定年後は「歩き遍路」が生きがい。77歳お遍路さんが語る、6巡しても尽きない四国遍路の魅力

「人生100年時代」と言われる今の時代。ところが、寿命をまっとうする以前に多くの人に「健康寿命」が訪れ、体や精神がままならない晩年を過ごすことが一般的だ。

どうせなら死ぬまでいきいきと暮らしたい。そのためには、会社を退職しても、家族と死別しても、絶えず居場所や生きがいを持つことが重要だと言われている。

そんなとき、何かの趣味に熱中し、そこに居場所を見つけた人の生き方は、人生100年時代を楽しく過ごすヒントになるのかもしれない。

今回は、四国遍路の著作を2冊持つ東京在住のお遍路さんにお話をお聞きしました。歩き遍路で6回、四国八十八カ所を巡礼したという何度行っても尽きない四国遍路の魅力とは?

今回のtayoriniなる人
お遍路ファン歴31年/武田喜治さん(77歳)
お遍路ファン歴31年/武田喜治さん(77歳) 1943年奈良県生まれ。大学卒業後、政府系金融機関に勤務し、各地に転勤。四国在勤中に遍路と出会い、マイカーで3回にわたって四国遍路を重ねる。定年退職後、念願だった歩き遍路に挑戦し、現在6巡目。「東京歩き遍路交流会」事務局長。著書に『遍路で学ぶ生きる知恵―四国八十八か所札所めぐり』(小学館スクウェア)、『四国歩き遍路――気づきと感謝の旅』(大法輪閣)がある。

定年後、自由な時間ができたことで念願の歩き遍路に挑む

――お遍路との出会いは、四国に転勤したことがきっかけだったそうですね。政府系金融機関に勤めていたそうですが、転勤が多いお仕事だったのですか?

武田

13回転勤しましたからね(笑)。北海道・本州・四国・九州、すべての地域に2回ずつ転勤しました。お遍路に出会ったのは、2度目の四国転勤となる高松に勤務していた頃です。

――どういった経緯でお遍路に興味を持ったのですか?

武田

高松に転勤したのは46歳の頃でした。融資の審査をする仕事に、とてもやり甲斐を感じていたのですが、長年にわたり、ずっと残業、残業の毎日を送っていました。46歳というと、人生の下り坂を感じはじめる年齢ですよね。自分の人生を振り返ってみたとき、毎日忙しく働いてきたわりには、あまり手ごたえが感じられなくて、どうしてだろう?と自分に問いただしたんです。

そこで出た結論が、「仕事に振り回されている」ということ。

それに気づいてから「仕事は勤務時間内に行うもの」と定義して、残業は一切やめると決めたんです。率先して自分が定時で帰るようにして、職場のみんなにもそうするよう提案したところ、賛同を得られました。そのかわり勤務時間内に密度の濃い仕事をしようという考えです。

17時以降は仕事以外のことに時間を使うようにして、会社帰りに「人間・空海を語る」というNHK文化講演会に行ってみたんです。それがお遍路に興味を持つきっかけでした。今までどおり残業していたら、お遍路との出会いもなかったでしょうね。

――弘法大師・空海の話を聞いて、どんな影響を受けましたか?

武田

お大師さんの生き方や考え方を聞いて、これまでの自分の生き方が全部、否定されたような気持ちになりましたね。わけのわからないことにこだわってみたり、本当は価値のないものに価値があると思い込んでみたり、ずっと自分は馬鹿げたことに捉われていたのだと感じました。

――空海の教えをどんなふうに受け止めたんでしょうか?

武田

まず第一に“こだわるな”ということです。般若心経に「色即是空 空即是色」とありますが、一切は実体がなく、不変なものはないということで、般若心経は繰り返し“こだわるな”と強調しています。そう考えると、今までこだわってきたことの根拠もなくなるわけですよね。こだわりというのは、その人の本性みたいなものだけど、こだわりを捨てると、心が軽くなって物事の本質が見えてくるものだと思います。

もうひとつは、“実践”の大切さです。頭で考えているだけでなく、実践してみないと物事は見えてこない。思いついたら理屈抜きに「実践しなさい」というのが、お大師さんの考え方だと思いますね。

それまで私は仏教的なものにほとんど興味がなかったんですけど、お大師さんの生き方や考え方に共感して、車で四国八十八カ所を巡る実践を始めたんですよね。

四国遍路の著作を2冊持つ武田さんだが、歩き遍路の魅力は、本を読んだり人から話を聞いてわかるような世界ではないという。自ら実践して感じ取る世界なのだ。

――最初はマイカー遍路だったわけですか。

武田

現役時代は時間がなかったですからね。土日を使って何回かに分けて四国八十八カ所を巡拝するということを3回繰り返しました。手応えがあり、想像以上に得るものがあったのですが、お遍路は車で巡るものではなく、やはり歩いてこそのものだということを学びました。

それで定年後、自由な時間が得られたことで、さっそく念願の歩き遍路を始めたわけです。

――自分もいつか歩き遍路に挑戦したいと思っているんですが、歩きだと何日くらいかかるものですか?

武田

総距離はおよそ1200kmになります。一度の旅で八十八カ所を巡ることを「通し打ち」といって、55日ほどかかります。私の場合は、通し打ちではなく、徳島・高知・愛媛・香川と県ごとに区切って行く「区切り打ち」で巡りました。

まず春に徳島県の23カ寺を7日かけて回って、いったん東京に戻り、秋に高知県の16カ寺を20日かけて回ります。そして翌年の春に愛媛県の26カ寺を20日、秋に香川県の23カ寺を7日かけて回ると計54日間になります。それぞれ春と秋に行っているので、四国を一周するのに2年かけています。

――予算はどれくらい見ておけばいいでしょうか?

武田

私の場合は1日1万円です。基本になるのが宿代で、2食付きの遍路宿がだいたい6500~7000円。あとは昼食代と納経帳に納経をもらう費用が300~500円なので、1万円あれば十分です。それに加えて、現地に行くための飛行機代などの交通費ですね。

武田さんは歩き遍路を通して、自分の中のこだわりが消えたそうだ。否定から入るのではなく、他者や物事に肯定的になり、おおらかな性格になったという。

歩き遍路は、健康かつ時間がないとできない「贅沢な旅」

――宿は事前に予約するのか、それとも当日着いたところで宿を探すんですか?

武田

宿を予約する人と予約しない人に分かれるんですけど、私は事前にすべて予約して行きました。

もし宿が満員で断られたら、車ならすぐに次の宿に行けますけど、なにしろ歩きですから断られたら途方に暮れてしまいます。その心配があったので、歩く距離を考慮しながら全日程の遍路宿を決めてから四国に向かいました。だけど、本来のお遍路は、遍路宿を決めないものなんですよ。

――あえて行き当たりばったりというわけですか。

武田

そうです。日中歩いて、午後になって近くの宿を探すわけですね。

私が事務局長を務めている「東京歩き遍路交流会」に参加している女性が、初めて歩き遍路をしたとき、まったく宿を予約しないで行ったんです。我々は心配していたけど、うまいこと遍路宿が見つかったり、お接待を受けて何回も民家に泊めてもらったりして、一度も野宿するようなことはなかったそうです。だから、実際は大丈夫なものなんですね。

だけど、それは予想できないことだから、人には勧められない。最初から誰かの助けを当て込んで行くというのは、ちょっと冒険すぎると思います(笑)。

歩き遍路は「同行二人」といってお大師さんと一緒に歩く。つまり、一人で歩く。一人で歩くことによって自分と向き合えるし、人との出会いもあるのだ。

――トータル1200kmということですが、一日何kmくらい歩くものなんですか?

武田

通常は一日20~25kmくらいです。東京の中央線で言うと、東京駅から荻窪駅か三鷹駅くらいの距離です。ただし、状況によっては30~35kmくらい歩かないといけないときもあります。

たとえば、札所と札所の距離が一番長いのが、高知県の足摺岬にある金剛福寺までの道のりなんですが、83kmあるので一日30km歩いても2泊3日になります。あとは途中に宿がないときもあって、長距離歩かざるをえない箇所がたまにあるんです。

――一日だけなら20~25kmくらい歩けると思うんですが、それが毎日となると、ちょっと自信がないです……。トレーニングしなくても歩けるものですか?

武田

私もトレーニングはしていません。でも、実際やってみると歩けるものですよ。人間にはちゃんとそうした能力が備わっています。

歩き遍路では、朝5時に起床、6時に朝食、7時に出発という毎日です。午前中に歩けるだけ歩いて、昼食後の午後は疲れが出てくるのでペースを落とします。そして、16時に遍路宿に到着したときには、ゴールに倒れこむような感じで、もうヘトヘトですよ(笑)。

宿に着いたらまずお風呂に入って汗と疲れを取って、18時に夕食です。普段、私はごはん一杯しか食べないんだけど、歩き遍路のときは2杯、ときには3杯食べます。歩くということが、いかにお腹が減るかを実感しますよ。

21時に床についたとき、「今日も長い道のりをよく頑張ったね」と自分で自分をほめてやる。やがて眠りに落ちて翌朝5時まで爆睡ですよ。トイレに起きることなく、8時間ノンストップで熟睡します。

翌朝は、昨日の疲れはどこへ行った?という感じで、生き返ったみたいにスッキリしています。しっかり睡眠を取ることで、疲労の蓄積が一切ない。だから毎日歩けるんです。

歩き遍路をすると、自分で自分を褒める機会がある。幸福感にとって重要な自己肯定感が得られるのだろう。

――規則正しい生活で運動もしているわけですから、すごく健康に良さそうですね。

武田

歩き遍路は本当に体に良いですよ。

健康の3要素は「栄養・運動・睡眠」ですが、歩き遍路はたくさん歩いて運動するので、ごはんをいっぱい食べますし、疲れているので体が睡眠を求めます。3つの要素をすべてクリアしていますから、歩き遍路をすれば病気も治ると思いますよ(笑)。

私が本当にありがたいと思っていることは、健康に恵まれていることです。これまで病気になったことがほとんどない。

健康だから歩けるし、歩くから健康になるという相関関係があるように思いますね。

――お遍路はただ八十八カ所を巡るだけでなく、その過程を歩くことに意味がありそうですね。

武田

お遍路の醍醐味は道中にあり、ですよ。

歩きながら考え事をしたり、地元の人からお接待していただいたり、自然を眺めたりすることに意味がある。そういうことがマイカーや観光バスで行くと欠落してしまう。本当はみんな歩きたいのだと思いますが、時間的な制約や健康上の問題があって、便宜的に車でお遍路をしているのだと思います。

歩き遍路は「贅沢な旅」と言われているんです。なぜなら条件が4つあるから。

一つは健康であること。二つ目は時間があること。三つ目は多少お金もかかること。四つ目は、環境や条件というんですけど、たとえば、身の回りに介護を要する家族がいたら家を空けられないですよね。

時間があっても健康問題を抱えていたり、健康であっても時間がなかったりして、4つの条件すべてが満たされることは、現実的に難しい。だから「贅沢な旅」なんです。

それを思うと、歩き遍路ができるということは、本当にありがたいことだと思いますね。

お接待を受けたら「南無大師遍照金剛」と唱えて納め札を渡すのが礼儀。四国の人には「お遍路さん=お大師さん」という認識があり、お接待をすることで功徳が得られると考えられている。

一人だから自分と向き合えるし、“完全な自由”が味わえる

――四国にはお遍路さんに親切にする「お接待」という習わしがあるわけですが、そうした四国の文化や地元の人に触れることも魅力なんでしょうね。

武田

私が何度も歩き遍路をするのはなぜかというと、出会いがあるからです。それには3つの出会いがあって、まず四国の雄大な自然との出会いがあります。それから地元の人々のお接待やお遍路さん同士の出会い。そして最後に“自分との出会い”があります。

自然に感動したり、お接待してもらって感謝するのは、ある意味、瞬間的なことですが、何時間も歩いている中で圧倒的に多いのは、自分と向き合っている時間ですよ。

自分とは何か? 人生とは何か? どう生きるべきか?といった人間にとって永遠のテーマが頭に浮かんできます。そういうことに向き合っていると、いろんなことに気づくわけです。だから、歩き遍路は私にとって“出会いと気づきの旅”なんです。

――そう考えると、同じ歩くにしてもウォーキングやハイキングとは質が違うものという感じがしますね。

武田

歩き遍路に行くと、いっぱい気づきがあって自分の長所も短所も見えてくるから、自分を磨くことができます。だけど、東京の銀座や新宿を歩いても、気づきはありませんよね。なぜなら、自分と向き合ってないから。

豊かな自然の中を歩きながら、自己と向き合うことに意味があるんです。

その出会いと気づきは、けっして前回と同じではなく、毎回新鮮です。だから何回も歩き遍路に行くんですね。

四国遍路の特徴は環状になっていることです。スペインの巡礼路なんかは出発点から目的地まで直線ですが、四国遍路は一周を終えたら、また始まりに戻ってループ状になっている。だから二巡目、三巡目と回りたくなるんですよ。

四国遍路の体験記『遍路で学ぶ生きる知恵』『四国歩き遍路』の2冊を上梓。道中では毎日くたくたになりながらも、その日の出来事をメモすることを就寝前の日課にしていた。

――歩き遍路で四国八十八カ所巡りを終えたときは、どんな心境でしたか?

武田

1200kmを歩いてきたわけだから、いろんな思い出が詰まっていますし、ケガもせず無事歩ききったという、ずっしりした達成感があって、それはもう言い表せないくらいですよ。

歩き遍路には、日常では味わえないような本物の感動があるんです。

八十八カ所巡りを終えて「もうこりごりだ」という人はまずいない。ほとんどの人が「もう一度、新鮮な気持ちであの感動を味わいたい」という気持ちになるものです。

――現在、武田さんは6巡目となる歩き遍路だそうですね。

武田

私は何歳になったらリタイアというふうに線を引くのではなく、行けるところまで行こうという考えなんです。

今は6巡目ですが、コロナの影響で中断していて、高知県の三十三番札所でストップしています。

お遍路では札所に参拝するたびに納経帳に納経と御朱印をもらう。武田さんはお遍路を6巡しているので、同じ御朱印が6つ押されている。

――コロナが終息したら、一刻も早く再開したいですか?

武田

緊急事態宣言も解除されて、東京歩き遍路交流会のメンバーも「早く行きたい」と言ってますけど、まだちょっと心の整理がつかない感じですね。やっぱり歩き遍路は、心から納得した上で行ったほうがいい。もう少し状況を静観して、来年の春くらいに再開できればいいくらいで考えています。そのかわり今は俳句や囲碁をやったりして日々を楽しんでますよ(笑)。

――お話を聞いて、第二の人生で挑戦することとして、歩き遍路はベストだと思えるくらい魅力を感じました。

武田

最後にもうひとつお遍路の魅力を挙げるなら、“完全な自由”を味わえることです。

歩き遍路は一人で歩くので、どこまで歩くか、どこで休憩するか、昼食は何を食べるか、そういったことを全部、自分の意志で決められます。

普段、我々は人との関係性の中で生活しているから、常に相手に配慮して、いろんな制約の中で生きているものだけど、歩き遍路は誰からも制約を受けることなく自分の思いのままに決めることができる。そういう経験ができるのは、私の長い人生経験の中でも歩き遍路だけですよ。

“完全な自由”を味わうことは、人生において大事なことだなあと思いますね。

――本日はありがとうございました!

将来、挑戦してみたいことを聞くと、「お遍路資料館を作りたい」とのこと。遍路道に空き家を借りて、全国のお遍路さんから集めた四国遍路の資料を保存・展示し、お遍路の交流施設にするのが夢だという。次世代に四国遍路の魅力を伝えていきたいと考えている。

取材・文・撮影=浅野 暁

浅野 暁
浅野 暁 フリーライター

週刊求人誌、月刊カルチャー誌の編集を経て、2000年よりフリーランスのライター・編集者として活動。雑誌、書籍、WEBメディアなどでインタビューや取材記事、書評や企画原稿などを執筆。カルチャー系からビジネス系までフィールドは多岐に渡り、その他、生き方ものや旅行記など幅広く手掛ける。全国津々浦々を旅することがライフワーク。著書に矢沢ファンを取材した『1億2000万人の矢沢永吉論』(双葉社)がある。

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