルースが珍しく漏らした真摯な発言で記事を終わりたい。もちろんこの後には例によって暴言が続くのだが、この部分にこそブルースの本音があるように思う。そして恐らくは、かつての不良少年が夢見た「幸福」は間違いなくあったとも。

「まあとにかく、40代は快適だよ。
この40年で心から理解したのはただ一つ。
俺はいまいかに自分の人生を生きたいと思っているかだね。
善行をなし、人助けをし、家族と友人を守り、
立派な男として自分の人生を生きるってことさ」

――『ハリウッド・ガイズ スーパーインタビューブック』1998年より

『老後に効くハリウッドスターの名言』が、内容をバージョンアップして書籍化!
2022年7月21日発売

▽参考・引用元

・『キネマ旬報』

1990年9月上旬号、1995年7月上旬夏の特別号、1998年12月下旬号、1999年11月上旬号、

2001年3月上旬号、2003年11月上旬号、2006年10月下旬号、2007年7月上旬号、

2009年2月上旬号、2013年12月上旬号

・『スクリーン アーカイブズ ブルース・ウィリス復刻号』 (2022年 近代映画社)

・『デラックスカラー シネアルバム30 ブルース・ウィリス』(1998年 芳賀書店)

ブルース・ウィリス引退表明 スタローンが思い出写真と共にコメント

イラスト/もりいくすお

300年続く日本のエンターテインメント「忠臣蔵」のマニア。

加藤よしき
加藤よしき

昼は通勤、夜は自宅で映画に関してあれこれ書く兼業ライター。主な寄稿先はweb媒体ですと「リアルサウンド映画部」「シネマトゥデイ」、紙媒体は「映画秘宝」本誌と別冊(洋泉社)、「想像以上のマネーとパワーと愛と夢で幸福になる、拳突き上げて声高らかに叫べHiGH&LOWへの愛と情熱、そしてHIROさんの本気(マジ)を本気で考察する本」(サイゾー)など。ちなみに昼はゲームのシナリオを書くお仕事をしています。

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