「えっ、奈美ちゃんの家って……た、大変そうだね」
雑談の場で私が家族構成について答えると、こんな反応がよく返ってきました。28歳独身の私には今、3人の家族がいます。
51歳の母(写真左上)。
12年前に突発性大動脈解離になったことが原因で下半身麻痺が残り、以来、車いすを使用しています。現在は私と同じ会社で、研修講師として正社員で働いています。障害者手帳の印字は、身体障害者1級(重度)。
24歳の弟(写真左下)。
生まれつきダウン症という染色体の異常で、知的障害があります。就労継続支援B型の作業所に通っています。療育手帳の印字は、知的障害A判定(重度)。
78歳の祖母(写真右下)。
以前は大阪で小さな印刷所を営んでいましたが、店じまいし、家事をしてくれています。最近、少しだけ物忘れが多くなってきたかもしれません。
父は、14年前、私が中学2年生の頃に、心筋梗塞で他界しました。
あっ、あと、あまりかしこくないけど、最高にかわいい犬が2匹います。
こうやって書いてみると、私以外の全員が“介護が必要な人”と言っても、おかしくないですね。私が家族の介護を一人で背負っている、と想像する人がいるかもしれません。「大変そうだね」と言いたくなる人の気持ちはよく分かります。
しかし、私自身は「大変だなあ、苦しいなあ」という自覚がありません。
こんなことを堂々と言って良いのか分からないのですが、私は家族の介護を全くと言っていいほど、していません。それどころか、私は家族を神戸の実家に置いて、一人だけ東京で働いています。
母は車いすで生活していますが、発症後のリハビリのかいもあり、料理や入浴から車の運転まで、日常生活に必要なことは全て一人でできます。弟も行動や言動に発達の遅れはあるものの、身の回りのことは自分でこなしています。
私はそんな家族たちから「好きな場所で、好きな仕事をしなさい」と諸手を振って送り出してもらいました。なんと、ありがたいことでしょう。
しかし、ふと、立ち止まって考えてみました。
この自由気ままな生活が、いつまでも続くわけじゃないんだよなあ、と。
私の家族はみんな、底抜けに明るく、愉快な人ばかりです。自分のことは自分でやる、という強い意志を持っています。
でも、着実に祖母の足腰は弱まっています。今実家で担当してくれている家事を、できなくなる日がくるでしょう。
ふと、今まで考えていなかった、いや、きっとあえて考えないようにしてきた“介護”という二文字が私の頭をよぎりました。その二文字は私にとってとても重く、得体の知れない靄(もや)すらまとっていました。
ぎ、ぎくり。“介護”か……ちょっと、怖いかも。
せっかくの機会なので、私は仕事で東京にやってきた母と落ち合って、胸の内を話してみることにしました。
私の母、岸田ひろ実です。
手動運転装置付きの車を自分で運転して乗り回し、飛行機や新幹線で国内外どこでもはせ参じ、年100回以上の講演をこなす、スーパー車いすユーザーです。
実は「今後の介護と、必要なお金のことについて話そう」と持ちかけると、ものすごく渋い顔をしていました。苦虫をかみつぶしたような顔です。苦虫をかんだことはないけれど。
「暗いことを後先考えるの、苦手なんだよね。お金の話も、あんまりしたくない」
私は耳を疑いました。
家族の中でも一番に明るく、穏やかで、太陽のような存在の母です。きれい好きで、約束ごとを守る、私から見ればものすごく“ちゃんとした”人でした。
でも、言われてみれば、母と一緒に家族との将来を心配したり、お金の話をしたりしたことってないかもしれない……。
母は「お金に関しては私がザルだったのね。でも亡くなったパパはさらにアバウトで、ワク(ザルの網目すら無い、枠だけ)を自称してたなあ。おばあちゃんなんて、私の10倍くらい能天気だし」と、笑いました。
「だからね、岸田家の家計って、昔から“なんとな〜く”でしか、回ってないのよ」
「なんとなく!?」
思わず笑ってしまったけど、笑ってる場合じゃないぞ、これ。
28年生きてきて初めて気づいた、衝撃の事実でした。岸田家のお財布事情、なんとなくで、なんとかなっていた。
楽観視する母とは対照的に、私の不安は大きくなります。気乗りしない母に、まずは現状のお金のことを聞いてみました。
まず、岸田家を支えるお財布事情を確認しました。
「ええと、わが家が毎月もらってるお金はね……」
・母がもらっている、会社のお給料
・母がもらっている、父の遺族年金
・弟がもらっている、障害者年金
・祖母がもらっている、老齢年金
私の収入は実家の家計に入っていないので、省きました。(私が仕送りする代わりに、年に何度か私のお金で家族を旅行に連れて行くのが通例)
一方、毎月出ていくお金は、3人分の生活費、固定資産税、マンションの管理費、車のローン、水道光熱費、2匹の犬の餌代など。実家はローンのない持ち家なので、高額な固定費はありません。
「ああ、よかった。ちょっと余裕あるね」と、私は収支を見てホッとしました。
ただ、今の収入から母のお給料がなくなると、厳しくなります。すなわち、母が働けなくなると、岸田家はピンチ。
今後さらに祖母の体力が衰えて家事ができなくなり、さらには介護が必要になったら……? この先、母が今まで通りに働けなくなることは、十分予想されます。
そこで次に、家族以外のサポートを頼ることができるのか考えてみました。
祖母が担当している家事は、料理、洗濯、簡単な掃除、コンビニへの買い出しなど。足腰が弱ってきているため、買い物で重い荷物を持ったり、本格的な掃除は難しいようです。
現在は祖母と母で家事を分担しながら、週に二度ほど、掃除や買い物をヘルパーさんに頼んでいます。知的障害のある弟がいるため、生活援助という形でヘルパーさんのサービスを無料で受けられるそう。ヘルパーさん代っていくらかかるんだろうと気になったのですが、心配無用でした(国の支援、超ありがてえ……!)。
じゃあ、祖母が家事をできなくなっても、ヘルパーさんに頼れば大丈夫? と母に聞いてみたのですが、
「ヘルパーさんに無料でお願いできる時間の上限が決まってるから、これ以上頼む時間が増えると、お金がかかってしまうんだよね」
とのこと。料金を聞くと、私が予想していたよりも少し高かったです。ヘルパーさんが助けてくれる家事の量や質からすれば、もちろんとっても安い金額ですが、将来母が働けなくなったときに利用することを考えると、不安が残ります。
人はどうしたって、老いるもの。あまり考えたくないですが、祖母が家事をできなくなるどころか、寝たきりになることだってあるわけです。
下半身麻痺の母と知的障害のある弟だけで、在宅で祖母の介護をすることはできません。そうすると、考えられる道は2つ。
・仕事の状況はどうあれ、私が神戸の実家に戻って、在宅介護をする道
・祖母が、介護の体制が整っている施設に入居する道
しかし、祖母が施設に入居するという選択肢を想像すると、どうしても「家で一緒に過ごしたい。家族で面倒を見たい」という感情が勝ってしまいます。私は「自分が実家に戻るしかないな」と思いました。でも私が戻るとしたら、自分の仕事は諦めないといけないかもしれない……。
暗い未来を想像して、重い空気が流れます。そんな中、沈黙を破ったのは、母でした。
「私、いつも思ってるんだけど、暗い未来をいくら想像しても、状況なんていくらでも変わるから、意味ないよね」
全てはなりゆき。準備をしておくのは良いけど、必要以上に落ち込んだり、不安になったりするなら、それはもう「いざという時」に考えた方が良い。
問題に直面すれば、腹をくくって受け入れられるし、運のめぐり合わせで、意外となんとかなったりする。未来の自分に委ねるっていうのも、選択肢の一つ。
確かに「知的障害のある弟が生まれたこと」「稼ぎ頭だった父が突然亡くなること」「自分が下半身麻痺になること」という全て、母にとっては予想外の連続でした。
最初から「障害がある子を育てられるか?」「障害のある女手一つで子どもを養っていけるか?」と不安視していたら、心が参ってしまって、メンタルダウンを起こしていたかもしれません。
「でも、そういう状況になったら、意外と大丈夫なんだよ。開き直って、周りを頼ることもできるし」
明らかに祖母譲りの能天気な発言ではあるのですが、なんとも説得力がありました。
実は以前、母も同じように祖母の介護について考えたことがあるそう。その時、母に考えを切り替えるきっかけをもたらしたのは、作家・阿川佐和子さんのエッセイだったそうです。
阿川さんがエッセイで語ったのは「親が介護を必要としている時こそ、自分の仕事を大切に」ということ。
阿川さんは認知症の母親の介護について悩んだ末、介護施設へ入ってもらい、自分は仕事に打ち込みつつ、頻繁に会いに行くことを選びました。すると自分の心にも余裕ができ、家族と良い関係を保てたといいます。
母親に物忘れなどの症状が現れても悲観せず、「ボケに乗っかる」「ボケにボケで返す」ことを心がけたそう。その状況を、母親を含めた家族全員で思い切り笑い、楽しむ。
介護経験について明るく語る阿川さんを見て、母は「想像上の絶望や後ろめたさに沈んでいてはダメだ。人生は、楽しんだモン勝ちだ!」と感じたそうです。
実は祖母自身、母に対して「自分の介護に振り回されるのではなく、母のやりたいように生きてほしい」と話していたそう。そして母もまた、私に対して同じ思いを抱いていました。
「子どもは親の持ち物じゃないからね。私のことで悩んで苦しむより、奈美ちゃんがやりたいことを、思いっきり楽しんでくれる方が、私は幸せだよ」
ああ、思えばいつも私は、祖母と母から連なる愛に、包まれてきたんだなと温かい気持ちになりました。
「さっき、暗い未来を想像しないようにするって言ったけど、明るい未来はどんどん想像した方が良いと思うんだよね」
母がそう話すのを聞いて、私たちは家族の将来について「できないこと」「我慢しないといけないこと」から考えるのではなく、まずは「自分が人生でやりたいこと」から考えることにしました。
そして母と私が、これから先の人生でやりたいことで、一致したのはこちら。
・私たちと同じように、障害や身近な人の死などで、絶望している人の希望になりたい
・周囲に助けられた分だけ、今度は私たちがいろんな手段で、助け返したい
・旅行や仕事で海外に行き、日本のバリアフリーをより良くするヒントを学びたい
具体的な言葉にすると、今はやっぱり「使命感を持って、仕事をしたい」になるのだと思います。
岸田家の未来の目標は「家族の介護をする」から「それぞれが夢をかなえて幸せになるために団結する」になりました。
今日は私と母だけですが、祖母と弟も一緒に、これから話していきます。その先に、在宅で介護をする、施設に入居する、どちらも良いとこ取りをしてみる、別の方法を考える……と、私たち家族にとって前向きな道を選ぶことができるのだと思います。
「自分のやりたいことを大切にするってことは、将来的には良太(弟)も、グループホームに住む可能性があるよね」
親子会議の最後に、母にこんなことを聞いてみたのですが……
弟と離れることを想像しただけで「無理無理! 寂し過ぎる……!」と涙ぐんでしまった母。
いつかは良太も家族以外との共同生活に挑戦してみた方が良いに決まっているし、もしかしたら、実家で暮らすよりも楽しいかもしれません。それが頭では分かっているけれど、「じゃあ、いってらっしゃい!」と送り出すことが今はできない、と母は言います。
「子離れできてないのは、私が悪いって分かってる! でもやっぱり……心配だし、不安だし」
「私はもうずっと大阪や東京で一人暮らししてるけど」
「それも最初はすっごく寂しかった。何年もして、ようやく慣れたけど……」
慣れないグループホームで、夜中眠れずに泣いている弟を想像しただけで、母はもうだめだそうです。弟、旅先など実家以外のどこでも爆睡してるし、全然知らない人にもガンガン声かけに行くから、心配ないのになあ、と姉は笑うのでした。
「今はまだ、良太と離れるのは想像できない。でも、いざその時になったら、勇気が持てるのかも……」
そう言う母を安心させるために、来年は弟を連れて、こっそり日本中の知らない場所を旅して、たくましいところを見せてやろうと誓いました。
子どもにとっては全然平気に感じることでも、親にとってはまだまだ心配なのかもしれません。私もいつか子どもを持ったら、母の葛藤が分かるのでしょう。
その時が少し、楽しみにもなった親子会議でした。
ちなみに今回は「未来への不安についてあえて想像しない」という結論になりましたが、私が親子会議を企画した当初は、将来の介護に備えて、いつまでにどんな準備をしておかなければならないのか、母と一緒に細かくスケジュールを立ててみるつもりでした。
介護に備えて少しでも安心できるように……と思っていたのですが、一方で「ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう」と、考えれば考えるほど不安になってしまう面も。そんなとき、母の「状況なんていくらでも変わる」という言葉に、はっとさせられました。
母が障害者になって仕事が見つからないと困っていたとき、地域の整骨院で受け付けとして雇ってもらえました。そして患者さんたちの助言で、心理セラピストの仕事まで始められるように。さらにはそこで、生活にかかるお金のアドバイスなども気軽にしてくれる税理士の先生とも知り合えました。
今まで予想もしない困難に向き合ってきた母は、そのたびに周囲のいろんな人たちに頼って、ここまで乗り越えてきたのです。
だからこそ、いざというときの相談先を知っておくことは大切だと思います。
私の家族は、私以外の皆が障害者年金や老齢年金をもらっています。また、ヘルパー派遣の制度を受けたり、控除を受けたりしていますが、家族の健康や収入状況により、また住んでいる地域によっても、使える制度や条件が細かく変わるようです。
どんな制度があるのかネットで母と調べてみたのですが、「正直、こんなにいっぱいあったら分からない……!」が本音でした。そんなときは、自分が住んでいる地域の保健所や支援センターなどに設けられた窓口に連絡すると、福祉ケースワーカーさんが相談に乗ってくれるそうです。
母は以前、少しだけケースワーカーさんと話をしたことがあるようで「介護が必要な家族がいるとき、自分の仕事がある平日は施設で過ごしてもらい、休日だけ自宅に帰ってきてもらう方法とか、いざというときに相談の順番を長く待たなくて良い方法とか、こちらの希望を聞きながらいろいろ教えてくれたよー」とのことでした。
落ち込んだり、途方に暮れたりしたときほど、一人で抱えこんでしまう経験が私にもあります。だからこそ、いざというときに相談できる人がいるのはありがたいな、と思いました。
※記事中に登場する人物の年齢などは、2019年12月時点のものです
編集:はてな編集部
車いすユーザーの母、知的障害のある弟を持つ、平成3年生まれの文筆家。亡くなった父から受け継いだ「100文字で済むことを2,000文字で伝える」という作風を活かし、家族や自分の感動体験を伝える。バリアフリーの会社・ミライロの社長特命担当で、WEBメディア「スロウプ」の編集長。講談社「小説現代」「FRaU」でエッセイ連載、文藝春秋「巻頭随筆」の寄稿など。
岸田奈美さんの記事をもっとみるtayoriniをフォローして
最新情報を受け取る