フリーアナウンサー・町亞聖氏による映画レビュー企画。
第4回は認知症の母親と、妻を支える父親の暮らしを記録した『ぼけますから、よろしくお願いします』を紹介します。
「忘れても あなたはあなたの ままでいい」このキャッチコピーは9月21日の「世界アルツハイマーデー」に合わせて日本の「認知症と人と家族の会」が選んだもの。世界中で認知症への正しい理解を進めることを目的に啓発活動が行われる世界アルツハイマーデー。国内でも当事者や家族が希望を持って生きられる社会を目指し様々な取り組みが開催されました。
今回は現在進行形で介護をしている人も、まだ介護に直面していない人にもぜひ観て欲しい、アルツハイマー型認知症の母親の姿を娘が記録したドキュメンタリー映画をご紹介します。
85歳の認知症の母を93歳の父が介護する日々を、娘の目線でありのままカメラに収めた映画『ぼけますから、よろしくお願いします』。東京で映像ディレクターをしていた信友直子監督が帰省すると、必ず手料理を振る舞ってくれたお母さん。帰り際には仕事を頑張りすぎないようにと声をかけ、娘の姿が見えなくなるまでバス停で見送ってくれました。
若い頃から社交的で友達も多かった母親は信友さんにとって自慢の存在でしたがそんな母親に異変が……。
食べ切れないほどの買い置きをするなど頻繁に物忘れをしていたのです。
病院で検査を受けた結果、診断はアルツハイマー型認知症。
先生から直接病名を告げられても事態を理解できず落ち込むことのなかった母親の様子を見て、「やっぱり認知症なんだ」と信友さんは確信します。
綺麗好きなはずなのに洗っていない洗濯物で一杯になった洗濯機。「ずっと天気が悪かったから」とお母さんは必死に言い訳をします。信友さんが手伝おうとすると「私が横着しているようなことを言うな」と怒り出し、洗濯機の中から取り出した大量の洗濯物の上に寝転んでしまいます。この時のお父さんの対応がとてもさりげなく、自分はお昼を買いに行ってくるからボチボチ洗濯しときなさいとあくまでも冷静でした。
「どうして分からんようになったのか。どうしたんじゃろねぇ……」
ある日、お母さんは不安な気持ちをカメラに向かって呟きます。
この頃には台所に立つこともなくなり、「娘が帰ってきたのにご飯を作れずにごめんね」と謝ることも。
妻として母親として日々出来ないことが増えていくことを自覚しているお母さん自身が、一番苦しみもがいていることが痛いほど伝わってきます。
私の知り合いにも、本当に長い間、変わりゆく自分、壊れていく自分と闘い続けた認知症の女性がいました。
そばで見ている私も辛かったですが、その女性の手帳を見た時にハッとさせられました。会う約束をしている日に私の名前が大きく書かれていたのですが、何度も何度もなぞった跡があったのです。記憶を失くしていく大きな不安の中で、私の名前を忘れまいとしてくれている彼女の意思を感じた瞬間でした。
「邪魔になるけん、私は死んだ方がいい」と大声で泣き叫び激しく怒りの感情をむき出しにするお母さん。いつも穏やかなお父さんも珍しく「死にたかったら死ね」と強い口調で言い返す場面があります。お母さんが抱えているのは家族に迷惑をかけてしまっている自分自身への怒り、そしてどうにもならない焦燥感、何より自分が自分で無くなっていく哀しみ……。
お父さんはそのことをよく理解していましたしお母さんの性格も分かっていました。別の日にもヘルパーさんが来る予定の時間になっても「助けてくれ」と叫び駄々をこね布団から出てこようとしないお母さんを静かに見守ります。布団の中から泣きながら手を伸ばすお母さんの手を握るお父さん。必死に安心を手繰り寄せようとしているお母さんに「ここにいるから大丈夫」と無言で語りかけているようでした。
妻が認知症と診断され、90半ばを過ぎてから妻に代わって家事までやることになった大正生まれのお父さん。リンゴをむいたり布団の襟を縫ったりと料理から裁縫までこなす姿に頭が下がりますが、さらにすごいのは洗濯の仕方など妻がこだわっていたやり方そのままだということ。夫から妻への感謝の想いや尊敬の念が溢れています。
食材が詰まった重い買い物袋を両手に、休み休み家路につく腰の曲がった父親。本当は駆け寄って助けたい……。そんな娘としての葛藤を胸に抱えながらも信友さんがカメラを回し続けたのは、一生懸命に暮し続けようとしている2人の生きる記録を残すことが自分の使命だと考えたからです。
また故郷に帰って自分が介護をした方が良いのではと悩んでいた信友さんに対して「わしが元気で動けるうちは帰らんでもいい。あんたもあんたの道を進んだ方がいい」とお父さんは言ってくれたそう。戦争のために大学進学を諦めたお父さんは娘には好きなことをやって欲しいという切なる願いを持っていたのです。
離れて暮らす親に介護が必要になった時にどうするのか?
私の知り合いで介護離職をした50代の男性がいますが、団塊の世代が75歳を迎える2025年は目の前に迫っていて、これからもっともっと切実な問題になっていきます。
信友さんは娘がいるのに介護サービスを利用することに後ろめたさがあったそうですが、介護はプロに任せて家族にしかできない<愛すること>をやりなさいという医師の言葉に救われます。
時に心が乱れることもあるお母さんですが、背中が痒いというお父さんの背中を掻いてあげたり、腰が曲がっているお父さんにズボンの裾を踏んで転ばないようにと声をかけたり、幸せはそんなささやかな日常の中にあることに改めて気づかせてくれます。そして、認知症になっても<人が人を想う気持ち>に変わりはないということにも……。
長年パーソナリティーを務めているニッポン放送のラジオ番組「ひだまりハウス〜うつ病と認知症について語ろう〜」(毎週日曜あさ6時25分から6時54分まで)で信友さんには二度インタビューさせていただきました。
2018年の映画公開から舞台挨拶などで全国を忙しく飛び回っていましたがコロナの影響を受けて全てキャンセルに。
そんな中、脳梗塞で入院していたお母さんの容態が悪化しますが、感染予防のための面会制限で会えない日々が2ヶ月ほど続いたそう。面会が許可されてからは毎日お父さんと一緒に病室に通いお母さんのそばにいた信友さん。
もし、コロナが無ければ母に会えないままだったかもしれず、「貴方の娘に生まれて良かった」と感謝の気持ちを言葉にして伝えられ心置きなくお別れが出来た、と優しい笑顔で話してくれました。
続編では、毎日1時間かけて入院しているお母さんに会いに行くためになんと98歳で筋トレを始めたお父さんの姿やお母さんとの最期の時が記録されています。
そして現在、101歳の父親の “今”も信友さんは撮り続けているとのことですが、さらに自分自身の老後も撮影しようかなという構想も持っているそうです。
認知症は親の問題ではなく「自分事」だと考えると、信友さんのお母さんのように「ぼけますからよろしくお願いします」と言えるユーモアを忘れないでいたい。そして家族でなくとも<あなたのままでいい>と言ってくれる人に出逢えますように……。
セリフが用意されているわけではないドキュメンタリー映画の醍醐味は、認知症の当事者が思わずつぶやくありのままの<本音>をカメラが捉えているこということ。
家族だから本音が言えないというケースも多いのが現実ですが、監督が認知症の親と向き合う<覚悟>を決めたからこそ撮影できたシーンばかりです。
同じ認知症でも人によって症状は本当に様々で、本人の性格や家族との関係や歩んできた人生も違います。介護は10の家族がいたら10通りのやり方があり、正解はないと言われる所以(ゆえん)です。
それでも共通しているのは、認知症であっても<その人であることに変わりはない>ということ。そして人を想う気持ちも決してなくならないということです。認知症の人として見るのではなく、ひとりの人に寄り添い、その人を知ることからスタートすることできっとケアの光が見えてくるはず……。
ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~
全国順次公開中
©2022「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~」製作委員会
監督・撮影・語り:信友直子
プロデューサー:濱潤、大島新、堀治樹 制作プロデューサー:稲葉友紀子 編集:目見田健 撮影:南幸男、河合輝久 音響効果:金田智子 ライン編集:池田聡 整音:富永憲一 製作プロダクション:スタッフラビ
製作:フジテレビ、ネツゲン、関西テレビ、信友家 配給・宣伝:アンプラグド
公式HP:bokemasu.com
映画:『毎日がアルツハイマー』―<ケアの光>が見えてくるドキュメンタリー:後編
1995年に日本テレビにアナウンサーとして入社。 報道キャスター、厚生労働省担当記者として様々な医療・介護問題を取材。 パラリンピック水泳メダリストの成田真由美選手を密着取材。 “生涯現役アナウンサー”でいるためにフリー転身。脳障害で車椅子の生活を送る母と過ごした日々をまとめた「十年介護」を小学館文庫から出版。 ヤングケアラ―当事者として全国で講演、医療介護を生涯のテーマに取材・啓発活動を続ける。
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