介護の仕事は「自分が快感を得るため」の天職――私が介護士を続ける理由

皆さんこんにちは。はじめましての方も多いと思います。桜島ニニコと申します。私は趣味でブログを書く傍ら、普段は介護福祉士(介護士)として、グループホームという認知症の方向けの小規模な入所施設で働いています。

28歳でこの世界に入り、現在は38歳。まだまだ介護士としてヒヨッコですが、私にとって介護の仕事は天職で、毎日とても楽しく働いています!

……はい、今「なんか嘘っぽい」と思った方、いるんじゃないでしょうか?(笑)もしそう思われたとしても、無理はないと思います。

介護士ってそんなに大変そう……?

このご時世、介護に関して世間で取り沙汰される話題は「老老介護」や「介護離職」に始まり、現場の深刻な人手不足や各地の介護施設で起こる死亡事故など、いずれも暗いものばかり。どうしても介護のイメージは「暗い、きつい」といったマイナス面に偏りがちです。

ですから、介護士もそんな「地獄のような環境に身を投じる職業」と思われているフシがおそらくあり、介護士である私の「介護が楽しい」というセリフを「嘘くさいきれいごと」だという方がいてもおかしくはないでしょう。

実際、私が「職業は介護士です」と言うと、たいていの方の二言目は、ねぎらいと心配と憐みの感じられる「大変でしょう?」ばかりです。きっと多くの方に、きつい職業だと思われていることでしょう。

介護のイメージってそんなに大変そう…?
私が「介護士です」と言うと、たいていの方にこう言われます

しかし、他業種での職歴もある私は、どの仕事もそれなりに大変さと楽しさの両面があるし、介護士だけがそう取り立てて「きつい職業」だとは思わないんです。

もちろん大変なところはありますが、逆に介護現場でなければ得られない楽しさもあるし、時には大変さすらも楽しめる瞬間があると感じます。なので、私が「介護の仕事を楽しくやれている」というのは本当です。

読者の方の中には、すでに実際にご家族を介護している方や、今後の介護生活の予見をされている方、私と同じく介護関係の仕事に就いている方もいらっしゃるかと思います。

もしそんな皆さんの中で「介護と向き合うのがつらい。気が重い」という方がいたら、介護に携わる端くれとして、少しでも現状を楽しめるヒントをお伝えできればと思い、今回は筆を取らせていただきました。

介護の現場で、私が最もつらいこと

いきなりさっきまでの話を覆すようで恐縮ですが、もちろん私にも、介護士という仕事で「大変さ」を感じる部分が確かにあります。さて、それは何でしょうか?

「給料が安いこと?」いいえ。

「シフト制で一般職の人と休日が合わないこと?」いいえ。

「ぎっくり腰?」いや、まぁそれはちょっとあるけども。

正解は、そういうモロモロが霞むほどのぶっちぎりで「人手不足」です!

そして、「人手不足で単にスタッフがバタバタと走り回らなくてはならない」といった忙しさだけが大変なのではありません。私が一番大変だと思っているのは、「介護の質の低下との闘い」です。

一般的に、人間の生活に必要な3つの要素は「衣・食・住」だといわれていますが、介護においては「栄養のある食事・快適な睡眠・適切な排泄」だと私は考えます。

介護の仕事とは、この3つを一人でスムーズに行えない人の「手助け」をすることです。しかし「何かをうまく行えない人の側にずっとついて、できない部分だけを手助けしながらコトを終わらせる」という作業は、とても時間がかかります。こちらが「代わりにやってあげる」方が何倍も早いんです。

例えば、認知症で箸の持ち方も忘れがちになり、すぐ集中力も途切れて食事を中断してしまう人に、横からときどきお箸を持ち直させてあげたり、「ごはんですよ」と声をかけて意識を向けさせながら食事を終えるには、1時間近くかかります。でもこれを介護士が「あーん」してしまえば、30分で終わります。

他の仕事なら効率優先で、早く終わる後者の方が良しとされることが多いですが、介護はあくまで「自立支援」なので、お年寄りのできることを奪ってはいけないとされています。だからこの場合は、たとえ時間が倍かかっても、できる限り自分の力で食事をしてもらえるようケアをするのが質の高い介護であり、多くの介護士が理想とするところだと思っています。

しかしこのような理想の介護は、スタッフの数が足りていればできる話で、実際はとても厳しいです。限られた時間と人数で対応するため、時には効率優先で「手助け」の域を超えざるを得ない場合もあり、私にとってはとてもつらい判断です。一方、同じ施設で働く介護士の間でも各自が目指す質のレベルや優先順位に違いがあるので、自分が目指す介護の質は下げたくないが、チームワークにも気を配らなければいけない、という大変さもあります。

そして在宅で家族を介護している方にも、同じ苦労があると思います。在宅介護中の方に話を聞くと「本当は散歩に連れて行きたいんだけど、私1人じゃとても無理で……」など、日常的なケアにプラスして「本当はもっとこういうことをしてあげたい」という希望を持たれていることがあります。

しかし、そういった方たちは家事や育児などの用事を1人で背負っているケースも多く、それに加えて介護もするとなると、とうていプラスαのケアをするには時間が足りません。家族がきちんと協力関係にあり、家事・育児・介護などの分担がなされているというのは、介護施設に置き換えるとスタッフが足りている状態です。しかし誰かがワンオペ状態で家の中を切り盛りしている家庭は、人員不足の施設と同じ状態。大変な気持ちは痛いほど分かります。人手、欲しいですよね……。

家庭においても介護業界においても、もっと介護に関わる人の数を総体的に増やし、介護の質を上げることが、今後の日本の重要課題なんじゃないかと私は思います。

介護士を一度辞めて感じた「物足りなさ」の正体

さて、ここまで読んで「やっぱり介護って大変」と思われた方は多いと思います。しかし、私が大変さを感じつつもこの仕事を続ける理由は、ズバリ、介護をしていて「幸せ」だと感じる瞬間があるからです。

……はい、また「嘘っぽい」と感じた方もいるかもしれませんね(笑)。

実は私、介護士になって5年目くらいの頃、一身上の都合で一旦この仕事を離れたことがあります。その後数カ月で別の仕事を始めましたが、なんとなく気分が晴れず「何か足りないような感覚」が毎日付きまとっていました。

そんなある日、たまたま道に落ちているゴミを拾ったら、ちょっと心がスッキリしていることに気づきました。さらに次の日、100円ショップのレジでおじいさんが両替を断られているのを見かけたので、勇気を出して両替を申し出てみました。するとおじいさんはとても喜んで「助かったよありがとう」と何度もお礼を言ってくれたんです。

その瞬間、私は全身に快感がブワッと駆け巡るのを感じました。それで「アッ!! これこれー! 足りなかったのコレだ!!」と分かり「親切すると気持ちいい!!」という発見をしたんです。

介護士を辞めて「誰かの手助けをする」機会がなくなってしまった私は、親切をする相手に飢えていたんだということに、そのとき気づきました。

それからの私は「人に親切がしたい!」という欲求にかられ、電車でお年寄りに席を譲ったり、スーパーで他人が放置した買い物カゴを片付けたり、杖をついている方にドアを開けてあげたり、とにかく「自分が人に親切にできるチャンス」を見逃さぬよう注意し、チャンスを見つけたらすかさず親切!といった行動をしていました。

こんなことを書くと、まるで善人アピールみたいですが、そうではないんです。私の親切は「人のために」という奉仕的な気持ち由来ではなく、ただ「自分を気分良くさせる手段」なんです。だからノリとしては「なんか親切させろコノヤロー!」みたいな感じで、とにかく高尚な行為ではないし、全然善人じゃないということが言いたいんです(笑)。

手助けすることが快感になる「ヘルパーズ・ハイ」

その後、現在の職場に入ってまた日常的に介護するようになると、ブランク期間に常に感じていた親切行動への飢餓感はなくなりました。介護と名のつく行為は、相手を手助けすることの繰り返しだからです。

そうして「なるほど、私という人間はそういうふうにできているのだなぁ」と一人納得していたとき、たまたま見かけたあるテレビ番組の内容に、はっとしました。

その番組では「人は人に親切にすると幸福感を感じる」ということが紹介されていました。自分が親切をしたりされたり、他の人が親切にしている様子を見聞きしたりすると、心が温かくなるように感じることがありますよね。どうしてそんなふうに感じるのか、疑問に思ったことはありませんか?

番組によると、それは「オキシトシン」という神経伝達物質が脳内で分泌されることで起きる現象とのこと。オキシトシンは近年の研究結果から人とのつながりや愛情に密接に関わる物質として注目されており、親切をしたとき・されたときや、手をつなぐなどの軽いボディタッチをしたときなどにも分泌されるといわれています。

あまりにも実体験と重なる内容に興味が湧いたので、番組を見たあと、自分でも詳しく調べてみることにしました。スコットランドの有機化学博士であるデイビッド・ハミルトン氏の著書『親切は脳に効く』(サンマーク出版)では、オキシトシンが血管や心臓の働きに良い効果をもたらすという研究結果も紹介されていて、気持ちだけでなく健康面にもメリットがある可能性に驚きました。

そうして調べる中、さらに心を射抜かれる言葉に出会いました。ボランティア関係者の間で使われているという「ヘルパーズ・ハイ」という言葉です。

アメリカ・カリフォルニア大学リバーサイド校の心理学者であるソニア・リュボミアスキー氏の研究によると、他人に親切にしたときの方が、自分に親切にしたときよりも「幸福度が上がる」という結果が得られたとのこと。他人に親切にすると、快感ややる気に関わる「ドーパミン」という神経伝達物質も多く分泌されるためだと考えられています。

ヘルパーズ・ハイとは、こうして親切が快感を生み、「親切→気持ちいい→もっとしたい→親切」というループになる状態のことだそう。ランナーが走っていて気持ちよくなる状態を「ランナーズ・ハイ」と呼びますが、いわばその“親切バージョン”なんですね。

これらは私にとってすごく身に覚えのある話だったので、知るたびに感動しました。そしてこういった研究結果があることを知って、以前よりもっと介護が楽しいと思えるようになりました。

先述の通り、介護は人を手助けすることの繰り返しです。歩けない人を支えながら一緒に歩いたり、認知症の人を落ち着かせるため傾聴したり、汚れたオムツを交換してきれいにしたり……。

私の場合、お年寄りの手や身体に触れるとき「○○さんのおかげで私もオキシトシン出るぜぇー」と意識すると、自然と笑顔になっちゃうんです。私が笑うと相手の方も笑って、それを見て私も「し・あ・わ・せ~」って、これがハイなんでしょうね、はい。

手助けをすることで、意欲と幸せが。いいことずくめ!
介護をしているとき、私はこんなふうにイメージしています

そんなわけで、私は介護をしていると本当に幸せなんです。ブランク期間、無性に人に親切したくなったのは、それまで介護士の仕事によって得ていたヘルパーズ・ハイの状態が、急に途切れてしまったからでしょう。

一方で、自分では親切のつもりでも、相手にとってはおせっかいだったり迷惑だったりする場合もあるということは、忘れないように気を付けています。また、介護士の仕事は自立支援だという基本を忘れず、必要以上のケアをしないという注意も必要です。

そういった注意を守っていれば、親切な行動の動機が「献身的なもの」であれ「利己的なもの」であれ、どっちでもいいんじゃないかなと、私は思っています。

最後に

日本のお年寄りの数は、これからさらに増えていきます。あと10年~20年もしたら、介護にまったく無関係という方は、ほとんどいなくなるのではないでしょうか。それは一見すごく暗い未来に思えるかもしれませんが、私はヘルパーズ・ハイですっかり気持ちがポジティブなので、「逆に今より介護への垣根が低くなって、風通しもよくなっているのでは?」と、希望的観測しちゃってます。

一方で、読者の皆さんの中にはやはり「介護と向き合うのがつらい」という方もいると思います。例えば家族介護となると、各家庭のさまざまな事情が、介護と密接に関わってきます。また、家族として向き合うからこその思いもあるでしょう。全ての方が、私のように気楽に考えられるわけではないことも分かっています。

それでも私は、今後介護に関わるかもしれない全ての方に読んでもらいたくて、この文章を書きました。

介護に対してとにかく「暗い、きつい」のイメージで凝り固まって苦しんでいる方や、「介護についてそろそろ真面目に考えなきゃいけないけど、気が重くて……」と現実から目を背けてしまう方たちにとって、背中を押す存在や心の支えになれたらいいなと思います。共に歩んでいきましょうね。

編集/はてな編集部

桜島ニニコ
桜島ニニコ

80年生まれ。既婚。介護士。性格は極めて温厚。よろしくお願いします。

ブログ限りなく透明に近いふつうTwitter@sakurajimanini 桜島ニニコさんの記事をもっとみる

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