40年ぶりのアイスホッケーは、下手でも楽しい。60代になった僕が「楽しめるコト」に出会えた理由

競争から降りたら、何がある?

僕は62歳になった。

60代というのは、どんな年齢なのだろう。たくさんの60代以上と接してきたとしても、その人たちが内面で何を考えているのかは、なかなか分からない。僕自身もせいぜい、相変わらず血気盛んな人もいれば、萎びていく人もいる、といった程度の印象だ。

しかし自分が60代になって、ふと考える。これから先の自分は、誰のために、何のために生きていくのか、と。

人は歳を取るにつれ、人生で運んできた荷物が少なくなる。子育て、仕事での役職、親の介護など、50歳を超えたあたりから、徐々に解放されていく人が多いだろう。65歳を超えれば年金も支給される。人によって濃淡はあっても、自分以外の誰かや、生活のために働かなければならない時間は減る。

人生100年時代だから生涯現役で、と思う人もいるだろう。しかし僕の場合は、20年続けた小さな会社をたたんで、業界から身を引いた。コロナ禍の影響もあるが、自分がここに居続けるよりも、次の世代の活躍に託す方がいいと考えたからでもある。

20年間、僕の仕事の原動力は「競争」であった。仲間に馬鹿にされたくない、優越したい、認められたい。それこそが、生きがいになっていた。

しかしそこから身を引いた今、ふと気がつけば夫婦の親は全て他界し、娘たちもそれぞれ家庭を構え、僕の荷物といえば、自分たち夫婦の後始末と14歳のラブラドールの看取りぐらいになった。

「荷物」も「競争」も少なくなった毎日を生きるには、何かの楽しみが必要だ。では、どこにどんな楽しみや生きがいを見つければいいのか。

実は僕は50歳ぐらいから、仕事以外にどんなコトを楽しめるか、探してきた。10年以上の旅を経て、今では競争と無縁の楽しみを、やっと見つけた気がする。長い未来はなくても、運ぶ荷物はなくても、誰かと競争して優越を感じなくても、子供時代のように楽しめる毎日を。

本稿は、そんな僕の趣味を巡る旅の話だ。全ての人のためにはならなくても、誰かのヒントになりたいと願っている。

好きなコトを見つける旅は、失敗の連続だった

40歳代半ばに「剣道」を始めてみた。武道なら一生楽しめるかと想像して、近所のサークルに入れてもらった。サークルのメンバーのほとんどが子供たちである。子供は不死身だ。一方の僕は完全な初心者で、腰痛持ちでもあった。しかし初心者とはいえ大人なので、きついからといって練習途中で離脱も許されない。せっかく加入を許していただいたのに、つら過ぎて、半年で行けなくなった。

会社員時代、休みの度に行っていた「釣り」。自営で時間が比較的自由になってからもときどき、奈良の渓流、湖、大阪湾などに出かけた。対象魚はアマゴ、イワナ、バス、シーバスなどだ。ボートの3級免許も取得した。が、不思議なことに、時間の都合がつくようになればなるほど、釣りに熱中できなくなった。奈良の天川村の雄大な渓流に一人でいると、細いテグスが見えず、孤独が身に染みた。

現代の日本人には「歌と踊りと祈りが足りない!」と思っていた僕は、自分の会社の従業員数名とヒップホップ・ダンスのクラブを始めた。就業時間終了後、週1回、1時間のレッスン。が、自主練習してもうまく踊れるようにはならない。自分の動画を見ると、幼稚園のお遊戯か小学生の運動会みたいだ。とほほ。発表の場も作らなかったので、モチベーションは下がる一方。会社の消滅とともに、ヒップホップ・ダンスのうまいお爺(じい)になる夢は潰(つい)えた。

若い頃、小説家になりたかった。40歳を過ぎてからたくさんの人にブログを読んでもらえるようになったので、その後再び、小説の商業出版が野望に。60歳を前に、2回続けてメジャーな賞の一次選考を通過し、会社を整理したら可能な限りの時間をかけて小説に取り組む、と心に決めていた。が、以降の作品は、一次選考にも残らない。出版のアテのない小説を一日中書き続ける苦痛は、予想を遥かに上回る。孤独感と無為な思いに苛まれて、人生の一番の目標の看板からは下ろすことにした。

55歳ぐらいの時、自転車を買った……。以降、字数の都合により省略。

40年ぶりに「アイスホッケー」の楽しさを再発見

大学時代の僕は、体育会のアイスホッケー部だった。が、もちろんそれで食えるわけもなく、自分の道を探すのに忙しい僕は、卒業後40年間、アイスホッケーとは無縁の生活を送っていた。

そんなアイスホッケーを、61歳の時に再開した。

スケーティングから足慣らしをしたものの、1回目でふくらはぎがきつい肉離れになった。1カ月ほど休んで再開したが、また、足の筋肉を痛めた。還暦を越えて40年ぶりに再開というのは、あまりに無謀ではないのか、やっぱり無理か、と諦めかけた。

が、所属させてもらったクラブに大学時代からやめずにホッケーを続けている仲間がいた。彼らとの再会が楽しく、また、励ましてもらえたので、やめずに済んだ。2年目に入った今では、大学時代の3回生ぐらいの技量にまで戻っていて、ホッケーを楽しめている。

とにかく、楽しい。クラブも練習会も、僕よりうまい人がほとんどで、技量的には最下層だ。でも、楽しい。昨日よりうまいプレーが一つできるだけで、とてもうれしい。さまざまな年代のプレイヤーと馬鹿話をするのも、楽しくて仕方がない。

僕はアイスホッケーに再会できて、還暦を超えて楽しめている。しかしそれまでに、先ほどのような「好きなコトを巡る旅」をして、そこに書いた以上に多くの失敗をしてきた。年を取っても楽しめる趣味に出会うことは、なかなか難しいことかもしれない。

そこで、60代になった僕が「楽しめるコト」に出会えた理由をいくつか書いてみたい。

1.年齢を理由に諦めない

僕が現役のプレイヤーだったのは、40年前。その頃は、50歳を超えてちゃんと滑れるプレイヤーがいるとは知らなかった。現在では、『アイスホッケーは生涯スポーツ』といわれていて、実際、クラブには70歳を超えて元気に走り回るプレイヤーもおられる。

チームによっては、40歳以上、50歳以上、60歳以上などの年齢をオールドタイマーとして区切り、ボディ・チェック(相手に体当たりするなどして攻撃を防ぐこと)の禁止など、年齢を考慮した独自のルールも整備されている。

僕はホッケーしか知らないけれど、高齢者も楽しむことが増えているスポーツなどは、それぞれ環境やルールの整備がされつつあるのではないだろうか。年齢を理由に諦める前に、本当にできないか、確かめてみてほしい。アイスホッケーのような激しいスポーツでも、還暦超えで十分に楽しめるようになっているのだから。

2.下手を理由に諦めない

下手なおっさん、爺さんが、スポーツをやるのは、かっこ悪いだろうか? いや、ど下手でも堂々と、しかもめちゃくちゃ楽しそうにしているおっさん、爺さんは、カッコイイ。仕事で何者かになれなくても、そのスポーツが下手でも、人生にはかけがいのない楽しみがあるんだと、体現している。それを見る子供のプレイヤーにも、良い影響を与えるだろう。

僕の所属するクラブ(『ジグクラッシャーズ』)には、関西アマチュアのトップクラスのプレイヤーもいれば、幼稚園児もいるし、50歳にしてホッケーを始めたおっさんもいる。クラブでは、技量によってチーム分けがなされていて、皆がそれぞれ堂々とホッケーを楽しんでいる。僕は曲りなりにも経験者だけど、50歳を超えてホッケーを始めた方々のホッケーに対する愛には、尊敬の念すら感じる。

3.楽しめる場所を慎重に探そう

年を取ってからの趣味だからといって、高齢者向けの場所から自分に合ったコトを探さなくてもよいと思う。むしろ、好きなコトを探して、高齢者でも加入が許される場所に入った方がよい。高齢者限定の集団に身を置くより、さまざまな年代の人がいる場所の方が、圧倒的に楽しいと思うからだ。

一方で、僕の剣道の失敗談のように、加入は許されても、体力的に無理な場所もあるだろう。僕がアイスホッケーでお世話になっている『道場』という練習会では、プレイヤーの技量に合わせてきめ細かなコーディネートをしてくれる。プレイヤーの技量に差があり過ぎると、皆が楽しめなくなるが、マッチ形式の練習などでも、技量の差があまり開かないように考慮してくれるので、遠慮なく楽しめる。

『ジグクラッシャーズ』といい、『道場』といい、下手なおっさんにも楽しめる環境があって、僕や関西のホッケー愛好者はとても恵まれている。

自分の技量や歳であっても、受け入れて楽しませてもらえるのか、サークルに加入する前に、ある程度調べておくといいだろう。

「好き」で「人と交流できる」ことを始めると、やがて人の役にも立てる

好きなコトをあらためて探してみて痛感したのが、競争から降りた後では「人と交流のある活動」を選ばないと、精神的につらいということだ。

釣りや読書、小説を書くことなどが昔ほど楽しめなかったのは、僕の場合、「交流」と「孤独」のバランスが悪かったからだと思う。人との交流でもたらされる喜びは、生きる上で必須だと感じる。

これは、天職を見つける指針として、よく描かれる図だ。「お金になる」「好き」「人の役に立つ」の三つの要素の重なる領域(C)が、最高だ。しかし競争を降りて自由な時間が増えたら、もう一つの要素、「人と交流がある」が重要になると思う。

「人の役に立つ」も大事だけど、そこから入ると自分が消耗するだけという場合もあるので、まずは「好き」から入るのがいい。

でも、「好き」だけでいいのか。本当に、それで生きがいを感じられるのか。中高年は、好きな活動を始めたものの、案外、楽しめなくて、家に引きこもる人も多いと聞く。たぶん、そういう人たちは「競争原理」「人より優位に立つ」思考を引きずっているのだと思う。

しかし「好き」+「人と交流がある」活動(A)をすると、「人の役に立つ」役割も見え、自然と(B)のゾーンの活動も増えて、生きがいも感じられるようになる。

例えば、僕はホッケーの技量は最下層だから、教えてもらうばかりだ。だけど、50歳からホッケーを始めた人たちに、「ホッケー」ではなく「スケーティング」を教えるのは可能だ。あるいは、同程度の技量の人たちなら、プレーを慎重に見ていて、進歩に気づいて褒めてあげるのも可能だ。

どんなスポーツでも、自分より技量の低い人たちを慎重に見守ったり、審判を買って出たり、あるいは、パックを集める、ボールを片付けるなどの雑用を引き受けるのは可能なはずだ。

指導者や技量の高いものだけが、チームに貢献できるのではない。「競争」を捨てて見れば、その集団で自分が役に立つ方法は無数に存在すると気付く。

それは、新しい生きがいになりうる。僕の実体験だ。

趣味も挑戦。小さな挑戦を積み重ね、やがて大きな挑戦も

中高年だって、毎日練習すれば、わずかではあっても、必ず1ミリは上達する。僕は今、若い頃に一度やめてしまったギターを再開して楽しんでいる。当時に比べると、YouTubeなど便利な教材がずいぶん増えて、やりやすくなったと感じる。

最初は到底無理と思える曲でも、少しずつできる箇所が多くなり、半年後には通して弾けるようになったりする。こういった「小さな挑戦」と達成は、純粋に自分のための趣味の喜びだ。

そして、素人だって、今から始めたって、自分にとってもっと「大きな挑戦」だってできる。

僕は昔から、アカペラがやりたかった。音痴だけど……。で、アイスホッケーに味をしめた僕は、大阪で素人のおっさんだけのアカペラのクラブを探した。が、アイスホッケーのように、下手で未経験者でもウエルカムなアカペラのサークルが見つからなかった。

そこで思い切って、自分で先生と仲間を探して、コーラスのクラブを始めることにした。今では、小さく始めたチームで、お互いの声がハーモニーを奏でる特別な時間を共有している。コロナ禍の状況もあるが、できれば2022年12月には100人規模のライブがしたいねと話している。

それをある友人は「大人のお遊戯会みたいなもんやね」と言った。まあ、半分は当たってるけど、友人には見えていない面もある。コーラス・クラブの先生は言う。「楽器の下手はただの下手。歌にはヘタウマがある」と。

ハーモニーには、来場者を感動させうる可能性がある。何の得にもならないのに、懸命に練習して、純粋にハーモニーが生み出す喜びを楽しんでいるおっさんたちって、素晴らしいと僕は思う。

社会的には小さな試みだけど、自分にとっては、仲間にとっては、来場者を感動させることができるか、とっても大きな挑戦だ。

もし、あなたが誰かとしたい趣味があるとする。でも、適当なクラブもサークルもないとしたら……。作ってしまえばいい。というか、ぜひ、あなたに作っていただきたい。

行き場のない、孤独なおっさんたち、爺さんたちが、生き生きと楽しめる場所が少ないのが、今の日本の社会の課題でもある。

もう歳だから、下手だから、偉そうにするから、中高年の参加を嫌がる趣味のサークルもあるだろう。少なくとも、偉そうにしなければ、歳でも下手でも堂々と楽しめる場所を、あなたに作っていただきたい。さあ、一緒に、挑戦を始めようではありませんか。

編集:はてな編集部
 

Ichiro Wada
Ichiro Wada

1959年、大阪府生まれ。京都大学農学部卒業。大手百貨店に19年勤務したのち、独立。まだ一般的でなかった海外向けのECを2001年より開始し、アンティーク着物の販売を20年続ける。2021年をもって廃業し、現在は学生ぶりに再開したアイスホッケーチームや、仲間と始めたコーラス・クラブ「H.O.O.T(ホット)」で活動中。

Twitter@ichiro50 Ichiro Wadaさんの記事をもっとみる

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