国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の年間死者数は「戦後最多」を更新し続けており、2040年前後に約168万人のピークを迎えるという。
「超高齢化社会」の次にやってくる「多死社会」を、私たちはどのようにとらえればよいのだろうか?
人生の最後を支えるプロフェッショナルたちと一緒に、その答えを探って行こう。
「緩和ケア」とは、読んで字のごとく、がんや心不全などの命にかかわる病気による苦痛を和らげ、ケアすることだと一般的には思われているが、それだけでは充分な定義とは言えないというのはご存知だろうか?
実は緩和ケアは、終末期だけでなく、病気の診断と同時に始まるものなのだ。
そもそも緩和ケアとは、どういうものなのか? 今後の課題は何か?
緩和ケアだけでなく、腫瘍内科医として抗がん剤治療にも関わるユニークな医師、川崎市立井田病院・緩和ケア内科の西智弘先生にお話を伺った。
──内科や外科、小児科、救急科など、医療の道にはさまざまな専門分野がありますが、西先生はなぜ、緩和ケアの道を選んだのですか?
医師になるための臨床研修は前期と後期に分かれているんですが、前期はスーパーローテートといって2~3カ月くらいの期間で複数の科の研修を受けるんです。
僕の場合、地元の北海道の室蘭日鋼記念病院で家庭医療を学んだ後で内科に移り、そして緩和ケアの研修を受けました。緩和ケアは、その年の必修科目のひとつでしたから。
そこで、内科研修をしているとき、がん病棟で出会った患者さんに偶然、再会したんです。その方は、がん病棟にいたときは痛みに苦しんで、毎日辛そうにしていたんですが、緩和ケア病棟に移った途端、普通に元気に病院の中を歩きまわっているんです。まるで、魔法にかけられた人かのように見えました。
今では信じられないことですが、僕が研修医になった2005年当時、「がんが痛いのは当たり前」という昔からの考えが医療者側にもあって、患者さんが痛みを訴えても仕方がないものとして放置されていたんですね。
でも、適切なケアさえすれば、痛みを軽減することができるし、結果的にそれが治療の効果を高めることにもつながる。そのことを知って、もう、自分の進むべき道はここしかないと思いました。そこで、後期研修先を川崎市立井田病院と決め、本格的に緩和ケアを学ぶことにしました。
──緩和ケアは当初、川崎市立井田病院をはじめとする、がん診療連携病院の入院患者を対象に行われていましたが、2012年の診療報酬改定によって外来緩和ケア管理料が新設され、外来でも受けられるようになりました。その後、がん以外の末期心不全の患者も対象になったのが、2018年の診療報酬改定によってです。日本の緩和ケア体制の整備は、まだまだ始まったばかりと言っていいでしょうか?
そうですね。世界的に見て遅れているというわけではないですが、ここ数年でようやく整備が進んできたという印象で、まだ充分とはいえません。
実際、僕が緩和ケアの後期研修を受けていた当時の井田病院の緩和ケア病棟には、主治医に「もう治療の手立てはありません」と言われて移ってきた、終末期の患者さんがほとんどでした。
そこで、終末期に至る前の患者さんがどんな治療を受けているのかを学びたいと思い、後期研修後は栃木県立がんセンターの腫瘍内科に移って抗がん剤治療の研修を受けることにしました。
──西先生のように緩和ケアと腫瘍内科という、ふたつの専門を持つ緩和ケア医は多いんですか?
いや、マイナーな存在だと思います。緩和ケアと腫瘍内科を統合しようとする動きは、世界的には一般的なんですけど、僕が知る限り、日本ではそう多くありません。
もちろん、緩和ケアのために役立つ専門性は、腫瘍内科だけに限りません。麻酔科の専門性があれば、痛みをコントロールする手段に長けているでしょうし、精神科の専門性があれば、患者さんの心のケアをする手段を多く知ることができるでしょう。外科医なら、手術についての専門知識を活かすこともできます。
このように、緩和ケア医にとって守備範囲は広ければ広いほどいいわけですけど、すべてに手を広げるわけにはいきません。そこで僕の場合、腫瘍内科をまず選択したということになると思います。
──ところで、西先生の著書『がんと共に生きた人が緩和ケア医に伝えた10の言葉』(PHP研究所)は、「がんを抱えて、自分らしく生きたいと願うなら、医師に頼るべきではない」というショッキングな書き出しで始まります。今でもその考えに、変わりはありませんか?
ええ、変わりません。すべての医師がそうだとは言いませんが、医療という枠組みの中にいる医師には、すべての問題を医療で解決しようとする傾向があるのは間違いのないことです。
例えば、がんを抱えて苦しんでいる患者さんに対して、手術が得意な医師は手術を積極的に薦めるでしょうし、抗がん剤を得意とする医師は抗がん剤を薦めるでしょう。
もちろん、基本的に医師は「患者さんのため」を考えて治療方針を提案します。もし仮に「自分の得意分野で対処したほうがラク」とか、「症例数を稼いで経験を積みたいから手術を薦める」というエゴイスティックな動機があったとしても、それは前面に出てきません。
けれども、その提案が本当の意味で「患者さんのため」になっているのか? と考えてみると、そうとは言えないケースが結構あるんじゃないかと思うんです。
なぜなら、「患者さんのため」の最適な解を知っているのは患者さん本人で、それまで生きてきた中で培った人生観や価値観、職業や家族の状況など、さまざまな要因によってそれは決まるからです。
でも、病院の診察室という密室で、そういうことを含めた深い話をするのはむずかしいですよね。結果的に医師は「このがんの場合、治療はこうなります。これが正しい治療法です」という説明しかできず、患者側も「この人に命を預けているんだから」という気持ちから医師のペースに合わせてしまうんです。
──そんな医師の中で、西先生は真の意味で「患者さんのため」を考えようと努力されているわけですね?
いや、そんなことないです。この文脈で「自分だけはちゃんと患者さんのことを考えてる」なんて発言はできないですよ(笑)。
つまりは、こういうことです。「医師─患者」という関係に溝があるのは確かだし、その溝は埋めようのないものであることは事実です。それは、僕自身にも同じことが言えます。ですから、「お互いの間に溝がある」ということを前提にして、「一緒に考えていきましょう」と患者さんに提案することが医師の姿勢として大切なことだと僕は考えているんです。
──緩和ケアの現場において、「溝があることを前提にして、一緒に考えていく」というのは具体的にどういうことでしょう?
がんの緩和ケアは終末期だけでなく、がんと診断されたとき、治療と同時にはじまります。
そのとき、治療するための抗がん剤と、苦痛をコントロールするためのケアのバランスをうまく整えていかねばなりません。
例えば、「自分は80歳で、もう充分に生きたから、最後の日々を入院して抗がん剤治療にあてたくない」と言う人がいれば、「では、通院で処方できる抗がん剤を選んで、苦痛をコントロールしていくことを重視していきましょう」と提案することができますよね。
その一方、「まだ小さな子どもが小学校にあがるまでは頑張りたい」という人の場合、ケアを受けつつも、ある程度強い抗がん剤と鎮痛剤を選択することになっていく。
俳優さんで「舞台に立つのに支障が出るなら、抗がん剤治療をしたくない」という人がいれば、「3つの抗がん剤を2つに減らせば、抗がん剤治療を続けながら舞台に立つことができますよ」と提案して、舞台に立つという人生の目的を支えることができます。
──その人の生き方を尊重して、治療と緩和ケアのバランスを取っていくことが重要なんですね?
その人がどうしたいかを判断する人生観によって、治療が緩和ケアになることもあれば、ならないこともあります。
医療は何のためにあるのかを考えたとき、「病気を治すため」とか、「寿命を延ばすため」、とか、「苦痛をコントロールするため」とか、いろいろな目的があって、どれが正しいと断言することはできません。
でも、ひとつだけ言えることは、医療は患者さんを幸せにするためにあるものだということ。人生を医療に合わせる必要はないのです。
「ボブ内藤」名義でも活動。編集プロダクション方南ぐみを経て2009年にフリーに。1990年より25年間で1500を超える企業を取材。また、財界人、有名人、芸能人にも連載を通じて2000人強にインタビューしている。著書に『ニッポンを発信する外国人たち』『はじめての輪行』(ともに洋泉社)などがある。
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