「人生100年時代」と言われる今の時代。ところが、寿命をまっとうする以前に多くの人に「健康寿命」が訪れ、体や精神がままならない晩年を過ごすことが一般的だ。
どうせなら死ぬまでいきいきと暮らしたい。そのためには、会社を退職しても、家族と死別しても、絶えず居場所や生きがいを持つことが重要だと言われている。
そんなとき、何かの趣味に熱中し、そこに居場所を見つけた人の生き方は、人生100年時代を楽しく過ごすヒントになるのかもしれない。
今回は、「ハローキティ」のグッズ蒐集でギネス世界記録に認定された郡司さんにお話を伺いしました。男性のキティちゃんファンというのも珍しいですが、なんと彼は定年まで勤め上げた元警察官。定年後は「キティちゃんオンリー」と語るファン人生とは?
ハローキティのグッズ蒐集でギネス世界記録に認定された方が、女性ではなく男性ということで、しかも元警察官と聞いて驚きました。
――キティちゃんを集めるようになったきっかけを教えてください。
20代後半の頃、職場の慰安旅行で日光に行ったのですが、土産物屋でキティちゃんのストラップを買ったのが最初でしたね。
仕事が仕事でしたから、キティちゃんを見ると癒やされるっていうんですかね。それから見つけては買うようになって、少しずつ増えていったんです。
警察官とキティちゃんというギャップがユニークです(笑)。
――どんな警察官でしたか?
親父が千葉県警の警察学校で剣道の先生をしていたんです。それで将来は、「自衛隊か消防署員か警察官の3つの中から選べ」と言われて、警察官を選びました。だけど、親父がいる千葉県警は避けて、東京の警視庁に入ったんです。さすがに親父に教わるのは抵抗があったんですね。
最初は機動隊員として2年半ほど勤めて、それから定年まで都内で交番勤務をしていました。
――機動隊にいらっしゃったんですか。当時は学生運動の時代だったのでは?
いろいろありましたね。東大紛争のときは学生に石を投げられる経験もしたし、沖縄返還のときは警備をしていて、ひめゆりの塔事件の現場にいました。あさま山荘事件のときは、現場には行かなかったですけど、待機していましたね。
――その後、交番勤務になるわけですが、交番勤務というのはどんな日々なんでしょう?
普通は5年くらいで異動になることが多いです。私は最初が練馬の交番で、それから錦糸町や小岩などいろいろ配置されました。一番長かったのが小岩の交番で10年いましたね。
――交番が変わるたびに住居も引っ越されるものなんですか?
私は独身だったので、ずっと寮住まいでした。だから引っ越すといっても簡単なものです。キティちゃんグッズは寮の部屋に少ししか置いてなくて、千葉の実家の部屋に隠すようにして置いてましたね。
あるとき親父が2階に上がってきて、「なんだこんなものを集めて。仕事はしっかりやっているのか!」と咎められたこともありました。「これがオレの癒やしになっているんだよ」と説明したら、「それじゃあしょうがねえな」ってなんとか納得してくれて(笑)。
――厳しい規律の警察官の世界で、キティちゃんが癒やしになっていたわけですか。
さすがに職場にキティちゃんグッズは持ち込まなかったですけど、家に帰ると、「キティちゃん、今日は酔っぱらいに絡まれちゃったよ」って話しかけたり、キティちゃんが息抜きになっていたんですよね。
――交番勤務というのは、けっこう大変なものですか?
仕事を生き甲斐にしていたので、大変だとは思わなかったです。「何ものをも怖れず、何ものをも憎まず、人のために尽くす」という使命感を植え付けられてましたからね。
だけど、ときには酔っぱらいに絡まれたり、税金ドロボーと嫌味を言われたり、いろいろあるんですよ。そんなときは「キティちゃん、今日、税金ドロボーって言われちゃったよ」ってこぼしたりして。
――同僚は、郡司さんがキティちゃんを集めていることは知っていたのですか?
話してましたね。それで土産を買ってきてくれたりしたんです。たとえば、キティちゃんのヘルメットと灰皿は、友人がグアム旅行をしたときに買ってきてくれたものなんです。
だけど、私がキティちゃんを集めていることを知らない人もいましたから、ギネスに認定されてテレビに出た後、警察OBから連絡があって、「おまえ、こんなヘンな趣味を持っていたのか!?」とか「こんな趣味があったとはビックリしたよ」とか、いろいろ言われましたね(笑)。
――警察官時代は、どんなふうにキティちゃんを集めていたのですか?
キティちゃんはデパートや薬局など、どこにでも売ってますから、見つけたら買うという感じでした。だけど、警察官時代に集めたのはせいぜい千個くらいなんです。50代後半の定年間際に両親の身体の具合が悪くなり、介護のために実家に戻ってから量が増えていったんです。
――それからギネス世界記録に認定されるくらいまで急激に増えたわけですか?
本気で集めだしたのは、退職後です。ほとんどはサンリオピューロランドか、いろんなデパートで買ってましたね。私がキティちゃんグッズを集めていることが知られていて、千葉の老舗デパートから「新しいキティちゃんグッズを入荷しました」と連絡が来るんですよ。他にもコレクターショップから連絡が来ますね。
――奥さんも郡司さんの趣味を認めてくれていたんですか? 普通は「退職金の無駄使いをするな」と言われそうなものですけど。
実は私が結婚したのは、定年後の62歳なんですよ。女性と縁がなくてずっと独身だったので、キティちゃんが恋人みたいなものでしたね(笑)。
――そうだったんですか! なれそめを聞いていいですか?
妻が深夜営業の飲食店をやってまして、そこに飲みに行っていたのがなれそめでしたね。私はお酒が好きなんですが、ヘンな話、この人と結婚すれば一生お酒を飲んで生きていけるんじゃないかと思って(笑)。
――大量のキティちゃんグッズを見て、奥さんは唖然としませんでしたか?
私が集めていることは知っていましたけど、実際に家で見てさすがに驚いてましたね。
妻のお客さんが家に来ることがあるんですけど、「奥さんの趣味で集めてるの?」と聞かれると、「私じゃないわよ!」って妻はイヤがってましたね(笑)。
――結婚当初から大量にあったから、奥さんも認めているわけですね。
それはもう了承済みで、むしろ協力してもらってます。
実は私は運転免許を持っていないので、妻に車で多摩市のサンリオピューロランドまで連れていってもらうんです。妻と結婚してから年に何回も行って買い物をするようになりましたね。
――コレクションルームが「キティハウス」と呼ばれていますが、これはいつ頃建てられたのですか?
5、6年前に退職金を使って建てました。
もともとは家庭菜園の畑だったんですが、キティちゃんグッズが溜まって部屋が満杯状態になったので、専用のハウスを建てることにしたんです。妻の親戚の業者が建ててくれたのですが、壁紙や天井もキティちゃん仕様にこだわりました。今は母屋にいるよりも、ここで過ごす時間のほうが長いくらい。キティちゃんをぼーっと眺めて毎日癒やされてますね。
――これまでにキティちゃんにおいくらくらい使われたんでしょうか?
グッズが2千万円くらいで、キティハウスが1千万円くらいだから、全部で3千万円くらいじゃないですかね。退職金がキティちゃんグッズに変わっちゃった感じです。
――特に高額なものやレアなものはありますか?
高額なものというとキティちゃんの指輪や時計などですが、高いといっても5万円くらいです。レアなものというと、ハローキティ40周年記念のバッジセットやキティちゃんのダルマがありますね。ダルマは受刑者が作ったもので、刑務所で買ってきたものなんですよ。
見つけたら条件反射で買っていたわけですけど、40年以上、よく集めたなあと思いますね。
――2016年にギネス世界記録に認定され、「世界一のキティちゃんファン」として認められた経緯を教えてください。
あるとき妻の友人がキティハウスを訪れたんですが、とにかくその量に驚いて、「ギネスに認定されるんじゃないの?」と言ったのがきっかけでした。それでギネスに申請してみようということになったんですけど、8時間以内にカウントしなければいけないという規定があったんです。家では数えられないので、一旦、四街道市の集会所に集めて便利屋さんにカウントしてもらいました。会場の設定や申請の手続きなど、妻がいろいろと協力してくれたんですよね。
――そのときの記録が5169点。世界記録を更新したときの心境は?
感激しましたね。人生で最高にうれしかった瞬間です。
本当は1万点以上あったんですけど、全部を持っていったわけではないんです。当時のギネス世界記録が日本人女性の4519点だったので、その記録を破ることを目標に5250点を用意して、8時間以内にカウントてきたのが5169点だったというわけです。
――今もまだ増え続けているのですか?
今はもう数えてないですけど、年に数百点くらい増えてます。自分で買うだけでなく、ギネス世界記録で知られるようになってから、「仲間入りさせてほしい」ということでいろんな人からキティちゃんグッズが送られてくるようになったんです。
引っ越しで置く場所がないとか、子どもが集めていたけどいらなくなったという理由で、ひとり100個ずつくらい送ってくれます。山形県、宮城県、新潟県、三重県など全国各地から送られてきて、最近また500点くらい増えました。
――個人のコレクションだけで博物館ができそうな量ですね。
「博物館にして有料化してはどうか?」という相談の連絡が来たこともありましたけど、一切お断りしています。私が一番うれしいことは、キティちゃんをみんなに見てもらえること。だから見たい人がいれば、「どうぞキティハウスに来て見ていってください」という気持ちで公開しています。四街道市の観光パンフレットにも住所と電話番号を載せているんですよね。
――キティちゃんが好きな人は「ウェルカム」の姿勢なんですね。
近所の子どももよく遊びに来ますし、外国人のキティちゃんファンが訪ねて来ることもあります。キティちゃんファンは世界中にいますから、これまで台湾、アメリカ、フィリピンの方が訪れましたね。いろんな人との交流の機会が増えたことが一番よろこばしいことです。
――コレクター同士の交流もあるんですか?
ありますよ。茨城や埼玉のコレクターが定期的に来て、グッズの交換をしています。警察官のOBが家に来ることもあるけど、今ではコレクター同士の交流のほうが多いくらいです。
――あらためて、郡司さんが40年以上も集め続けたキティちゃんの魅力とは?
見てのとおりキティちゃんには口がないんですよね。だからよけいに目が何かを語りかけてくるように感じるんです。自分がうれしいときは、うれしそうな顔に見えるし、悲しいときは悲しそうな顔に見える。この目に癒やされるんですよね。
――郡司さんにとって、キティちゃんとはどんな存在ですか?
出かけるときは「キティちゃん行ってくるよ」、帰ってきたら「キティちゃん、ただいま」と声をかけていて、私にとってキティちゃんは家族の一員みたいなものです。定年後はキティちゃんに癒やされながら平和な日々を送っている感じで、キティちゃんオンリー(笑)。
これからも一生、キティちゃんを集め続けるでしょうね。
――当分、記録は破られそうにないですね(笑)。本日はありがとうございました!
取材・文・撮影=浅野 暁
週刊求人誌、月刊カルチャー誌の編集を経て、2000年よりフリーランスのライター・編集者として活動。雑誌、書籍、WEBメディアなどでインタビューや取材記事、書評や企画原稿などを執筆。カルチャー系からビジネス系までフィールドは多岐に渡り、その他、生き方ものや旅行記など幅広く手掛ける。全国津々浦々を旅することがライフワーク。著書に矢沢ファンを取材した『1億2000万人の矢沢永吉論』(双葉社)がある。
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