国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の年間死者数は「戦後最多」を更新し続けており、2040年前後に約168万人のピークを迎えるという。
「超高齢化社会」の次にやってくる「多死社会」を、私たちはどのようにとらえればよいのだろうか?
人生の最期を支えるプロフェッショナルたちと一緒に、その答えを探って行こう。
自らが生きているうちに「死」を体験し、「死」についての考えを新たにするワークショップ「死の体験旅行Ⓡ」が話題を呼んでいる。
浄土真宗の僧侶で、横浜市白幡向町に布教所「なごみ庵」を開いている浦上哲也さんが中心になって行っているもので、体験者は2013年1月からの8年間で間もなくのべ4000人に達するという。
なぜ、これほど多くの人が「死」に興味を惹かれるのか? 果たしてワークショップでは、どんなことが行われるのか?
──「死の体験旅行」は、どういうきっかけで始まったのですか?
私が僧侶になって2年が過ぎたころ、父が亡くなったんです。
法事や葬儀などで人の死に関わることの多い僧侶ですが、自分の親という近しい身内の死を経験したのは初めてのことでした。
しかも、病気で長患いしての死ではなく、何の前触れのない心不全での突然死でしたので、戸惑いや衝撃、それから深い悲しみを感じました。
その一方で、お身内を亡くした方々の気持ちを知るようになり、それまでも真摯に法事や葬儀をしてきたつもりですが、より一層、気を入れてお勤めするようになりました。
ところが人間というのは悲しいもので、あれほど大きな出来事を経験したのに、時が過ぎれば思いは薄れていきます。そこで、「あのときの気持ちを思い出したい」と考えていたころ、ある本を通じて「死」を体験するワークショップがある、ということを知ったのです。
──そもそもは、医療従事者向けのワークショップだったそうですね?
はい。詳しくは知りませんが、ホスピスなどの終末医療施設で働く人たちに向けて、「死」を客観的にではなく、主観的に体験してみることで患者さんへの接し方を考え直そうとするもののようです。
──ワークショップに参加して、どうでしたか?
仲間の僧侶数人と一緒に体験したんですが、とても鮮烈な体験で、途中からあふれ出る涙を止めることができませんでした。
後日、一緒に体験した仲間がブログに体験記を公開すると、「私も体験したい」という声が多く寄せられるようになりました。それが知り合いの僧侶だけでなく、面識のない方も多かったのには意外な思いがしました。
医療従事者や僧侶などはいざ知らず、「死」は一般の人にとって、できれば考えずに遠ざけておきたいもの、不吉で怖いものじゃないですか。
でも、それだけ多くの人が望むのならばと、一般向けのワークショップとしてアレンジし、2013年1月、「死の体験旅行」としてスタートしました。
──ワークショップでは、どのようにして「死」を体験するのですか?
ごく簡単に説明します。
まず参加者の方々に名刺サイズのカードを4つの色に分けて5枚ずつ、計20枚、配ります。色分けされている理由は、そのカードに「大切にしているモノ」とか、「大切にしているヒト」、「大切にしている行い」など、ジャンル分けして書いていただくためです。
カードの記入が終わったところで、参加者の皆さんに向けて私からお話をします。
一人の人間が病を得て、病気が進行して亡くなるまでの物語です。だいたい30分くらいかけていますが、その合間に「ここでカードを●枚、手放してください」と言って、大切なものの取捨選択をしてもらうんです。
──確かに死者は、どれだけ大切なものであっても死とともに所有することはできません。「手放す」ことで「死」が実感されるわけですね?
そうです。「自分は死ぬ」ことを前提としていますから、「生き続けている状態」のときに書いた優先順位とは、取捨選択の順番が違ったりするのです。中にはそこで、涙を流す方もいらっしゃいます。
ワークショップの後半30分では、グループシェアリングを行うんですが、これは、本編以上に重要な部分です。どのカードを手放したときに辛く感じたか、どのカードを最後まで持っていたかなど、あれこれ語り合うんです。
数十名の大人数で行う場合、1人がひと言、ふた言くらいしか発言する時間がないんですが、最近のコロナ禍で行う5~6人の少人数のワークショップでは、濃密なグループシェアリングになることに気づかされました。
──参加者からの反響で、印象に残るものは?
あるヨガのインストラクターの方が、このワークショップを体験した後、若年性のがんに罹ったそうです。そのとき、担当医から「がんは治療過程でうつになることがある」と説明されたそうですが、幸いなことに、うつにならずに前向きに治療に向き合えたそうです。
その数年後に私と再会したとき、その方が「うつにならずに済んだのは、あらかじめワークショップで自分の死を体験していたおかげかもしれない」とおっしゃられて、とても嬉しい思いがしました。
それから、「もっと早くにワークショップを体験していれば、亡くなった父親との接し方が変わったかもしれない」とおっしゃる方もいました。
その方は、地方で闘病するお父さんの見舞いに病室を何度か訪ねたそうですが、男同士なので会話がはずまず、検査の数値を確認するような事務的な話しかできなかったといいます。
でも、闘病中の人の気持ちがわかった今なら、「若いとき、どんな夢があったの?」とか、「今のうちに伝えておきたいことはある?」といった実のある会話ができたかもしれない、と。
──みなさん、いろいろな受けとめ方があるのですね。
「死」に向き合うことは、「生」を見つめることにつながるのです。
ですから、こちらとしても宗教的な話はしないようにしています。「死の体験旅行」は布教のためではなく、参加者の方々に「死」に向き合っていただくために行うものですから。
──浦上さんご自身は、「死の体験旅行」のファシリテーターをつとめることで、死生観に変化はありましたか?
う~ん、むずかしい質問ですね(笑)。
2018年4月には「死の体験旅行」の手法を共有したり、死生観について考えを深めたりする、宗派を超えた会として「仏教死生観研究所」を起ちあげて定期的に会合の場を設けているんです。
会員は都市部だけでなく、地方の方も多いんですが、最近はオンライン会議で行うようになって、話をする機会はむしろ増えているくらいです。
ですから、死生観について考える機会は普通の人より多いはずなんですが、そこでわかったのは、どこまで考えも「死を理解した」なんて境地はない、ということでしょう。
──浦上さんご自身は、自らの「死」をどのように迎えたいですか?
高僧伝といった書物を読むと、悟りきって立派な最期をとげたお坊さんがたくさん出てきますね。
例えば、戦国時代の臨済宗の僧に快川(かいせん)というお坊さんがいます。
甲斐国の武田信玄に招かれて恵林寺の住職になった方ですが、武田氏滅亡に際し、織田信長の兵に寺を焼かれて「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言って火中に没したと言われています。
そんな立派な死に方が私にできるか……と考えると、そうありたいとは思うけれども、たぶん無理でしょう。この世への未練や執着から離れるのは、容易なことではありません。
むしろ、私が共感できるのは、同じく臨済宗の僧で、江戸時代後期に生きた仙厓(せんがい)というお坊さんです。
宗教活動のかたわら、あらゆる階層の人々の求めに応じて筆を振るった禅画の名人ですが、亡くなる直前、彼を慕う人々の求めに応じて辞世の言葉を書いたといいます。
で、そこには、「死にとうない」と書かれていた。
さすがにそれでは格好がつかないからと、もう一度、書を求めると、「ほんまに死にとうない」と仙厓さんは書いたそうです。
このエピソードは、「死」がどんなものなのか、如実に私たちに示しているように思えます。
ですから、私も仙厓さんのように死んでいくのがいいのかなと思っています。
死のとんでもない喪失感、恐怖、悔しさや未練など、さまざまな感情を味わい尽くして、「死についてあれほど偉そうに語っていた浦上が、あんなにみっともない死に方をしたぞ」と言われるのも本望だと思っています。
──興味深いお話、ありがとうございます。後編では、浦上さんが僧侶になったきっかけ、「自死・自殺に向き合う僧侶の会」での活動などについて、お聞きしていきたいと思います。
「ボブ内藤」名義でも活動。編集プロダクション方南ぐみを経て2009年にフリーに。1990年より25年間で1500を超える企業を取材。また、財界人、有名人、芸能人にも連載を通じて2000人強にインタビューしている。著書に『ニッポンを発信する外国人たち』『はじめての輪行』(ともに洋泉社)などがある。
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