ふとした転倒、ちょっとした気になる言動……あれ?と思っているあいだに、気づけば親の介護は始まっているものです。編集・ライターの小林さんもそのひとり。「まさか…」と思っているうちに始まった義理のお母さんの介護を小林さんが振り返る、体験エッセイです。
「不思議なことに、悪いことって続く時には続くものなのですね」
義母が自宅や外出時に転倒を繰り返し、相次ぐ骨折に見舞われたかと思えば、白内障の手術を受けることになるなど、“病のドミノ倒し”状態の中、今度は義父が病に倒れました。病名は胆管がん。
手術を受けることになりましたが、がんそのものを治療するのではなく、胆汁を流すための管を入れる対処療法ともいえるものでした。その際、家族は反対したのですが、義父の希望で義母が病院に付き添うことに。義母は何度も転倒と骨折を繰り返したこともあり、かなり歩くのが危うい状態になっていたので、病人が病人に付き添うようなもの。私の妻が代わりに付き添うと言ったのですが、
「ばあさんが、いい。ばあさ〜ん、来てくれ〜」
と言うことを聞きません。わがままで頑固な性格の義父でしたが、こんな時までわがままが止まらない。困ったものです。しかし、義母にしてみれば、子供たちに迷惑をかけたくないと思ったのでしょう。義父の希望を聞き入れ、自分が付き添うことを了承したのです。
そして入院の日を迎えることになりました。その日の夜でした。案の定ともいえる事件が、またまた発生したのです。
あれは、午後10時を過ぎた頃だったと思います。妻の携帯電話の着信音が鳴り出しました。年老いた親を持つと、普段電話がかかって来ないような時間に着信音が鳴ると、悪い知らせではないかとドキリとするものです。まして今朝、義父が入院したばかりなのですから…。
予感が当たりました。義父が入院している病院からの電話でした。容態が急変したのか? 緊急手術を行うことになったのか? 頭の中を嫌な予感が駆け巡りました。ところが問題が起きたのは義父ではなく、付き添っている義母のほうでした。
病室内で足がもつれて転倒し、床に頭部を打ちつけたためCTとMRI検査を行うというのです。義父が入院したのは誰もが知っている大学病院だったので、検査機器などの設備は充実していましたし、救急にも対応する病院なので、すぐにでも検査してもらえるということでした。慌てて病院に駆け付けたのは言うまでもありません。
幸いにも脳内に出血などは見られず、安静にしていればいいとのこと。義父のベッドの横にもう1台ベッドが用意され、なんともバツが悪そうな表情で義母が横たわっているシュールな光景がそこにありました。
「なんで転んじゃうのかしらねぇ」
そんな義母の言葉に拍子抜けし、医師からも「特に問題はない」と言われたことで、ホッと一安心。脳を診てもらって何ともないのだから、とりあえず認知症の心配もないのだろうと胸を撫でおろしました。
結局、義父は10日間ほど入院した後、自宅療養に。処方された大量の薬を飲み、家でのんびりテレビを見て過ごす日々。寝たきりにはなりませんでしたが、ほとんど引きこもり状態になっていました。
「ばあさ〜ん、ばあさ〜ん」
義父はこれまで以上に、義母に何から何まで依存するようになりました。夫が病気になったことで、義母も「自分がしっかりしなければ」という思いが強くなったのでしょうか。歩き方こそ危なっかしいものの、おかしな言動は影を潜めたのです。
その一方、前年に骨折した右手首のリハビリを行うため、義母の整骨院通いが始まりました。整骨院への送り迎えは私の妻が担当。ドライブしているような感覚だったのか、クルマの中では上機嫌。ところが整骨院でのリハビリでは、思うように右手が動かず不機嫌。担当の施術者に「家でも練習するように」と言われたため、妻が実家へ行った際に「見てるから、一緒にやろう」と言っても、面倒くさがってやりたがらない。そんな態度に「やる気がないから治らないんだよ」と思わず責めてしまったことも…。
いま考えると、この頃から義母の認知症は静かに進行していたように感じます。リハビリしたこと自体を忘れてしまうために、施術中には動かせた腕の可動範囲まで忘れてしまう。結果、毎回のリハビリがゼロスタートになる。効果が表れなかったのは、認知症が原因だったのではないかと思うのです。もちろん、これは素人の見解でしかありませんが。
そんな矢先、義母は新聞を取りに行った際に玄関で転倒。この時は、おでこにコブをつくる程度で済みましたが、その後も何でもない場所での転倒が続きました。この頃から義母がひどいふらつきを訴え始めたため、近所の病院へ連れて行ったところ、異常に血圧が高く、上が200を超えていました。医師に紹介状を書いてもらい、すぐに大きな病院へ。脳卒中も考えられるため、MRIとMRAで脳を検査してもらったところ、医師から決定的なことを告げられてしまいました。
人格や社会性、言語を司る「前頭葉」、記憶や聴覚、言語を司る「側頭葉」に萎縮が見られると。結果、「認知症の可能性あり」と告げられたのです。これまで異なる病院で診察を受けていましたが「認知症」という病名が医師の口から語られることがなかったため、心の中で「もしかして…」と思いながらも認めたくはありませんでした。ところが初めて義母の検査結果に「認知症」の病名がついたのです。2013年8月末、まだ夏の盛りが過ぎ去らぬ頃のことでした。
しかし、「認知症の可能性があるだけ」で済めば良かったのですが、神様は奇跡を起こしてはくれませんでした。そこから拍車がかかったかのように、義母の認知症の症状は坂道を転がるように悪化の一途をたどっていったのです。
(第3回に続く)
イラスト:ちーぱか
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