「人生100年時代」と言われる今の時代。ところが、寿命をまっとうする以前に多くの人に「健康寿命」が訪れ、体や精神がままならない晩年を過ごすことが一般的だ。
どうせなら死ぬまでいきいきと暮らしたい。そのためには、会社を退職しても、家族と死別しても、絶えず居場所や生きがいを持つことが重要だと言われている。
そんなとき、何かの趣味に熱中し、そこに居場所を見つけた人の生き方は、人生100年時代を楽しく過ごすヒントになるのかもしれない。
今回は特許や実用新案に出願する“発明”にスポットを当ててみました。発明歴44年の吉村さんは、9年連続で発明コンクールに入選し、商品化も実現した市井の発明家。知られざる発明愛好家の世界とは?
――発明学会が主催する「身近なヒント発明展」に9年連続で入選し、発明学会の会員の中でも「レジェンド発明家」の一人とされているそうですね。かなり昔から発明をされているそうですが、発明を始めたきっかけを教えてください。
若い頃から不便を感じたときにアイデアがひらめくことがあったんです。
たとえば20歳くらいの頃は、爪切りにビニールテープを巻いて爪が飛ばないように工夫していました。それから2、3年後に爪飛び防止のケース付き爪切りが普及して、あのとき自分で商品化しておけば……という思いがあったんですね。
それから木工職人の仕事をしていた30歳前後の頃、ビスを千本くらい締めなくてはいけない作業があったんです。まだ電動ドライバーがない時代でしたから、手で全部締めるのがとにかく大変でした。何かいい方法はないかと考えて、回転が遅い電動ドリルに短く切ったドライバーを取り付けてビスを締めてみたところ、これが非常に早く、楽にできたんです。
このときも2、3年後に電動ドライバーが発売されて、あのとき特許の取り方を知っていれば……という後悔があったんです。
――なるほど、アイデアがひらめいても、どうしていいかわからなかったわけですか。
「仕事が上手くいった」と満足して終わってましたね(苦笑)。
それでまず特許の取り方を知る必要があると思って、仕事帰りに駅前の書店で特許関係の本を探してみたんです。そしたら発明学会の初代会長さんの著書で『5時間で書ける特許明細書』という本があったんですよ。
長年知りたかった特許のことがついにわかると思うと、もううれしくてね。書店から家に帰るまでの道のりが、やけに長く感じたのを覚えています(笑)。
――その本との出会いが、発明のスタートだったんですね。
本を読むと、特許明細書は手紙みたいな感じで書けばいいということで、費用も出願だけなら数千円の印紙代くらいしかかからない(※出願後、審査請求の費用が別途必要)。当時は仕事が忙しくてなかなか時間が取れなかったですから、これなら自分でも特許が取れそうだと思って、さっそく特許庁に手紙を出すことにしました。
――初めての出願は、どんな発明だったんですか?
手すりの下にブラケットという金具が付いてますが、これがどうも体裁が悪いので、見栄えが良くなるようにブラケットを改良したのが最初です。一応は実用新案の出願をしましたけど、返事があるわけでもなく、そのまま立ち消えになった感じでしたね。
――それから発明に目覚めて、どんどん出願するようになっていったわけですか。
その本で発明学会が「日曜発明学校」を開催していることを知って、さっそく会員になって参加するようになったんです。当時は特許や実用新案の出願書類の書き方を学ぶ半年間の通信講座があったので、それも受講しました。
――アイデアの生み方というより、出願書類の書き方を重点的に学ぶ感じですか?
そうですね。特許や実用新案の書類作成は勉強しないと難しいと思います。
書類の書き方は、何度も書いて練習しないとなかなか身に付くものではないので、当時は出願するために発明していたようなところがあります。そんな感じで3~4年くらいは毎年4件くらい出願していましたね。
――アイデアが浮かんでから出願までは、どんな流れになるんでしょう?
私の場合、まずアイデアが浮かんで、イケそうだとなったら、その段階でデザインを考えます。デザイン的に収まらないと商品化できませんから、まず試作を作ってみる。それから発明学会やメーカーの勉強会で試作を見てもらって意見をもらうんです。
出願書類は、構造が決まってからですね。書類を書くにあたって、過去に同じような出願がないかを特許庁のサイトで調べます。私は人と発想が違うのか、めったにアイデアがかぶることはないんですけど、たとえあったとしても、それより優れた構造であれば出願します。
――普通の人の場合、まず試作づくりがハードルになりますが、吉村さんの場合、もともと木工職人のお仕事をされていて、試作づくりはお手のものだったようですね。これまでの仕事遍歴を教えていただけますか?
家業が神戸で木工所を営んでいたんです。神戸は洋家具の技術が日本でもっとも発達していて、中でも親父は日本一と言われる椅子職人でした。兄貴が木工所を継いで、私も二十歳の頃から木工職人として仕事をしていました。
それから事業内容が変わって、住宅の作り付け家具を製作するようになったんです。建築現場で寸法を測って工場で家具を作り、それを現場に運んで取り付けるという仕事です。ところが、跡継ぎがいないということで、バブルが弾ける直前に会社を整理することになったんです。
その後、47歳のときに知り合いのステンレスの加工会社に入って金属設備設計の仕事をするようになり、定年を過ぎてからも再雇用で70歳まで仕事をしていました。
――近年は、発明を趣味とするシニア発明家が増えているみたいですね。
定年後から始めたというより、昔からやっている人が多いんじゃないかと思いますね。
私の場合、「仕事と趣味は絶対に両立できる」という信念があって、定年後から趣味を始めるのでは遅いと思っていました。定年を迎えたときには全力で趣味に打ち込めるくらいのレベルに持っていきたいと思って活動していたので、定年を迎えるのが楽しみでしたね。
現役時代は、限られた時間の中で発明していたので、ひとつのアイデアを完成させるまでに何年もかかっていましたけど、定年後はたっぷり時間があるので、たくさん試作を作ったり、短期間でアイデアを形にできたりします。仕事を辞めた後のほうが忙しいくらいですよ(笑)。
――どんなときに発明のアイデアが浮かぶものですか?
私の場合、困ったときがスタートです。
たとえば顔を洗ったり石鹸で手を洗うとき、水が出しっぱなしになってもったいないですよね。そこで考えたのが、水道の節水装置が付いたレバーです。最初に考えたアイデアはまったく話にならないような方法で、そのまま何年も手つかずだったのですが、2年ほど前にあらためて考えてみたところ、いい方法を思いつきました。そうやって時間を置くと、頭の中がリセットされて違う角度からアイデアが浮かぶこともありますね。
――アイデアを生むには、視点を変えてみることが大事なんでしょうね。
大事です。その代表的な発明が、万年筆型のホッチキスです。
普通のホッチキスは下に板があって、上から針がきますよね。三層になっているからホッチキスが大きくなる。そこで視点を変えて、前方から針がくる構造にすることでホッチキスを万年筆のように細くしました。
このホッチキスを企業に売り込んだところ契約に至り、開発部が設計を開始しました。ところが、某メーカーが契約の1カ月後に細長いホッチキスを発売したんですよ。ただし構造はまったく違っていて、私が考えた構造は特許性があるのに対し、向こうは普通のホッチキスをただ細長くしたものでした。だけど、購買部から「これを真似たと思われると売りにくい」という反対意見が出たことで、商品化は実現しなかったんです。
――やはり目指すゴールは商品化ですよね。商品化してくれそうなメーカーはどうやって探すものなんですか?
そこが一番大変なんですよ。
私の場合、社長さん宛に売り込みの手紙を出すのですが、大手よりも中小企業にあたるようにしています。たとえば節水装置だったら、住宅設備の大手ではなく、水栓器具など付随するものを作っている企業を探すんです。そうした会社の方が可能性があるように思いますね。
――発明に挑戦したいビギナーにアドバイスをお願いします。
「こういうものがあったらいいな」というアイデアが浮かんだら、まず試作を作ってみることです。試作を作ってみないと、そのアイデアがいいのか悪いのかもわからない。いろいろ考えるよりも試してみて、上手くいかなければ、そこからまた改良の方法が生まれてくるものです。これは企業の開発部門も我々も同じです。
――発明歴44年になりますが、これまで何点くらい出願されているんですか?
実用新案や特許、意匠登録などで出願しているものが50点以上あります。
――そのうち商品化までいった発明というと?
最初に商品化されたのが「アニマルクリップ」と「飾りが動く定規」、それから2018年に商品化された「錠剤出取(ダッシュ)」の3点です。
その他にメーカーが商品化を進めているものが数点あります。一番進んでいるのが「新幹線用ハンガー」。さらに、これに鍵を付けて眠っている間に服を盗られないようにした「熟睡!新幹線用ハンガー」は、業者に鍵の加工の見積もりを出してもらっているところです。それから「折り畳み椅子用荷棚」の商品化も進められています。
最初に商品化された「アニマルクリップ」は、文具などの樹脂成型を受注している会社に求められて考案したものなんですけど、毎月6万個売れたそうです。
――ということは、何十万個も売れたわけですか! 特許料でかなり潤ったのでは⁉
ところが残念なことに、構造的に弱いところがあって樹脂が割れる商品が出てきたんです。それで半年くらいで製造がストップしてしまったんですね。
――よく特許で「●千万円儲かった」という話を聞きますが、売上の何パーセント入るといった相場はあるものなんですか?
だいたい3%が相場ですね。ただし、製造メーカーと契約するわけですから下代の3%になります。売値の3分の1くらいになるので、100円の商品なら下代30~40円の3%。私は爆発的に儲かったという経験はないけど、中には数千万円儲かったという人もいると思いますよ。
――「一発当てたい」という理由で発明に挑戦する人もいるかと思うんですが、吉村さんはそれが目的ではない?
そりゃお金が入ってくるに越したことはない(笑)。だけど私は創ること自体が好きなんですよ。
一番楽しいのは、ここが不便だな……と感じて発明のテーマが見つかったとき。
そうやって方向性が決まると、次に試作づくりを始めるわけですが、これがなかなか上手くいかない。試作の段階でしょっちゅう壁にぶつかるんですが、改良を重ねるうちにだんだん質が上がってくることが、また楽しいんですよね。
――「困りごとが見つかったとき」が一番楽しいわけですか。「必要は発明の母」という諺がありますが、吉村さんの場合、「困りごとは発明の母」ですね(笑)。
そうですね。何か困ったときにアイデアが出てくることが本当に多い。
あとは追いつめられて切羽詰まったときにアイデアが出てくることもよくあります。たとえば発明家仲間や企業の勉強会があると、手ぶらじゃ行けないじゃないですか。それで切羽詰まってアイデアを考えると、不思議とアイデアが出てくるものなんですよ(笑)。
――発明の勉強会というのは、どういった集まりなんですか?
発明学会の日曜発明学校に参加していろんな人と顔馴染みになると、次の段階として勉強会があります。それぞれの地区に発明家仲間が集まる小さな団体があって、私は3つのグループに入っています。先日も日曜発明学校の後、新宿で集まる10人ほどの勉強会に参加しました。それから企業の勉強会というのがあって、それはレベルが高くて面白い。いずれも勉強会の後に飲み会があるんですが、同じ趣味仲間と飲むのが楽しいですよね(笑)。
一人で発明していると途中で挫折しがちですが、勉強会に参加することで、友達ができて交流が広がるし、やる気が出たりします。そういう意味ではすごくプラスになってますね。
――最後にあらためて、発明の醍醐味を聞かせてください。
なぜ発明が面白いかというと、たとえ書類上のことだとしても、同じアイデアを考えた人は他にいないわけですよね。それを形にすることが愉快なんです(笑)。
最近はますます発明が楽しくなってきました。なぜかというと、堂々と「発明をやっている」と言えるようになったことが大きい。以前は発明を趣味にしている人が少なかったし、一攫千金を狙っていると思われそうで、人前で言いにくかったんです(苦笑)。
よく発明で大儲けしたという話を聞くけど、実際はなかなかそうなるものでもない。それはそれで夢として取っておいて、発明を続けること自体が楽しいですよね。
――本日はありがとうございました!
週刊求人誌、月刊カルチャー誌の編集を経て、2000年よりフリーランスのライター・編集者として活動。雑誌、書籍、WEBメディアなどでインタビューや取材記事、書評や企画原稿などを執筆。カルチャー系からビジネス系までフィールドは多岐に渡り、その他、生き方ものや旅行記など幅広く手掛ける。全国津々浦々を旅することがライフワーク。著書に矢沢ファンを取材した『1億2000万人の矢沢永吉論』(双葉社)がある。
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