私は今年で47歳、息子たちも28歳と20歳になった。
時間がたつのがとても早い。
50代も目前になって、体力が落ちてきたり、老眼になったり、肩が上がらなくなったり、白髪が増えたり、毛量が減ったり……。いろいろな変化は人並みにあるが、同世代の人や同級生に会うと「全然変わらないねぇ」と言ってもらえる。お世辞でもうれしいものだ。
20代の頃。
いや、私はだいぶ変わったと思うが。
そんなことより、私の中ではかなり変わってきたことがある。
年を取っても楽しく過ごすにはどうしたらよいのだろうか? と考えるようになった。
生きてきた積み重ねが結果として少しずつ見えてきて、老後のことに向き合い始めるのがこの年代辺りということもあるのだろうか?
今まで自分の周りにいる年上の人の生き方なんて気にもしていなかったが、最近は人生の先輩方に学べることもあるんじゃないかと思うようになってきた。
年を取っても楽しく過ごしている人は一体どのような生き方をしているのか? 私の周りにいる先輩方を見て学んでいきたいと思う。
私は15年ほど前から京都で活動するバンドにドラムで参加しているのだが、このバンドに何歳になっても楽しそうに過ごしている人がいる。
バンドの最高齢で、今年で67歳になったボーカルのカッチュンさん。
歌う声は大きいが、話すと物腰柔らかな関西弁。とてもホンワカした感じの人で、矢沢永吉さんの大・大・大ファン。写真からそんな人柄が伝わるだろうか。
出会った頃から活動的な人だったが、15年たった今も変わらない熱量で音楽活動をしている。仕事をしながら、6~9人いる大所帯のロックバンドで毎月ライブを開催。ライブは多い時で月3回ぐらい、ワンマンライブで歌う曲数は25曲以上。とてもパワフルだ。
バンドのライブだけではなく、夕方に仕事を終えたらギターを担いでいろんなライブハウスに飛び入りで歌いにも行く。
そういえばコロナが流行する2年前までは、365日のうち300日以上は地下鉄の駅の広場に弾き語りに行っていた。
「せっかくやから1,000回はやろうと思ってん」
と言って、雨の日も雪の日も歌い続けて、本当に1,000回を超えていた。音楽が大好きなキッズか修行僧でも憑依しているんじゃないかと思っている。
年を取ると人付き合いが少なくなるといわれているが、カッチュンさんはそういったこととは無縁だ。
バンドのメンバーは40年近く一緒にやっているし、ワンマンライブをすれば長年の友人や知人で埋まる。知らないライブハウスに飛び込んで対バンした人とも仲良くなっている。
とにかく周りに人が集まる。親戚がしょっちゅう集まっているような感じで、本当に楽しそうだ。
面白い人だし、音楽をしているから楽しそうな生き方になるんだろうなぁと思っていたが、よくよく見てみたらそういう理由ではなかった。
ぶっきらぼうだけれど人付き合いがとても丁寧で、人との距離感が絶妙だった。
年を取った人にありがちな長話をしないし、「こうした方がいい」とか説教じみたことを言わない。口癖は「ええんちゃう」とか「ほなやってみよか」と軽い感じ。一見すると「人に興味がないんじゃないか」と思ってしまうぐらい、何も詮索せずいろんなことがサラリとしている。
かと思えば、まめに人に挨拶に行くし、友人や知り合いが何かをやればどんなところでも顔を出す。
一度、「年齢を重ねても人付き合いが多いと体力的にしんどくならないですか?」と聞いたら、
「体はしんどいねんで。でも人がいると元気がでるやん。もっと器用に生きられたらええんやろうけど、自分は一人じゃ何もできへんしなぁ」
と言っていた。
そういえば以前、私が東京で舞台の仕事をしていたら「いつも無理言って京都来てもらってるしな。たまにはこっちから行かんと思ってなぁ」と言って、バスを借りて京都からバンドメンバーや家族と一緒に観に来てくれた。
とんでもなく大変だったと思うけれど、そんな様子は微塵も見せず、風のように帰っていった記憶がある。
こんなふうに誰に対してもまめで丁寧な付き合い方は何歳になっても変わることがない。人が集まる理由がとても分かる。
少し前まで私は、年を取ったら残された時間を大切にするためにも、面倒な人間関係は減らしていった方がいいんじゃないかと思っていた。
でも今はあまりそうは思わない。
煩わしく思っても、人付き合いは大なり小なりコツコツ続けていった方がいいのではないかと思うようになった。
ずば抜けて能力がある人や黙っていても人が寄ってくる人なら何もしなくていいかもしれないが、そうではない人が人間関係を減らせばどんどん孤独に近づいていく。それに年を取ってできないことが増えてくるのに、人付き合いがなければ困ってしまうだろう。
人が集まってくることが活力になり、何歳になっても元気で楽しく過ごせるんじゃないだろうか。
カッチュンさんを見ていてとてもそう思う。
今年で79歳になる私の母も楽しそうに毎日を過ごしている。
正確に言えば数年前ぐらいから楽しそうになった。
私と一緒に住み始めた頃は価値観の違いから私との言い争いも多かったし、私の息子たちとも気が合わず楽しそうではなかった。だが、パソコンを始めてインターネットの便利さを知り、iPhoneやiPadなどのガジェットを使いこなせるようになってからいろんなことが変わった。
母がパソコンなどを使いこなせるようになった過程は別の記事に書いているので、よかったら読んでみてほしい。
高齢の母と関係が改善したきっかけは、意外にも「パソコンとスマホ」だった
ちなみに今の母のデスク環境はこのようになっている。
iPhoneはメールやLINEや電話用。iPadはKindleを読んだり、読んだ本の気に入ったところをまとめたりするのに使う。MacBook AirではネットサーフィンやYouTubeなどの動画を見ている。Windowsは年賀状作成用だ。
かなりぜいたくな使い方だと思うが、インターネットでの検索もかなりできるし、Amazonでいろんなものを見つけて買い物もする。79歳でここまで使えるようになればなかなかだと思う。
以前は、私がリビングで夜な夜なパソコン作業をしていると「若くないんだから体のことを大事にして早く寝なさい」と言っていたが、最近は母の方が深夜まで起きてYouTubeなどを見ていて、
「あら、もうこんな時間! 早く寝ないといけないわねぇ、オホホッ」
と言うようになった。
インターネットはテレビと違って自分の好きなものをいくらでも掘って探していけるし、おすすめが次から次へと出てくるので時間が足りないそうだ。
時間を短縮するためにパソコンのショートカットキー習得にも熱心に取り組んでいる。
分かりやすい表まで作ってパソコンの横に置いてあり、私よりショートカットキーを知っていた。
そして、パソコンばかりしていると体に良くないと母は思っているようで、朝は家の周りの掃除をしたり、植木の手入れをしたり、スクワットをしたりしながら、インターネットを楽しむように心掛けているらしい。
良いか悪いかは置いておいて、とても楽しそうに見える。
年を取ったら趣味があると楽しく過ごせるといわれているが、母がパソコンやインターネットを使い始めてから、誰かと話すことが増えたのが大きいと思う。
以前はゲームをしている孫たちに対して「ダラダラして、そんな生活でいいの?」と老婆心からくる心配事ばかり口にしていた。会話らしい会話はほとんどなくギスギスしていたが、今では、
母「ねぇ、このアプリを使いたいのだけど教えてくれる?」
次男「いいよ」(と、使い方を説明する)
母「わぁ、ありがとう助かるわぁ。説明書なくても分かるなんてすごいのねぇ」
という会話や、
母「ねぇ、そのスープ入れて持ち歩いてるポット素敵ね、使いやすい? どこで売ってる?」
長男「すごい使いやすいよ、Amazonで売ってるよ!」
母「へぇ、私も買おうかしら。なんて打ち込めば出てくるの?」
といったやりとりが増えて、楽しそうに話すようになった。
“共通の言語”が増え、価値観が合わなくても楽しく話せるようになったまれなケースだと思う。母にとって難しく感じるパソコンやインターネットを軽く使いこなしている孫たちに対して一目置くようになったからかもしれない。
そして、私との会話もとても増えた。
いろんなYouTubeチャンネルを見て、今まで自分が知らなかった新しい情報や知識を仕入れた時は、目をキラキラさせて私に話してくれる。
陰謀論や怪しげな健康法の話をどこからか仕入れて熱心に私に話してくる時は少しばかり大変だが……私としても母が楽しそうなのはうれしい。
そういえば「Twitterをやってみたい」と言った時は全力で止めた記憶がある。
自分の面白いと思うYouTubeやサイトをLINEやメールなどで共有する方法を完全にマスターしたのがうれしくて、私や私の息子たちにポンポン送ってくるまでは良かったが、それ以上の拡散は恐らく楽しいことにはならないだろうと思ったから。
少し大げさに「Twitterにはこの世の地獄がある」と言ったらすぐに納得してくれた。
母の変化した姿を見て思うのだが、いくつになっても新しいものや新しい情報に触れて、それを家族や誰かに話すことができたら老後も楽しく過ごせそうだ。
母の場合は一生懸命に生きて、子どもたちをきちんと育て上げたから成せる部分もあると思うが、私も老いてもそういう環境をつくれるようにしたいと思った。
ありがたいことに私の周りには年を取っても楽しそうに生きている人が多い。
見ていると何歳になっても新しい出会いを求めたり、新しいことに挑戦したりしている。そういう姿勢が、楽しそうに見えるのだなと思う。
年を取れば体力的にできないことは増えていく。年齢を重ねれば重ねるほど、ありのままの自分を受け入れてもらえるなんてことはほとんどなくなるだろう。
自己啓発本に書いてあるような「面倒くさい人間関係はやめよう」といった耳障りがいい言葉は一時的には楽にはなるけれど、大事なものを捨ててしまうこともあるんじゃないかと思う。
人付き合いにしても、新しいことへの挑戦にしても、やらなければどんどん力は衰えていく。しかし筋トレと同じように自分に合った「負荷」を少しずつかけていけば、若い時とは同じようにはいかないにしても、そういう力がついてくるのではないだろうか。
最近はそんなふうに考えながら年を重ねるようになった。
編集:はてな編集部
俳優。2人の息子を持つ父親でもあり、独自の子育てをつづるブログが話題を呼び2017年に書籍化。
河相我聞(かあいがもん)さんの記事をもっとみるtayoriniをフォローして
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