自分の老後、そして親の老後……、今後我々はどう生きていけばいいのか? そして趣味や仕事と両立できるのか? という疑問を先人や専門家にお伺いしたい! これはそういう連載です。
バンギャルの老後について、その道のプロや先輩方にお話を伺ってヒントを得ていく連載『ヘドバンしながら老後を考える』
バンギャル(ヴィジュアル系バンドのファン)のライタ ー・藤谷千明と、おなじくバンギャル漫画家・蟹めんまのコンビが、憧れの先輩方に突撃インタビュー前編!
自分の老後、そして親の老後……、今後我々はどう生きていけばいいのか? そして趣味や仕事と両立できるのか? という疑問を先人や専門家にお伺いしたい! これはそういう連載です。
今日は、ライターの大島暁美さんと、マンガ家のシマあつこさんをゲストにお迎えしました! 我々の世代のバンギャルからすると、憧れ&レジェンド的存在です!
こんにちは〜!
こんにちは〜!
今日はよろしくおねがいします! シマさんは数年前まで、ご両親と義理のご両親の介護をされていたと伺いました。まずはそれぞれのお話を聞かせてください。
元々は主人の両親と、二世帯住宅で暮らしていていたの。義両親もマンガの仕事のことを面白がってくれて、忙しいときはお義母さんに子供を見てもらったりして、皆で楽しくやっていたのね。
素敵ね〜。
そうなの。そして、数年前に私の両親も主人の両親も見送って、今は夫婦二人と犬とウサギで暮らしてるのね。
介護が続くのは大変だったでしょう……。
めんまさんも、昨年お爺さんの介護のお手伝いをされていたんですよね。
皆さんに、そうおっしゃっていただけるんですけど、ひとりひとりの介護期間は短かったり、周囲の協力もあったりして、そこまで大変だった記憶はないの。最初に亡くなったのはお義父さんなんですけど、どこも悪くなかったし、ただ高齢になって食事ができなくなっていって……。
ウチの祖父もそうでした。口から食事ができなくなるとあっという間で。
「2月は寒いから、葬式に来る人が大変だろうから、3月にするか」「やめてくださいよ~」なんて冗談をいうくらいで。最期は「心配してくれてありがとう、タンスの中に葬式代がある」と、伝えてから息を引き取ったんです。
すごくしっかりされたお義父様だったんですね。
その時に、家で誰か亡くなると警察が来ることを初めて知りましたね。
えっ、どういうことですか?
そうなんですよ。ウチの祖父も最期は家で看取ったんですが、お世話になっていた在宅医療の先生から、「このまま家で亡くなると、手続きが特殊なのでもう逝ってしまいそうだと感じたらまずウチに連絡してね!」と念を押されました。
“手続きが特殊・・・”?
在宅で亡くなる場合は、診断書があるとないとでは警察の対応が全然違うそうで。
死亡診断書を書いてもらったりしないといけないのよね。警察の方も、事情を説明したら納得してくださったんですけどね。救急車を呼ばない方がいいそうで、私の母を看取ったときは在宅医療に切り替えていたので、そこの先生に救急車を呼ばないでこちらに連絡くださいねって言われていました。
救急車を呼んだらいけないんだ。
救急車を呼んで、そこで亡くなったら警察が来るんだって。祖父の場合、病気ではなかったから、主治医もいなかったこともあって……。
亡くなってるのと穏やかに寝てる姿ってほとんど一緒ですよね。素人は「亡くなった」って判断できないから、どう考えてもまずは救急車呼んじゃいますよね。
よく「ピンピン・コロリが良い」と言いますが、それも「急死」とされてしまうから、事情の説明に色々大変なんですね。勉強になります。
その1年後くらいに、実家の母が亡くなったときも、親戚を集めてワイワイと、わりと明るく見送るような雰囲気でしたね。私が介護したのも数ヶ月くらいだったので、長い期間でもありませんでしたし。
数ヶ月は長いですよ。
お義母さんのときも、主人の姉がヘルパーなんですが「介護はひとりで背負ったらダメよ」と言ってくれて、ヘルパーさん、主人、義姉、義妹と手分けしての介護でした。
「介護はひとりで背負ったらダメ」はこれまでの取材でも、皆さんおっしゃっていました。
家族に有識者がいると助かりますね。
父のときも、弟と一緒に乗り切りました。私の住んでいる家と実家は近所だったんです。そうすると、ケアマネジャーさんも同じ地域の方だから、両方の家を気にかけてくれて、それも助かりました。
そういうこともあるんだ!
変な話、葬儀場も近所にあったので、お葬式は全員そこでやったので、2回目以降は知っていることも多くて、大変だったことは少ないですね。
ウチも祖父と祖母のお葬式は同じ会場でやりました。そうなると、勝手知ったるというか。
こういう表現は語弊があるかもしれませんが、「通い慣れたライブハウス」的な……?
そうそう(笑)。
なるほど……。
そんなわけで、「4人も立て続けに見送って大変だったでしょう」と言われることもあるけれど、周囲の協力もあって、普通に仕事もしていました。もちろん「あの時こうすれば、ああすれば」なんて後悔は、どうしても出てきてしまいますけど、それは「あれで良かったんだ」と思うしかないですよね。
貴重なお話をありがとうございます。
そして、大島さんは現在、お母様と同居されていると伺いました。
16年前に父が亡くなったのがきっかけで、母と祖母に私の自宅の近所に引っ越してもらったの。その2年後くらいに、祖母が大腿骨を骨折してしまい、リハビリも頑張っていたんだけど、1年後に亡くなってしまったの。
大腿骨が「転機」になりやすいという話は、よく聞きます。
ウチの祖母も90歳超えて元気だったんですけど、下半身を骨折してから、坂道を転がるように状態が悪化して、亡くなってしまったんです。
そうなのよね……。それで、生まれてから一度も一人暮らしをしたことのない母が心配になって、私の住んでいるマンションの別室に空きが出たというから、そこに住んでもらうことにしたの。
ウチの義母さんも、一人暮らしはしたことはなかったと言ってたわ。あの時代のひとはそうなのよね。
同じマンションの別のフロアだと、プライベートも確保できるし、何かあったとき、すぐに対応できるからいいかもしれませんね。
同居のきっかけも聞かせてください。
できるだけ母の部屋に顔を出すようにしていたのだけど、ある頃からコンロに焦げたお鍋がかかっていたとか、そういう不注意が増えてきたり、持病のリウマチがあったりして、生活に不安を感じたので、同居を提案することにしたの。
もともと大島さん一人で暮らしていたお部屋に、お母さまが来る形に?
そう、一人と猫二匹で暮らしていたところをリフォームして、母の部屋を作ったの。他に、夜中に冷えるのはよくないから床暖房を入れたり、ガスコンロをIHに変えたり。そして、去年の4月に正式に引っ越しを始めたのだけど、私の部屋にも、もともと母の住んでいた部屋にも、たくさん物があって「断捨離」に苦労しました!
実家というか、親の断捨離問題、周囲からもよく聞きます。
なんでも溜め込んであって。食器なんかも「一人暮らしなのにどうしてこんなに?」ってくらいたくさんあるの(笑)。
ウチも先日遺品整理をしたので、それはすごくわかります(笑)。
家族全員いた頃の6人分の食器があるのよ……。
それも同じです……。物をすごく大事にする時代の人ですしね。
想い出がこもってるから捨てられないのよね。
でも、私は心を鬼にして、「私も自分のものを処分するから!」と強引にすすめたの。そしたら、周囲に「鬼娘が皆捨ててしまった」と言ってたらしくて(苦笑)。
本当に共感しかないです。
そんなふうに、同居が始まり、今に至るわけ。
生活に変化はありましたか? 例えば、我々「ロックンロール日記」の読者からすると、大島さんはよくミュージシャンとお酒を飲んでいるイメージもあるのですが。
さすがに年齢的なこともあって、夜な夜な飲み歩くような事はなくなりましたね(笑)。
「行くよ〜」と約束していたライブも、母の調子が悪いと当日にキャンセルしてしまうこともあったので、ライブの予定そのものを減らすようになったかな。
今大島さんは「にゃんだらけ」というイベントを主宰されていますし、そういう外せない予定はどうされてますか?
むしろ、イベント準備でヘトヘトになってるときは、母が気を使ってくれるのよね。お昼ゴハンを作ってくれたりとか(笑)。
誰かをいたわることで、元気になることはありますよね。
他に母と暮らしていて気がついたのは、自分の好きな音楽を大きな音で聴けないこと。ひとりの時はメタルハードロックをスピーカーでガンガンかけていたけど、さすがにね(笑)。
なるほど(笑)。
ヘッドホンで聴いていると、お母様の声が聞こえなくなりますもんね。
そうなのよ〜。
祖父の入院のつきそいをしていた頃はそうでしたね。点滴の機械のエラー音とかを聞き逃しちゃうのが心配で、耳を塞ぎたくなくて……。
だから最近は、車を運転する時が好きな音楽を聴く時間になってます。
大島さんはかねてから、猫と暮らしていたそうですが、お母様と猫は仲良くやっているのですか?
母は犬の方が好きで、昔は犬を飼っていて、「猫はきらい」っていつも言ってたの。でも一緒に暮らし始めたら、すごく仲良くなっちゃった(笑)。私がいない時は猫の餌も与えてくれるの。
それは絶対にお母様の元気の源になってますよ。
動物がいるといいわよね。うちもワンちゃんとウサギがいるから。
去年、犬と暮らせる老人ホームに取材に行ったのですが、すごく素敵な雰囲気でした。
動物と暮らすのは大変なことも多いけど、その中で楽しいこともたくさんじゃないですか。家族の介護も大変というニュースも多いし、もちろん大変ですけど、その中で相手を助けているつもりが、助けてもらったりすることもあったんです。そういう部分ってあまりニュースにならない気がして。
どうしても「こんなに大変なんです」っていうニュースタイトルのほうが目をひきますからね。
だからこそ、こういう話はしていきたいんです。
「人」という字は人と人が支え合うんですね。後半に続きます〜。
奈良県出身の漫画家・イラストレーター。小学生の頃V系バンドに目覚め、以後約20年をバンギャルとして過ごす。主な著書はバンギャル人生をネタにしたコミックエッセイ『バンギャルちゃんの日常①〜④』(KADOKAWA)。趣味はスーパー銭湯めぐりとプロレス鑑賞。
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1981年生まれ。自衛官、書店員、DTPデザイナーなどの職を節操なく転々として、フリーランスのライターに。趣味と実益を兼ねたサブカルチャーの領域での仕事が多い。共著に「すべての道はV系へ通ず。」(シンコーミュージック)、「想像以上のマネーとパワーと愛と夢で幸福になる、拳突き上げて声高らかに叫べHiGH&LOWへの愛と情熱、そしてHIROさんの本気(マジ)を本気で考察する本」(サイゾー)など。
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