今まで元気だったぼくが突然ケガをして気づいた、老いるまでに準備すべきこと

ケガをして困っていたはずのぼくは、優しい妻の手を振り払った

2019年の夏、ぼくは妻の実家の風呂ですべり、左ひじを床のタイルにぶつけた。ひじでタイルをかち割ってしまい、骨が少し見えるほどの深い傷だったので、4針縫った。

運よく骨折はしていなかったけれども、ひじなので、傷口がくっつくようになるまでは腕を曲げることができない。「まあ利き手と反対の左腕だしなんとかなるさ」と思っていたのだけど、自宅に戻り、再び風呂に入るときにちょっと困った。

まずは風呂に入るとき、患部をタオルで巻いて濡れないようにしないといけないが、左腕が曲がらない状態で右手だけでこれをやるのは意外と難しい。なんとか輪ゴムで上下を留めることに成功し、しめしめ、と思って浴室に入る。

今度は体を洗う番だ。始めは右腕だけでも意外となんとかなりそうだったが、苦労したのは背中だった。最終的にはいつも使っているタオルタワシの端っこを尻にはさんで固定して、ワイパーのように右手を行ったり来たりさせ、まあ完璧ではないがそれなりに背中をこすることができた。

だけど、どうにも洗えない部分がある。右腕しか使えないので、右腕自体が洗えないのだ。

こんなに他の部位のために一生懸命働いているのに、自分だけは洗ってもらえないなんて、なんてかわいそうな右腕なんだろう。ぼくは哀れな右腕を救うべく、膝にタオルタワシを置いて、そこに右腕をこすりつけようとした。ところが無情にも、膝の上のタオルタワシは右腕と同じ方向に動くだけだった。

むきになったぼくは、タオルタワシの端を、左手につかませた。おい左腕、曲がらないのは仕方ないとしても、せめてその手でつかむくらいは仕事しやがれ。そして、もう一方の端を股間にはさむと、その間に右腕をこすりつけた。これで、右手と前腕部はなんとか洗えるようになった。だけど、上腕部までは届かない。

こうなったら最終手段だ。ぼくは床にタオルタワシを敷いて、伸ばした左腕で片方の端を固定し、右肩から上腕部までを床にこすりつけはじめた。

ずいぶん長い時間、風呂から出てこないぼくを心配した妻が、様子を見にやってきた。中では四十を過ぎたおっさんが、アーとかウーとか言いながら床に体をスリスリとこすりつけていた。それを見た妻はすぐにぼくの体を洗い直してくれた。とてもありがたかった。背中も右腕もしっかりとこすってくれて、ほっとした。

けれども、それは突然起こった。

妻が、ついでにシャンプーで頭を洗ってくれようとしたときだ。なぜか、ぼくはそれをとても不快に感じて、思わず手を振り払ってしまったのだ。

ぼくはなぜ、妻の手を振り払ったのか

あんなに苦戦して、どうにもならなかったところを助けてもらったのに、頭をシャンプーで洗ってもらうことに対して、強い抵抗を感じたのだ。そのときは、なぜ自分がそんなに取り乱したのかよく分からなかったが、あとで冷静になってみると、こういうことだ。

確かに背中や右腕は、自分の力で完璧に洗うことができないと分かった。だけど頭は右手だけで確実に洗えると思っていたのだ。シャンプーなら、自分でできる。

だからこそ、普段は頭は一番最初に洗うのに、あえて最後までとっておいて、自分がちゃんと制御できる作業を、自分のペースで、心ゆくまで取り組みたい、そう思っていたのだ。それで、妻が親切でやってくれようとしたにもかかわらず「頭のことはほっといてくれと」拒絶してしまったのだ。

優しい妻の手を思わず振り払ってしまう、それほどかたくなで屈折した感情を自分が持っていること自体に、驚いてしまった。

ちょっと左腕が曲がらないだけで、性格まで変わってしまった

あの後、左腕が曲がらないだけで、背中を洗うだけでなく、他にもけっこういろんなことに支障が出てきた。パソコンは腕を伸ばしたまま打たないといけないし、書類をさっと取り出したりできない、カバンもさっと持てない、靴も速く履けない、つまりは全てにおいてスピードが落ちる。

ぼくはよくワークショップをやったり、ホワイトボードの前でウロウロしたりとけっこう全身を使っているのだが、それがちょっとずつ面倒になってきて、気がつくとものすごく行動量が落ちていた。

みんながノイローゼみたいに「生産性向上!」と叫んでいる中で、ぼくだけが一拍遅れ、それがまた別の行動を遅れさせ、全部がズレていって、いつのまにかふさぎ込みがちになってしまった。ちょっと左腕が曲がらないだけで、だ。

幸い、腕は2カ月足らずで曲がるようになり、また元の生活が送れるようになった。気分も少しずつ晴れてきて、行動的な性格が戻ってきた。

だけど、ふと気づいた。これから年を取れば、もっとできることが減っていく。おまけに、ケガと違って、もう回復したりしないこともたくさん出てくる。

かたくなな感情に気付き、老いた自分を想像した

年を取れば、ぼくはもっとかたくなになっていくだろう。

できることがどんどん減っていく中で、自分の力でなんとかしたい、自分の能力をまだ信じたい、そういう気持ちだけは残るだろう。むしろ、どんどん強くなっていくかもしれない。

特に、ぼくのように若い頃から「物事を自分の力でなんとかしたい、自分のアイデアで解決したい」と思う気持ちが強い人ほど、苦労するのではないだろうか。このままではきっと、ぼくは人生の終盤をとてもつらい状態で過ごすことになるだろう。

今の時代、「自律型人材」とかなんとか言っちゃって、どんなことでも自分の力でなんとかしなきゃという風潮だ。だけど、年を取ってもずっと自律し続けることなんて、難しいのではないだろうか。

果たしてぼくは、これから年を取って、できることが減っていくことに対して、どんな準備をすればいいのだろう。

誰かを頼るということは、相手を受け入れること

周りを見ていると、ぼくのようにかたくなに自分の力に頼るのではなく、上手に人に頼っている人たちが年齢関係なく存在している。

この人たちに共通しているのは、頼った相手が自分に対してやってくれたことを、まず受け入れるところだ。

本当はちょっと気にくわないことがあったり、目的とズレている回答が返ってきても、まずは相手がやってくれたことについて、ありがとうと感謝し、ここがいい、ここがすばらしい、と受け入れる。その上で、もうちょっとだけこうしてくれたらもっとありがたい、とか、ついでにこんなこともできたりする? なんて上手に希望を伝えている。

中には上級者もいる。基本的にすごく偉そうで全部上から言う、だけどこちらがやっていることの価値はよく分かっていて、本当にいい仕事をしたときにだけ、小さな声で感謝を伝えたりする。ぼくにはさすがにできないやり方だが、どうしても憎めないし、つい言うことを聞いてしまったりする。

いずれにしたって、物事を頼む相手がしてくれることを受け入れ、よく味わって、愛でる。そうやって、相手の存在そのものを受け入れている。

「受け入れ、分かち合う」という年の取り方

他人を受け入れる、というのはとても難しいことだと思う。自分のやり方、自分の価値観と異なるものを受け入れて、それに頼らないといけないというのは、個人主義に慣れ、自分だけの世界をしっかりと作っていくことが大事、と思って生きてきたぼくにとっては、なかなかに難しいことだ。

おまけに他人を受け入れるということは、それについての自分のやり方を一度手放す、ということでもある。オレならこんなふうにはやらないのに、オレならもっと上手にやるのに、というこだわりを手放す必要があるのだ。それは、これまでの自分自身を否定することにもつながりかねない。

もちろん、そうやって最後まで自分のやり方にこだわり続ける生き方もあるだろう。例えば無尽蔵にお金があって、何でもお金で解決し続けていれば、そういう悩みとは無縁かもしれない。だけど、仮にそういう選択肢があったとしても、きっと人はそのことに満足できないだろう。もっと良いサービス、もっと気配りの行き届いた対応、もっと自分らしい価値観を押し通せる方法を求め、満足しきることはないだろう。

だけど、もうそういう時代は終わった。

シェア、という言葉がいろんな場面で使われるようになった。

人々は、わざわざ誰かと一緒に住み、わざわざ誰かと仕事場を同じくし、わざわざ誰かと旅の思い出を共にし、わざわざ誰かの経験を追体験しようとする。

いろんなものをみんなで分かち合って、少しでも多くのうれしいこと、喜ばしいことを増やしていくことへの関心が高まっている。何より、人生の喜びというのは自己完結したものよりも、それを他人と分かち合うことで何倍にも膨れることを、ぼくらは知ってしまっている。

そんな時代を生きているぼくらだからこそ、新しい年の取り方があると思う。自分が持っているものを少し手放し、相手の考えや行動を受け入れ、愛でて、一緒に喜ぶ。そんなふうにして年を取ること。

それって、なんて創造的な生き方なんだろう。お互いを思いやり、大切にし合う空気が、世界に広がっていったらいいな、なんて妄想する。年を取るのがもっと楽しみになる、そんな世界になるといいなと思う。

だから、やっぱりシャンプーは人にしてもらえる方が幸せなのである。

編集:はてな編集部
 

いぬじん
いぬじん

犬のサラリーマン/共働き研究家。中年にビミョーにさしかかり、いろいろと人生に迷っていたころに、はてなブログ「犬だって言いたいことがあるのだ。」を書きはじめる。言いたいことをあれこれ書いていくことで、新しい発見や素敵な出会いがあり、自分の進むべき道が見えるようになってきた。今は立派に中年を楽しんでいる。妻と共働き、小学生と保育園児の子どもがいる。コーヒーをよく、こぼす。

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