「わが家の介護」と「あの家の介護」は違って当たり前 精神科医の視点で見る高齢者介護

シロクマ

ブログ「シロクマの屑籠」を書いている、精神科医の熊代亨といいます。

インターネットの内外で高齢者介護についての語りを聞いていると、それぞれの話者によって、高齢者介護に対するイメージがかなり異なっていることに気付きます。

彼らがイメージしている高齢者像は実体験に根差していることが多く、他の人の話を聞いてすぐに意見が変わるようなものではないでしょう。人それぞれの「高齢者介護の物語」が並行して存在していると気付かされます。

私は精神科医という職業柄、認知症などを患っている高齢者と接する機会が多くあります。その中で、介護に対する考え方は、高齢者とその家族によって実にさまざまであると実感してきました。高齢者介護の物語が人それぞれなのは、高齢者は長い年月を生きており、そのぶん、社会経験や人生哲学のバリエーションが豊富なためではないでしょうか。

今回は、私がこれまでに見聞きしてきた高齢者介護の実情に触れながら、「わが家の介護」に不安を抱える人たちにお伝えしたいことについて書いてみたいと思います。

病名が同じなら、介護の方法は同じ?

例えば同じ80代でも、最も経済的に恵まれ、企業の役員や地域の顔役を長く務めてきた人と、最も経済的に厳しく、人間関係も乏しい境遇を生き続けてきた人とでは、健康状態が同じでも、介護が必要となったときに周囲がしなければならないことや、介護のために利用できるリソースの量は驚くほど違います。

さらには、同じくらいの社会的地位や年収の人同士を比べてみても、性格傾向や健康状態、家族関係はまちまちです。ひとことで高齢者介護といっても、その難易度やニーズは多種多様といわざるを得ません。

また、高齢者介護では「認知症」が重大な問題としてクローズアップされがちですが、この認知症にしても、病院を訪れる患者さんのありようはさまざまです。

「アルツハイマー型認知症」は、最も広く知られ、認知症疾患の中でもパーセンテージの高い疾患です。ところが同じアルツハイマー型認知症の患者さんでも、現れる症状や本人の姿勢はさまざまで、抗認知症薬を処方すればそれで終わり……というわけにはいきません。

どれだけ記憶が衰えても幸せそうにニコニコと過ごしている患者さんもいれば、記憶を失うまいと精一杯リハビリを続けようとする患者さんもいます。夜中に近所を徘徊(はいかい)して回る患者さんや、デイサービス・訪問介護サービスなどに強い拒否感を示す患者さんもいます。

介護者にお金や衣類を盗られたと主張するようになる患者さんや、ある程度病状が進んだ時期に幻覚が出現するようになる患者さんなどには、内科のかかりつけ医や介護施設だけでは対応が難しく、精神科の専門医を受診するよう勧められることもあるでしょう。

このようにさまざまなケースがあるアルツハイマー型認知症に加えて、幻視や歩行障害が先行しやすい「レビー小体型認知症」や、記憶よりも理性の面に強く影響が出る「前頭側頭型認知症」のような素人目には分かりにくい認知症も存在しています。そのため、どのような患者さんをどのように介護し、どのように治療していくのかは、一律に論じきれるものではありません。

精神科医としての私は、認知症について、その患者さんがどういう人でどんな状態にあり、その患者さんを取り巻く環境や文脈がどのようなものかを把握することが、診断名を確定することと同じくらい大切だと考えています。

その上で本人や家族、福祉関係者と情報を共有しつつ、患者さんの現在の状況に合わせた最適な選択を手助けすることが、ドクターサイドに期待されるのだと思っています。

必然的に、介護事情もケースバイケース

このようにバリエーション豊かな高齢者と認知症の実態を踏まえると、ひとことで高齢者介護といっても、バリエーション豊かな内実とならざるを得ないことが、想像できるのではないでしょうか。

同じ「要介護3」の認定を受けていても、身体障害がとりわけ重い高齢者と、認知症とその関連症状がとりわけ重い高齢者とでは、介護に際しての課題は異なります。さらには、そういった症状の次元ではほとんど同じだったとしても、数十年間にわたって周りにきつく当たってきた高齢者と、数十年間ずっと周りに慕われるような生活をしてきた高齢者とでは、介護の難易度はだいぶ異なるでしょうし、家族の対応も違ってくるでしょう。

こうした症状や文脈の違いがあるので、高齢者介護の問題は、ケースバイケースになると考えるのが妥当です。「あの家の介護」と「わが家の介護」は違っていてもおかしくないし、むしろ、違っていて然るべきなのです。

「わが家の介護」がテレビやインターネットで描かれる理想像の通りに進まないからといって、罪責感を持たなければならないわけではありません。逆に、理想像の通りに事が進んでいるからといって、それが介護する側・される側にとって最も望ましい選択とも限りません。

大切なのは、介護する側・される側の意向や事情がしっかりと反映され、当事者間の文脈にも即した形で、サービスや制度を選択していくことではないでしょうか。

世の中には、それほど認知症が進んでおらず、身体機能もそれほど喪失していないけれども、本人や家族の意向で早くから施設入所を求める高齢者もいます。かと思えば、要介護度が高くなっても自宅で介護を受け続け、家族からも最期まで看取らせてほしいと願われる高齢者もいます。ですが、どちらかを称賛し、どちらかを非難するのはナンセンスです。それぞれの高齢者・それぞれの家庭には個別の事情があり、その中で最善を尽くしていると想定するべきだと、私は考えています。

さまざまなノウハウを持った「第三者の意見」を聞いてみよう

そうはいっても、いざ介護が始まった時に、本人の意向や家族の事情を的確に洞察して、最善のプランを導き出せる人はそうザラにはいないはずです。また、書店にもインターネットにもそれなりに情報が流通しているとはいえ、介護保険制度周辺の仕組みはなかなか複雑で、地域ごとに細かな“ローカルルール”が見受けられることもあります。地元にどんな福祉リソースが存在し、自分たちがどこまで利用可能なのかについては、地元の福祉関係者に聞いてみなければなかなか分かりづらいのが現状です。

また、介護する側・される側の関係は、ともすれば閉鎖的・密着的な状況に陥ってしまうことがあり、時には介護する側のメンタルヘルスが密かにむしばまれてしまうこともあります。

これらの難しさを踏まえるなら、身内だけで自分たちの介護状況を客観視するのは難しいと想定しておいた方が良いかもしれません。情報収集も含め、何らかの形で第三者が介在するようにプラニングを進めるのが望ましいでしょう。

その際には、親族やケアマネジャー、福祉施設職員はもちろん、行政職員、医師、弁護士といった専門家の意見を取り入れた方が妥当な意思決定ができる場合もあります。介護周辺の問題について豊富なノウハウを持っている専門家は、しばしば彼ら独自の方法論や情報を持っており、他職ではなかなか代替がききません。

介護に行き詰まっていると感じたときや、現在のあり方に疑問を感じたときには、ぜひ、いろいろな第三者の、いろいろな視点や情報を求めてみてください。それまで思いつきもしなかった解決案が浮かんでくることも、ままあると思います。

編集/はてな編集部
 

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熊代亨(id:p_shirokuma) 精神科医
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「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、ブログ『シロクマの屑籠』で現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。通称“シロクマ先生”。近著は『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス)『認められたい』(ヴィレッジブックス)など。

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