スティーブン・セガール―老後に効くハリウッドスターの名言(5)

誰だって歳をとる。もちろんハリウッドスターだって。
エンタメの最前線で、人はどう“老い”と向き合うのか?
スターの生き様を追って、そのヒントを見つけ出す。

「ブルース・リーやジャッキー・チェンは確かに優れたマーシャルアーツのプロフェッショナルだが、彼らの作品のストーリーとアクションはあまりにも荒唐無稽すぎた」
――『刑事ニコ/法の死角』(1988年)パンフレットより引用

映画の中では常に最強、現実世界でも常に不敵。
今なお最強幻想を身にまとった男、スティーブン・セガール。
神秘のベールの向こう側にある「老後」を解き明かそう!

21世紀、68歳、しかし今だに最強幻想を持つ男

2020年現在、ハリウッドスターの多くは積極的に私生活を発信している。ネットの普及によって海外の情報もリアルタイムで入ってくるようになった。この事によって、ハリウッドスターとの距離はグッと縮まったが、その反面、かつてあった「幻想」が薄まったのも事実である。

その人の私生活が見えてしまえば、「幻想」が消えてしまうのも当然だろう。往年のアクションスターも同様だ。

前回ご紹介したスタローンもSNSを駆使しているし、今をときめくロック様ことドウェイン・ジョンソンは、SNSサービスのひとつInstagramで1億人超のフォロワーを抱えている(主に筋トレや大盛りメシの画像を載せている)。

そんな時代にあって、昔のような「幻想」を持ち続けている男がいる。スティーブン・セガールだ。

193cmの長身から繰り出される情け容赦のない打撃と、流れるような動きで人を投げ飛ばす合気道を駆使して、圧倒的な強さで敵を秒殺する「セガール映画」というジャンルを造り、ここ日本では、とりあえず邦題に「沈黙」とつく「沈黙シリーズ」でも知られている。

彼も他の海外スター同様、いろいろな情報は入ってくるのだが、「ロシアでプーチンと面会」「東京で花見をしていた」「鈴木宗男の応援演説に駆けつけた」「自腹で核ミサイルを解体した」など、聞けば聞くほど謎が深まっていくばかり。

このインターネットによる情報共有が当たり前の時代において、非常に珍しい人物だと言えるだろう(ある意味でスタローンとは正反対だ)。

今回は現在進行形で謎を深めている特異な男の半生を可能な限り追いながら、人間の持つ可能性、そして老いとは何かについて考えていきたい。

【10代~20代】ギターと合気道にかけた、若かりし日々

いきなりだが、幼い頃のセガールについては謎が多い。一般的なプロフィールによれば、少年時代に空手のショーを見て日本の武道に興味を持ったというが、このへんはまだ曖昧な部分が多い。その後、17歳で来日を果たし、さらに武術の腕に磨きをかけたとされるが……ここで1つの重要な証言を紹介したい。

セガールの最初の妻であり、現在も大阪で合気道の道場を営む藤谷美也子氏によれば、実はセガールが打ち込んでいたのは格闘技だけではないらしい。

美也子氏の自伝『貴重なとき―私の合気道』(1999年 ワイズ出版)には、美也子氏とセガールの出会い、そして別離が描かれている。この本によれば、当時アメリカに合気道を教えに行った美也子氏に、セガールの方から声をかけてきて、恋愛関係になったという。

そして当時のセガールは合気道の練習をする傍ら、ギターを常に背負い、連日バーでギター演奏のバイトに精を出していた。つまり当時のセガールは、武術とギターと女の子が大好きな、バンドマンだったのである。

その後、セガールは17歳で来日して修行を積み、程なくして美也子氏と結婚。大阪に夫婦で道場を開き、子どもを授かる。しかしセガールはアメリカに舞い戻り、美也子氏とも離婚が成立。

この時、セガールは美也子に大変な不義理をしたようだ。『貴重なとき』には、セガールの不義理が本一冊分を使って赤裸々に綴られている。この点を掘り下げると話が逸れてしまうので、あえて深くは立ち入らない(当事者にしか分からない事も多いだろうし)。

ただ、同書で美也子氏はセガールの合気道の技術について、こう評している。

「セガールの武道の技は、背の低い人を相手にする時には今一つ思うところもなくはないのですが、強さ、うまさはすばらしいものがあります」

本が書けてしまうほどの不義理をした相手をして、「強い」と認めさせるのは、セガールが格闘家として本物である証しだろう。なお現在は、女優のセガールの娘である藤谷文子氏がセガールについて発言したり、昔に比べると家族関係は良好らしい。

雑誌『映画秘宝』での大槻ケンヂ氏との対談では、こんなふうにセガールとのエピソードを語っている。

大槻ケンヂ「(セガールは)マフィアにつけ狙われたこともあるんだよね?」

藤谷文子「うん。だから車で帰ってきたらボディ・ガードがまず車を降りて、チェックして、ゲートを開ける。ずっと銃を構えたままね。そのあとお父さんもガチャッと銃を……

話が脱線してきたし、あまり書くと私にも銃弾が飛んできそうで怖いので、一旦ここで話題を変えよう。ともかくギター青年だったセガールは、日本で武術の腕を磨き上げると、アメリカへ舞い戻り、自身の道場を開くのだった。

【30代~40代】映画界へ殴り込み、そして瞬く間に成功へ

そして日本時代から芸能界への興味を持っていたセガールは、ここでも映画業界とのパイプ作りに勤しむのだった。

「誤ってショーン・コネリーの手首を折った」など、数々の伝説を残しながら、現場でのアクション指導など、裏方の仕事をしていたそうだ。こうした営業の成果か、遂に「映画に出てみない?」とオファーが舞い込んでくる。

そしてセガールは制作・原作・主演という今になって思うと自家製にも程がある『刑事ニコ/法の死角』(1988年)で俳優としてデビュー。すでに30歳を超えていたが、他の格闘スターたちとは一線を画す合気道の動きと、どこからどう見ても強そうな容姿で話題となる。

その後も中規模程度の映画に連続して主演し、遂に決定的なブレイク作となる『沈黙の戦艦』(1992年)と出会う。

テロリストに乗っ取られた戦艦で、コックをやっている男ケイシー・ライバックが孤軍奮闘する、いわゆる『ダイ・ハード』(1988年)ものだ。ただし、ごく普通の刑事が頑張る『ダイ・ハード』と違って、ライバックが実は元・特殊部隊の対テロ戦のエキスパートでメチャクチャな達人という点が新しかった。

テロリストをサクサクと皆殺しにしていき、現在はすっかり缶コーヒーのCMでも有名なトミー・リー・ジョーンズとは緊張感あるナイフ・バトルを見せつつ、最後は頭をナイフでブチ抜いた上にブン投げる最強っぷりを見せる。

映画は大ヒットし、実はアカデミー賞にもノミネートされた(音響編集賞、録音賞)。

さらに「本家『ダイ・ハード』の3が、実は船を舞台にしていたが、『沈黙の戦艦』と被ってしまったので、脚本のリテイクを余儀なくされた」など、映画の外でも大暴れ。アクションスターとして確固たる地位を手にして、90年代を暴れ回った。

自ら監督も担当した『沈黙の要塞』(1994年)、『沈黙の戦艦』の続編『暴走特急』(1995年)、悪役にあえて一発殴らせたあと「それがお前のベストか?じゃあ死ぬしかない」の名台詞が語り継がれる『グリマーマン』(1996年)、まさかの展開で観客を驚かせた『エグゼクティブ・デシジョン』(1996年)……これらの作品は地上波でもヘビーローテーションされ、日本でもセガール=最強の男というイメージがすっかり定着する。

この頃のセガールがアクションスターとしていかに脂が乗り切っていたか?当時のインタビューより抜粋しよう。

――そういえばアクション・シーンで初めてスローモーションを使っていますが、理由は?

「それはね、自分の技が早すぎて誰も見えないから(笑)。それはホントよ。だからスローモーションをかける必要があったんです」

【50~60代】映画の世界を飛び出すも、幻想は消えず!

充実のキャリアを送っていたセガールだが、しかし90年代後半から、少しずつ映画の世界から距離を置き始める。

『沈黙の断崖』(1997年)、『沈黙の陰謀』(1998年)など、主演作はあったものの、やはり『戦艦』ほどのヒットにはならなかった。

それはヒット作『DENGEKI/電撃』(2001年)の宣伝コピーが「『マトリックス』の制作者と共に、沈黙を破って、あの男が帰ってくる!」だった事からも伝わるだろう。

『電撃』はヒットしたものの、2000年代にセガールは映画の世界から少しずつ距離を置き始める。

正直、見ていて厳しい映画が増え、訴訟などのトラブルも増えた。そして出演作は劇場にはかからない中・小規模の作品が基本になり……と、普通なら過去の人になりそうなところだが、どっこい、セガールはそうならなかった

この頃からセガールは映画の外での活動を活発化させていく。

2005年には前述の核ミサイルを自腹で解体する離れ業を見せつつ、ミュージシャンとしてアルバム『Songs from the Crystal Cave』を発表。

実はセガールは1999年に、あのキング・オブ・ポップスこと故・マイケル・ジャクソンが韓国で行ったライブ「Micheal Jackson & Friends」に参加するなど、ミュージシャン活動も行っていたのだ。

マイケル・ジャクソンとも繋がりがあったのには驚くばかりだが、かつてギター青年だったセガールにとって、アルバムの発売は一つの夢が叶った瞬間でもあったのだろう(ちなみに同作にはスティービー・ワンダーも参加してます)。

さらに2010年代になると、今度は格闘家として注目を集める事件を起こす。舞台になったのは、総合格闘技の世界最高峰UFCだ。ここでセガールがリョート・マチダとアンデウソン・シウバという、文句なしの一流選手を指導したのである

当初は単なるパフォーマンスに過ぎないと思われていたが、この2人が2人とも、セガールに習った蹴りでKO勝ちを収めたのだ。世界中の格闘技ファンが震撼したのは言うまでもない。

こうした格闘家として活躍する傍ら、他にも保安官としての活動に(※保安官に密着するのではなく、セガール本人が保安官の仕事をしている)密着したドキュメンタリーを出したり、謎のエナジードリンク、その名も「スティーブン・セガールズ・ライトニングボルト」を発売しようとしたり、映画以外の仕事を多数こなす。

最近もベラルーシに行って大統領とニンジンを食べたり、ロシアに行ってプーチンに会ったり、日本に来て鈴木宗男に接近するなど、政治活動も活発化させている。もっともその活動が何にどう結びつくかは謎のままだが……。

音楽、格闘技、政治……もはや映画俳優という枠を完全に飛び出しているが、しかし一方でセガールは映画にも出続けている。

『沈黙の達人』(2019年)では久しぶりにシッカリ目のアクションをしてくれているが、楽しい現場でテンションが上がったのか、最後にはライブシーンがあったりと、こっちはこっちで謎度が深まっているのが実情だ。

駆け足でセガールのキャリアを振り返ってみたわけだが、やはりこの人が何者なのかはハッキリと分からない。セガールを覆っている「幻想」を解体するのは、今の私では不可能だ。

ただし、一つだけ言えることがある。それはセガールが青年の頃のままである、ということだ。ギターと武術への愛と、17歳で来日した行動力を失わないまま、セガールは好き勝手に生きている。これはこれで理想的な歳の取り方だと言えるだろう。

では最後は、個人的にセガールに関する情報で最も「幻想」に満ちている発言で本記事を終えたい。

一時期セガールは同じく幻想の塊であるアントニオ猪木と戦うという噂があった。この件について、前述の対談の中で大槻ケンヂ氏が藤谷文子氏に質問したところ、「もし猪木と戦ったかどうなるか?」について、セガールはこんなふうに答えたという。

「バカ言ってんじゃないよー!わたし、コロシチャイマスヨー!」
――発言年月不明

『映画秘宝 2008年8月号』
「大槻ケンヂの激突!パイパニック対談 第72回 藤谷文子」より引用

▽参考

・『刑事ニコ 法の死角』パンフレット

・『貴重なとき 私の合気道』(藤谷 美也子 著/ワイズ出版)

・『キネマ旬報 1994年5月上旬号』(キネマ旬報社)

・『映画秘宝 2008年8月号』(洋泉社)

イラスト/もりいくすお

300年続く日本のエンターテインメント「忠臣蔵」のマニア。

加藤よしき
加藤よしき

昼は通勤、夜は自宅で映画に関してあれこれ書く兼業ライター。主な寄稿先はweb媒体ですと「リアルサウンド映画部」「シネマトゥデイ」、紙媒体は「映画秘宝」本誌と別冊(洋泉社)、「想像以上のマネーとパワーと愛と夢で幸福になる、拳突き上げて声高らかに叫べHiGH&LOWへの愛と情熱、そしてHIROさんの本気(マジ)を本気で考察する本」(サイゾー)など。ちなみに昼はゲームのシナリオを書くお仕事をしています。

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