「人生100年時代」と言われる今の時代。ところが、寿命をまっとうする以前に多くの人に「健康寿命」が訪れ、体や精神がままならない晩年を過ごすことが一般的だ。
どうせなら死ぬまでいきいきと暮らしたい。そのためには、会社を退職しても、家族と死別しても、絶えず居場所や生きがいを持つことが重要だと言われている。
そんなとき、何かの趣味に熱中し、そこに居場所を見つけた人の生き方は、人生100年時代を楽しく過ごすヒントになるのかもしれない。
今回は、紙飛行機の聖地・武蔵野中央公園で活動する「倶楽部原っぱ」会長の風祭さんにお話を伺いました。紙飛行機の愛好家はシニアが多く、いくつになっても楽しめる大人のホビーとして知られています。大人を夢中にさせる紙飛行機の魅力とは?
――先ほど紙飛行機が飛んでいるのを見て、あんなに優雅に飛ぶものかと感動しました。子供の頃に遊んだ折り紙の紙飛行機とは、まったく別物なんですね。風祭さんはどんなきっかけで紙飛行機の世界を知るようになったんですか?
私も子供の頃に折り紙や発泡スチロールの紙飛行機で遊んだ程度で、本格的な紙飛行機を知ったのはずっと後のことでした。
今から20年ほど前、地元の練馬区で青少年育成のボランティア活動をしていたんですね。小中学生が集まってキャンプやハイキングなどの集団行動を通してリーダーを育成するプログラムだったんですが、次はどこでやろうか?と実施場所を探していたんです。
そこで小金井公園に下見に行ったところ、紙飛行機を飛ばしている人がいて、それが目を見張るほど飛んでいたんです。興味を惹かれていろいろ聞いたところ、ユザワヤに紙飛行機キットが売っていることを教えてもらいました。
後日さっそく紙飛行機キットを買いに行き、今度は、どこで飛ばそう?となったんです。キットの説明書に「日本紙飛行機協会」とあったのでHPを見たところ、武蔵野中央公園が紙飛行機の聖地だということがわかりました。「どうせ飛ばすなら聖地で飛ばそう」と思って、武蔵野中央公園を訪れたのがきっかけでしたね。
――初めて紙飛行機を飛ばしてから、どんなふうにハマっていったんでしょう?
公園で飛ばしていたとき、昔から紙飛行機をやっているベテランの方と会ったんです。「うまく飛ばない」と話すと、その人がいろいろ教えてくれたんですね。
今もそうなんですけど、紙飛行機の世界には初心者にやり方を教えてあげる風潮があるんです。長く飛ぶようにする調整を教えたり、初心者向けのキットを教えたり、人によってはいらなくなった機体をあげたりして、すぐに仲良くなるんですよね。
――初心者がいきなり飛ばしても、そんなに飛ばないものですか?
飛ばないです。10秒くらいでOKというのであれば、飛んだと言えますけど、上手く飛ばせば1分くらいは飛ぶものなんですね。
私が初めて公園で飛ばしたときも、羽根が真っすぐになっていなかったらしく、くるくる回って落ちてばかりでした。それがベテランの人がちょこちょこっと羽根を調整すると、その日のうちに1分くらい飛ぶようになって驚きましたね。
ところが、後日、同じ紙飛行機を飛ばしても、あんまり飛ばなかったんです。きちんと作られていない紙飛行機というのは、ちょっとしたことでバランスが狂ってしまうんですよね。
――「もっと長く飛ばしたい」といろいろ工夫するうちに夢中になっていったわけですか。
今日飛んだのに次の日は飛ばない。20秒だったのが30秒飛ぶようになっても、上には上がいる。最高1分を目標にさらに上を目指していくと、意外と奥が深いことがわかってきて、どんどん夢中になっていきましたね。
それからは公園でいろんな人に話を聞いて、作り方や調整について教えてもらいました。人それぞれ考え方やこだわりが違っていて、信憑性のない情報もいっぱい教えられましたけど、とりあえずはやってみるという感じで、いろいろ試しましたね。
――武蔵野中央公園が、紙飛行機ファンの交流の場になっているわけですね。
公園に行けば、誰かしら紙飛行機を飛ばしている人がいるので、彼らに教えてもらえるというのもあって公園に行ってましたね。
翌週また公園に行って、その帰りに全国大会に参加できる機体を買って、次の週も公園に行くというふうに、その後は毎週のように武蔵野中央公園に通うようになりました。
夏は朝9時に公園へ来て、コンビニで弁当を買って公園で昼食をとり、午後は4時か5時頃まで飛ばして、家に帰っても紙飛行機を作るという日々で、一時期は頭の中が紙飛行機ばっかりでしたよ(笑)。
――原っぱという開放的な空間がまたいいですよね。大人も童心に帰って人と打ち解けられる感じがしますし、緑があって健康にも良さそうです。
公園で紙飛行機仲間と交流するのが楽しいんですよね。「俺のやり方のほうがいい」というふうに互いにけん制し合うようなところもありますけど、基本的にわからない人には教えてあげるフレンドリーな雰囲気なので、若い世代もお年寄りも一緒になって楽しんでます。
健康に関しては、紙飛行機を飛ばすと必ず拾いに行かなければいけないので、1万歩くらいは普通に歩きます。定年後、家でゴロゴロしていてもしょうがないということで、公園に散歩に来たのがきっかけで紙飛行機を始めた人もいますし、「糖尿病が治った」という人もいます。あとは作るときに手先を動かしますから、ボケ防止にもオススメです。お金もほとんどかからないので、年金生活者にとってはいい趣味だと思いますね。
――紙飛行機クラブ「倶楽部原っぱ」の会長を務めてらっしゃいますが、これはどんなクラブなんでしょうか?
私が紙飛行機を始めた当時、武蔵野中央公園を拠点とするクラブに「武蔵野ペーパープレーンクラブ」と「倶楽部原っぱ」の2つがあったんです。当時は両方のクラブに入っている人がほとんどだったので、私もすぐに両方入りました。武蔵野ペーパープレーンクラブは入会金が必要でしたが、倶楽部原っぱは会費がないので、競技会に出場すると自然とクラブに入会するかたちでした。
当時は武蔵野ペーパープレーンクラブの方が主流だったんですが、今は倶楽部原っぱだけが残り、日本で一番大きいクラブになっています。
武蔵野中央公園は高校野球でいうと、甲子園みたいなところなんです。ここで飛ばすことがひとつのステータスになっているため、地方の会員もたくさんいます。武蔵野中央公園に来ることがなくても、会報で紙飛行機の情報を得るために会員になっている地方の会員もいっぱいいて、私が入会したときは、200人以上会員がいたという話です。
――武蔵野中央公園は、もともと戦闘機工場の跡地だったそうですね。不思議な縁を感じさせますが、戦闘機と紙飛行機に何かつながりはあるんでしょうか?
かつて東洋最大の航空機メーカーだった中島飛行機のエンジン組立工場がこの場所にあって、ゼロ戦などのエンジンを作っていたそうです。戦後は米軍の管理下にあったんですが、それが70年代に返還されたんですね。
ただし、それは公園の由来みたいなもので、紙飛行機の聖地となったきっかけは、紙飛行機の世界大会でも優勝した工学博士の二宮康明先生なんです。
その当時、二宮先生は公園のそばの日本電信電話公社(※現在はNTT東日本)に勤めていて、昼休みにここへ来ては紙飛行機を飛ばしていたそうです。その後、米軍からこの場所が返還されることになり、都議会議員と一緒に「紙飛行機が飛ばせる公園にしてほしい」と東京都に掛け合って、原っぱの公園を作ってもらったそうです。それで紙飛行機の公園ということになっているんですね。
――二宮先生は全国大会「二宮杯」の名称にもなっていて、日本の「紙飛行機の父」とも言うべき人ですよね。
現在は日本紙飛行機協会の会長をされていて、倶楽部原っぱにも顧問として関わってくれています。96歳なので自力歩行が困難になり、さすがに公園に来ることはありませんが、隣の三鷹市在住なので、たまに二宮先生のご自宅に伺って紙飛行機や公園の報告をするようにしています。
――風祭さんは二宮杯で何度も優勝していますが、これまでの競技歴を教えてください。
紙飛行機を始めた2002年から二宮杯に挑戦しました。最初の年は予選ギリギリで通過するくらいだったんですけど、翌年の全国大会でたまに予選1位のタイムを出したりしていて、最終的には2位通過だったんですが、その後しばらく予選1位が続きました。
3年目から自分で紙飛行機を作る自由設計機部門に切り替えたんですが、たまたま運が良かったのか、優勝してしまったんですね。
――3年目で優勝というのもスゴくないですか?
小さい競技会で新人が優勝することはありましたけど、全国大会で優勝するのは異例のことでしたね。それから地方の予選会や大会に行くと、「3年目で全国優勝した風祭っていうとんでもねえやつが出てきたらしい」と噂になっていて、全国に私の名が響き渡っていたという(笑)。
二宮杯と並んで有名な大会として「木村杯」というのがあるんですよ。こちらは航空機研究者の木村秀政先生が日本大学理工学部長を務めていたことから、日大の学生たちの主催で年2回開催されているんですが、自由機種では一番レベルが高い競技会とされていて、全国各地から我こそは!という人が集まってくるんです。
昔は二宮杯の自由設計機部門で優勝しても、「木村杯で優勝しなきゃ意味がない」とよく言われたものです。それが悔しくて出場したんですが、最初はなかなか勝てなかったですね。だけど、2007年に初めて優勝してからは、私しか優勝しないくらいになって、その後は5連覇を果たしました。
――競技会に出場することが紙飛行機の目標になってくると思うんですが、いいタイムを出すコツを教えてください。
上昇気流をつかまえることが一番ですね。
最初はわからないと思いますが、だんだん慣れてくると感じ取れるようなってきます。わからない場合は、他の人が飛ばしているのを見て、紙飛行機がふわっと浮いたら、そこがチャンスです。上昇気流が消えないうちにそこで飛ばせば、初心者でもMAXの60秒は出せると思います。
もうひとつのコツとしては、高く上げることです。高く上げると上昇気流に乗りやすくなるので、高い方が有利なんです。
――同じ機種で競った場合、どういったところで差が出るものなんですか?
調整の違いで差が出ます。重心を前に置く人もいれば、後ろに置く人もいますし、本物の飛行機と同じように羽根に湾曲をつける人もいます。私は信じていませんが、そこに空気が当たって浮きやすくなるというわけです。
ただし、一番のコツはやはり高く上げることで、羽根に湾曲を付けると高く上がる前に宙返りしがちなんです。そのため羽根を真っ平にしようとする人も多いんですけど、そうすると今度は湾曲がないから、すーっと落ちてしまう。古くからやっている人は、高く上がらなくてもいいから、湾曲をつけて浮かそうとしますね。
自由設計機にしても、最小18cmという規定をクリアすれば大きさは自由なんです。大きめに作れば、当然、羽根も大きくなって浮きが良くなります。そうすると今度は、飛ばすときに空気抵抗が大きくなって高く上がらない。結局、どっちを取るかなんですよね。
――奥が深いですね。これから紙飛行機をやってみたいという人は、どんなところから入っていけばいいでしょうか?
入門用の紙飛行機キットで「スカイカブ3」という機体があります。作り方も簡単で値段も安いので、これが一番入門に適しています。競技会では「規定1」の部門になり、この機体を覚えると、他の機体にも活かせます。
「ホワイトウイングス」というシリーズのひとつなんですが、紙飛行機を教えてくれた人から「ホワイトウイングスをきっちりやらないと上手くならない」と言われて、私も最初の2年間はびっちりやりました。
クラブに入って情報を得るのもいいと思いますね。北海道から九州まで全国各地にクラブがあって、東京だと武蔵野市の「倶楽部原っぱ」、葛飾区の「みずもと紙飛行機クラブ」、江東区の「紙飛行機サイエンス」の3つのクラブがあります。近くのクラブを探すのもいいですが、初心者が始めるには、倶楽部原っぱが一番いいと思っています。うちに入れば、作り方から飛ばし方まで全部教えますから手っ取り早いと思いますね。
――あらためて紙飛行機の魅力をどんなところに感じますか?
一番良かったことは、人との交流が広がったことですね。
私が始めた頃は、各地で全国大会が開催されていたので、名古屋、大阪、北海道、石川、青森、福岡など、いろんな所へ行きました。紙飛行機が縁になって、日本全国に共通の趣味を持った友達がたくさんできたんです。
全国大会のときしか会わない人もいるけど、久々に会ってもしょっちゅう会っているような感じで話せるんです。年上も年下も世代を超えて交流できることが楽しいですよね。
二宮先生が高齢のため移動が困難になったことで、何年かは武蔵野中央公園で二宮杯が開催されていたんですけど、近年では2018年に岐阜県知事に招かれ、かかみがはら航空宇宙博物館で二宮杯を開催しました。岐阜県は自由設計機のツワモノが関西、関東から集まってくるのでレベルが高かったですね。
――いつも優勝を競っているようなライバルはいるんですか?
3人います。秋田県の人、長野県安曇野の人、三重県の人なんですが、毎回全国大会で顔を合わせるので、彼らも私のことをライバル視していると思います。みんな180cmくらいあって、私だけ小さいんですよ。背が高い方がリーチがあって高く上げるのに有利なんですよね。「こんな人たちと戦っていかなきゃいけないのか」ってよくぼやいてます(苦笑)。
かといって、バチバチに敵対しているわけでもなく、お互いに情報や紙飛行機を交換し合ったりして仲良くやってます。まあ内心では、「絶対に負けられない」という気持ちもあるかもしれませんけど(笑)。
――紙飛行機は何歳になってもできる趣味ですから、今後20年は楽しめそうですね。
80代になっても飛ばしている人がいっぱいいますからね。当然、体力的に衰えてきたら今みたいにはできないんでしょうけど、健康に気をつかって少しでも長く続けたいと思っています。
――本日はありがとうございました!
週刊求人誌、月刊カルチャー誌の編集を経て、2000年よりフリーランスのライター・編集者として活動。雑誌、書籍、WEBメディアなどでインタビューや取材記事、書評や企画原稿などを執筆。カルチャー系からビジネス系までフィールドは多岐に渡り、その他、生き方ものや旅行記など幅広く手掛ける。全国津々浦々を旅することがライフワーク。著書に矢沢ファンを取材した『1億2000万人の矢沢永吉論』(双葉社)がある。
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