伊福部達博士の不屈の挑戦!! 福祉工学は高齢化社会を明るくするのか?

「♪チャランチャラン! ♪チャランチャラン! 緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください」

地震の初期微動をとらえ、注意をうながす緊急地震速報のチャイム音。テレビやラジオでこの音が聞こえてくると、反射的に身構えてしまう人も多いだろう。

実はこのチャイム音、福祉工学の第一人者として知られる伊福部達先生が開発したもの。

一時、Twitter上で「あの音はゴジラのテーマをもとにして作られたらしい」というまことしやかな噂が流れたことがあったが、果たしてこの噂は本当なのか?伊福部先生とは一体、どんな人なのか?

さまざまな謎を解決すべく、東京大学高齢社会総合研究機構(IOG)の伊福部先生の研究室を訪ねた。

緊急地震速報を解説するNHKのサイト
緊急地震速報を解説するNHKのサイト。チャイム音もここで聴くことができる。

緊急地震速報「♪チャランチャラン!」が誕生した理由

伊福部達先生
東京大学高齢社会総合研究機構(IOG)伊福部達先生

「あのチャイム音がゴジラのテーマから作られたというのは、事実ではありませんが、まったく関係ないかというと、そうでもありません」と、のっけに説明してくれた伊福部先生。

というのも、ゴジラのテーマの作曲者である伊福部昭氏は、伊福部先生の叔父にあたる人で、2007年にNHKから依頼されてチャイム音を開発する際、ゴジラのテーマは候補のひとつになっていたのだという。

最終的に選ばれたのは、映画「ゴジラ」が公開された年に発表された交響曲「シンフォニア・タプカーラ」の第三楽章だった。 交響曲「シンフォニア・タプカーラ」はアイヌの踊りをモチーフとした楽曲で、「タプカーラ」という言葉は「立って踊る」というアイヌ語から来ている。

そこで、音楽がもっとも激しい盛り上がりを見せる第三楽章から5音からなる二つの和音を導き出し、恐怖にかられた女性の「キャーッ」という叫び声やサルの鳴き声などの分析結果をもとに組み立てたのが、緊急地震速報のチャイム音の、あの印象的な不協和音なのだ。

ゴジラが伊福部博士と福祉工学を結びつけた

ゴジラと伊福部先生との結びつきは、実はこのときが初めてではない。

今から50年ほど前の1970年初頭、北海道大学・応用電気研究所のメディカルエレクトロニクス部門の研究室に大学院生として在籍していた伊福部先生が福祉工学の道に進んだのは、指導教授から「君は耳が良いようだから、聴覚の研究をしたらどうか」と薦められたからだという。

「当時、映画『ゴジラ』がシリーズ化され、あのテーマ曲があちこちで流れていました。叔父は北海道大学の出身でしたから、教授もそのことをよく知っていて、私の聴力も優れているに違いないと考えたのでしょう。実は、言われた本人にはそんな自覚は少しもなかったんですけど、断る理由もなかったので教授の言葉に従うことにしました。大学の近くに聾学校があって、聴覚障害の研究をしやすい環境でもありましたからね」

つまり、伊福部先生を福祉工学の道に進ませたのは、「ゴジラ」がきっかけと言っても過言ではないのだ。

福祉工学の前に立ちはだかる「2つの壁」とは?

そもそも「福祉工学」とは、失われたり衰えたりした感覚、脳の機能、手足の運動を機械で補助・代行する工学分野である。例えば補聴器や電動車椅子など、すでに私たちの身近な生活に密着しているものも多くある。

「英語ではアシスティブ・テクノロジー(assistive technology)と呼ばれ、人工心臓やペースメーカー、人工関節などの技術を生み出した医療工学と区別されます。というのも、医療工学、特に治療技術が『人間の改造』を中心とするのに対して、福祉工学は『人間の非改造』を旨としているからです。医療工学を進めるにはいつも、倫理的・人権的な問題が付きまといますが、福祉工学はそれに縛られず、身体機能を補完する役割を果たしているのです」と伊福部先生は説明する。

ところが、福士工学には「サイエンスの壁」と「マーケットの壁」という、2つの乗り越え難い壁があって、なかなか前に進んでいかないジレンマがあると伊福部先生は指摘する。

例えば、「震度6の地震に耐えられる住宅を作ろう」という課題には、物理学などのサイエンスの拠り所があって、計算をすれば答えが出てくる。ところが、「聴力が衰えた人の支援をする技術を開発しよう」という課題には、拠り所となるサイエンスがあいまいである。人間の『聴く』という機能には脳の働き全体が関わっていて、柱の強度を計算するようには答えは出てこないのだ。

「ですから、なかば当てずっぽうで研究を進めていかねばならないので、失敗が多いのです。とはいえ、その失敗は単なる無駄ではなくて、そこで生じた問題を基礎研究にフィードバックさせて新たな仮説を導く材料にしていく努力が求められます」

そうした地道な努力を経て「サイエンスの壁」を乗り越えたとしても、もうひとつの「マーケットの壁」が立ちはだかってくる。

「たとえ成功したとしても、それを製品化するにはマーケットが狭すぎるのです。現在、身体障害者手帳を持っている人は全国に430万人弱ほどいて、そこそこのマーケットがあるように見えるかもしれませんが、そのうち聴覚に障害がある人、視覚に障害がある人、話すことに障害がある人という具合に絞ればマーケットの規模はさらに小さくなります。大手メーカーはまず手を出さないし、仮に小回りの利くベンチャー企業が冒険心を奮い起こして製品化に踏み出したとしても、必要な人が気軽に手を出せない、高額なものになってしまうのです」

サイエンスの壁、マーケットの壁という2つの壁を乗り越える困難さを、伊福部先生の実際の研究から見ていくことにしよう。

指で聴く装置「触知ボコーダ」は、麻雀の盲パイから生まれた

1975年、伊福部先生は北海道大学の近くにあった聾学校の協力のもと、指で聴く装置「触知ボコーダ」を製作した。

「人間の聴覚は、魚の横腹にある側線器と呼ばれるセンサーが起源といわれています。魚の側線器は、水の流れや自分の動きを把握するための重要な感覚器で、人間の聴覚では内耳の蝸牛管に収められました。この『触覚から聴覚が発生している』ということを拠り所として、アメリカの聴覚生理学者であるベケシーの先行研究などを参考にしながら基礎研究を進めていきました」

この基礎研究が何ともユニークなのは、麻雀の「盲パイ」に着目したところにある。

「盲パイとは、麻雀の牌を指でつまんで自分のところへ持ってくるとき、牌の表面に指をすべらせて何の牌であるかを当てるテクニックです。当時の学生にとって麻雀はもっともポピュラーな娯楽でしたから、『盲パイの達人』と呼ばれる学生を集めることは非常に容易でした」

実験では、そうして集めた学生4人に目隠しをして、箱の中の136個の牌から1個の牌をとって、それが何の牌であるかを答えさせるということをくり返し行った。

「端から見れば、単に麻雀に勝つための特訓をしているようにしか見えないので、学会に発表することなどできませんでしたが、この実験からいくつもの興味深い知見が得られました。というのも、指を牌に当てたまま動かしてはいけないという指示を出したり、指を動かす方向を従来とは逆にさせたりすると、盲パイの識別率は極端に下がるのです。さらに、ビデオ画像の分析から、指の最適移動速度は1秒間に3cmであることもわかりました」

「触知ボコーダ」研究は、なぜ頓挫してしまったのか?

指で聴く装置「触知ボコーダ」は、こうした基礎研究の成果を受けて完成した。

外観は、マッチ箱くらいの大きさの箱の上にあるプレートには、1mm間隔で16行、3mm間隔で3列の穴があいている。人が話し言葉を理解するために必要な200~4400Hzの周波数成分を16分割し、それぞれの成分は16行の振動子に割り当てられる。さらに、その上に付いているピンに振動が伝わり、ピンの振動は穴を通じて指先に伝わるようになっている。

つまり、この「触知ボコーダ」に指先を当てることで、音の周波数の高低を感じとれるようにしたわけだ。

「さっそく、聾学校に装置を持ち込んで、聾児たちに使ってもらうことにしました。すると、聾児たちの何人かが『聞こえる』という反応を示したのです」

「触知ボコーダ」はその後、聾学校で半年間にわたり実験的に使用され、その様子は「指できいたアイウエオ」というタイトルでNHKのドキュメンタリーTV番組として紹介された。また、これを製品化して活用する方法を追求する研究会が発足されるなどの盛り上がりを見せたが、残念ながら全国の聾教育に使われることはなかったという。

「マーケットの壁が大きかったですね。賛同してくれたメーカーが3年くらいかけて製品化しようとしていましたが、どう頑張っても1台74万円という高い製品にしかなりませんでした」

30年以上の時を経て、「触知ボコーダ」開発は再び動き出した

ところがそれから20年以上の時を経た1998年。スウェーデンの研究者による、ある発見の報が入る。

「後天的な聴覚障害者の指先に触覚の刺激を与えると、大脳左半球の聴覚領域が活性化していることが報告されたのです。脳の計測技術の進化を受けて発達した脳神経学は、触覚を利用した感覚代行という研究に一筋の光を照らしてくれたのです」

この発見を受けて伊福部先生は、2000年から再び「触知ボコーダ」の開発に取り組んでいる。新しい装置では、旧装置では表現できなかった声の高さも振動刺激で提示できるようになっていて、より複雑な音声の再現を目指しているほか、コンピュータとバッテリーを一体化することにより、掌にのせて使えるようになった。

そして「触知ボコーダ」が生んだひとつの奇跡

そんな新「触知ボコーダ」を製作していたころ、ひとりの社会人の大学院生が伊福部先生の研究室を訪ね、こんな相談を持ちかけてきた。

──私の知り合いに40歳のときに盲ろうになった方がいるんです。その方は三味線と謡の師匠をしていたんですが、67歳になって最近、もう1度歌をうたってみたいと打ち明けてくれたんです。何とか手助けをしてあげたいのですが。

盲ろうとは、視覚と聴覚の重複障害者のこと。歌は、目は見えなくてもうたえるが、耳が聞こえないとなると、自分がどの音程を発声しているかわからないのでむずかしいだろう。かなりの難題だが、伊福部先生の研究に興味を抱いていたその大学院生の願いに挑戦することにしたのだという。

「新たに開発した『触知ボコーダ』には、歌のドレミファの音程をひとつ1つ振動に変換して、自分の声の高さを確認できる機能も付け加えました。果たして指先の振動と、自分の声の音程との関係をすぐに理解できるものかと半信半疑でしたが、その盲ろうの女性はわずか30分程度の訓練で『夕焼け小焼け』などの童謡をうたえるようになったのです」

伊福部先生はこの結果を受け、「発声→触覚→言語中枢→発声」という情報の流れが脳内に再構築されたのではと、考えている。

「福祉工学は、サイエンスの壁とマーケットの壁という2つの困難をつねに突きつけられますが、あきらめずに道を進んでいけば成果に結びつくことがある。触知ボコーダの研究では、あらためてそのことを学んだ気がします」

内藤 孝宏
内藤 孝宏 フリーライター・編集者

「ボブ内藤」名義でも活動。編集プロダクション方南ぐみを経て2009年にフリーに。1990年より25年間で1500を超える企業を取材。また、財界人、有名人、芸能人にも連載を通じて2000人強にインタビューしている。著書に『ニッポンを発信する外国人たち』『はじめての輪行』(ともに洋泉社)などがある。

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