誰だって歳をとる。もちろんハリウッドスターだって。
エンタメの最前線で、人はどう“老い”と向き合うのか?
スターの生き様を追って、そのヒントを見つけ出す。
「僕はユニークでもなんでもない、ふつうの人だよ。
たまたま映画産業界で仕事をしているにすぎないんだよ」
――『ハリソン・フォード』
(1989年 ミンティー・クリンチ著 水野みさを 訳より引用)
80年代カルチャーの顔にして、
今なお最前線を走るハリソン・フォード!
自らを職人と断言する男の俳優人生とは!?
先日、衝撃的なニュースが世界を駆け巡った。何とハリソン・フォードが『インディ・ジョーンズ』の新作に主演するというのだ。『インディ~』といえば、ワイルドでチャーミングな考古学者、インディアナ・ジョーンズが次から次へと襲い来る危機を知恵とガッツで突破していく冒険活劇。
まさにハリウッドの王道をいく大ヒットシリーズだが、とは言え、ハリソンは78歳である。普通に考えてアクション映画の主演を張れる年齢ではないし、おまけに今はコロナ禍もある。企画が頓挫する可能性もあるが……しかし、いざやるとなったら、ハリソンはやるだろう。何故ならハリソンは俳優という仕事に忠実だからだ。
それにしても、ハリソン・フォードは奇妙な俳優である。彼が主演した『スターウォーズ』『インディ・ジョーンズ』『ブレードランナー』の3本は、まさに80年代の文化史そのもの。これらの映画が無ければ、恐らく現在のアメリカのエンタメ業界は大きく変わっていたはずだ。
歴史の生き証人と言ってよいが、彼には近寄りがたさのようなものが一切ない。むしろ親しみやすく、日本のCMで伊東四朗とサウナに入り「キリンラガービールください!」と言ってもシックリ来る愛嬌がある。正真正銘の大スターでありながら、何故か親戚のおじさん感があるのだ。
ハリウッドの歴史を築いてきたレジェンドでありながら、不思議なほどの庶民感を持ち合わせる男ハリソン・フォード。今回は彼がどんなふうにキャリアを重ねて来たのかを振り返り、その魅力と、理想の老後について考えていきたい。
ハリソン・フォード、1942年生まれ。父はラジオ広告を作る仕事をしていたが、本人は至って普通の少年だったという。特に映画や演技にも興味はなく、後のインタビューでは少年時代をこう振り返っている。「映画館に足を運ぶくらいだったら、良い本を読んだり、美術館に足を運ぶ方がマシだよ。これは子供時代からの習慣なんだ」
広告業界で働く父に憧れ、普通のサラリーマンにはなりたくないなと思いつつも、かと言って特別何かするわけでもなく、ハリソンは大学へ進学する。しかし、学生演劇の世界に触れた途端、彼の世界観が一気に変わった。
「600人の観衆を目の前にして、僕はステージに立った。僕のそれまでの人生で、あの時が最もゾクゾクした瞬間だったよ」
かくして演技に惚れこんだハリソンは、俳優として身を立てることを決意する。意気込んでロスへ渡って、コロンビア映画の面接に合格。同スタジオの正式な所属俳優となった。
これで俺もスターかと思ったハリソンだが、彼を待っていた仕事は名もない脇役ばかり。おまけに重役に無礼な扱いを受けることも多かった。いわば子どもの時に漠然と嫌っていたサラリーマン的な生活を過ごすことになったのである。それでも頑張れば何とかなると彼は踏ん張ったが、とうとう横柄な会社にブチギレて契約を解除。晴れて無職になってしまうのであった。
無職になったハリソンだが、ここで全く別の才能が開花する。大工の才能だ。 俳優を目指しつつも、既に家庭もあったので、経済的な安定のため大工仕事を始める。自宅の改築などを自分でやっていたので、大工の腕には自信があった。幸いになことに、有名人とのコネもあったので、金になる仕事を受けることもできたという。
最初の顧客はブラジル音楽界の巨星セルジオ・メンデス。依頼内容はガレージをスタジオに改造してほしいというものだった。どう考えても日曜大工の範囲を超えているが、ハリソンは図書館で大工の本を借りまくって現場に入った。
当時のことをハリソンはこう振り返る。「本を持って屋根にあがり、誰にも気づかれないようにヒヤヒヤしながら読んだよ。大工仕事はかなりの腕なんだろうな、なんて誰にも聞かれなかったのはラッキーだった(中略)こうやって僕は大工の腕を独学し、演技を独学していったんだ。どちらも、僕にとっては職人芸だよ」真面目なのか不真面目なのか分からないが、ともかくイイ話である。
ハリソンは大工としてメキメキ頭角を現していくが、一方で俳優仕事は相変わらずのサッパリぶり。けれど彼は俳優という夢は捨てずに、ある日、1本の映画のオーディションに参加する。それは彼の運命を変える作品、ジョージ・ルーカス監督の『アメリカン・グラフィティ』(1973年)だった。
60年代のアメリカを舞台に、若者たちの一夜の出来事を描く……そんな『アメリカン・グラフィティ』のオーディション会場には、明日のスターを夢見る若手俳優たちが集結していた。しかし何としても役を勝ち取ってやるぞという血気盛んな若者たちの中にあって、ハリソンだけは、まぁ落ちても構わないという態度だったという。
「今日食べるパンのために、仕事を見つけなくてもいいのだ、という心のゆとりがそうさせたのさ。その時の僕は、大工仕事が順調にいってた時だからね」この大工パワーのおかげか、ハリソンは見事に役を勝ち取る。それは初めて得た大役だった。
かくしてハリソンの出世街道が始まる……かと思いきや、その後の仕事は続かなかった。
テレビ映画に数本出演するに留まったが、これはハリソン自身が作品を選びたいという思いが強かったからだ。若手の頃に脇役で散々な思いをした経験もあるし、何より大工という手に職がある。ハリソンは慌てず、自分に合った役を探してチャンスを待った。
そんなある日、ハリソンは大工として映画会社のオフィスへドアを取り付けに向かう。業界の知り合いもいる場所なので、「大工姿でうろうろするのは気恥ずかしくて」と人目を避けていたそうだが、案の定ジョージ・ルーカスと鉢合わせしてしまう。
するとルーカスに「新作のビデオテストに参加しない?」と頼まれた。特に断る理由もないハリソンは、少し気まずいなぁと思いながらテストに臨む。その気まずいなぁという感じが高評価に繋がったのか、見事に合格するのであった。こうしてハリソンは再びルーカスと仕事を、『スターウォーズ』(1977年)のハン・ソロ役を演じることになったのである。この件について、もはや役柄や物語の説明は不要だろう。映画は世界的に大ヒット、ハリソンは一躍時代の寵児となる。しかし当の本人は成功がピンとこなかったという。いわく「大工として7年間すごしてきて、サクセスとはどういうものか感じなくなってしまったんだと思う」とりあえずハリソンは『スターウォーズ』の収入で新しく家を買って、再び自分で改築工事を始めた。
『スターウォーズ』で世界的な大成功と当たり役を手にしたハリソンだったが、しかし当たり役ゆえの不幸、その後はなかなか続かない。何本かの映画に出るが、どれも期待していたほどの評価を得ることはできなかった。
再びハン・ソロに扮した『スターウォーズ 帝国の逆襲』(1980年)は大ヒットしたものの、私生活では離婚を経験、さらに『帝国の逆襲』の撮影は過酷を極め……ハリソンは俳優としての道を模索する。
とりあえず家の改築工事をして疲れを癒していたが、そこに再びルーカスから電話がかかってきた。電話口の向こうでルーカスは言った。「ちょっとスティーブン・スピルバーグに連絡してくれ」その通りに連絡すると、スピルバーグから脚本が送られてきた。脚本を読んだハリソンは、主演を即決する。
この映画こそが『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981年)、『インディ・ジョーンズ』シリーズの1作目だ。この映画についても、もはや説明は不要だろう。映画は世界的に大ヒットして、ハリソンはスターとして確固たる地位を得た。
ここからのハリソンの活躍は、まさに快進撃という言葉が相応しい。SF映画の金字塔『ブレードランナー』(1982年)、完結作『スターウォーズ ジェダイの帰還』(1983年)、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年)と、のちにアクション/SF映画の金字塔となる作品に立て続けに出演。
さらに『刑事ジョン・ブック 目撃者』(1985年)では初のアカデミー主演男優賞候補入り。90年代に入っても、ハリソンの活躍は止まらない。コメディ、アクション、ヒューマンドラマと幅広く活躍したが、中でも『パトリオット・ゲーム』(1992年)と『今そこにある危機』(1994年)で演じたジャック・ライアンは、新たな当たり役となった。
往年のテレビドラマのリメイク『逃亡者』(1993年)や、大統領を演じた『エアフォース・ワン』(1997年)なども印象深い。ちなみに趣味の幅も広がり、飛行機を乗り回すようになり、アドベンチャーコメディ『6デイズ・7ナイツ』(1998年)では、劇中で実際に飛行機を操縦している。
一方でハリソンは「俳優」以外の仕事には手を出さなかった。『エアフォース・ワン』の来日インタビューでは、こう答えている。
「大統領になってみたいかって? まさか。監督にだってなりたくないんだ。だって監督は1本の映画のために1年間を費やさねばならなくなるじゃないか。自分の時間どころか、家族と一緒にいる時間さえなくなってしまう」
趣味と仕事を両立させ、地に足の着いたスタンスを崩すことなく、ハリソンは還暦を迎えるのであった。
還暦を迎えたハリソンは、『K-19』(2002年)でロシア人役を演じる。「役者としていつも違う役をやっていきたい、というのは僕の一番の願いなんだ」この言葉通り、2000年代に入ってから、ハリソンは様々な役柄に挑戦していく。
その一方『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(2008年)では再びインディ・ジョーンズを演じ、アクションスターとしても現役だと示して見せた。『正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官』(2009年)や『小さな命が呼ぶとき』(2010年)、『42 〜世界を変えた男〜』(2013年)といった社会派作品で活躍する一方、『カウボーイ & エイリアン』(2011年)や『エンダーのゲーム』(2013年)などのSFアクションにも出演。
さらに『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2015年)に始まる『スターウォーズ』の新三部作や、『ブレードランナー 2049』(2017年)など、何十年越しの続編まで引き受ける。
趣味の飛行機で何度か事故を起こしたり、『スターウォーズ』でレイア姫を演じたキャリー・フィッシャーと恋愛関係にあったと40年越しの不倫発覚もあったが、それはそれとして、私生活も充実しているらしい。そして『インディ・ジョーンズ』の新作である。目下、2022年の公開を目指して制作中だというが、きっと撮影が走り出したらハリソンはベストを尽くすことだろう。
80歳が目前に迫っているが、ハリソンは仕事と趣味を楽しみ続けている。いったいどうやったらこんなふうに若さと情熱を保っていられるのか?
ハリソンはその秘訣を、常に新しいことに挑戦することだと語るが、私はそうではないと思う。彼の人生を振り返ってみたとき、その成功の秘訣は「仕事」と「私生活」をキッパリ切り分けて、バランスを取っている点にあるように思えてならない。
ハリソンの生き方は若い頃から全く変わっていない。仕事は仕事で頑張る。けれど、休むときは休む。よく働き、よく遊ぶ。とりあえず衣食住を確保してから何かする。それがハリソン・フォードの生き方だ。そんな人生観は、2017年の来日時のこんな発言からも読み取れる。俳優という仕事について、彼はこんなふうにあっさりと、しかし職人的な拘りを感じさせる表現を使って語っている。
「言ってみれば、俳優は靴屋と同じさ。ただ靴を作るだけ。
ステッチの1つ1つを考えて作るけど、
それは自分にとってどういうものになるのかということは全く考えない。
ただ、自分はお客さんのために靴を作ればいい。それだけのことさ」
――ハリソン・フォードが語る仕事論 俳優業は「靴屋と同じ」より引用
▽参考・引用元
・キネマ旬報
1987年1月上旬号、1994年12月上旬号、1997年12月下旬号、1999年1月上旬新年特別号
2000年12月上旬号、2002年12月下旬号
・『ハリソン・フォード』
(1989年 ミンティー・クリンチ 著 水野みさを 訳)
・ハリソン・フォードが語る仕事論 俳優業は「靴屋と同じ」
https://www.oricon.co.jp/news/2099768/full/
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昼は通勤、夜は自宅で映画に関してあれこれ書く兼業ライター。主な寄稿先はweb媒体ですと「リアルサウンド映画部」「シネマトゥデイ」、紙媒体は「映画秘宝」本誌と別冊(洋泉社)、「想像以上のマネーとパワーと愛と夢で幸福になる、拳突き上げて声高らかに叫べHiGH&LOWへの愛と情熱、そしてHIROさんの本気(マジ)を本気で考察する本」(サイゾー)など。ちなみに昼はゲームのシナリオを書くお仕事をしています。
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