経験者に聞く「親の介護で退職」のリアルー"会社に申し訳ない気持ちが強くなっていく"

「介護離職は、しないほうがいい」。これは、この連載の基本の考え方であるし、介護離職の相談を扱う専門家、さらに経験者も口をそろえて言うことです。

では、実際に介護離職をした人はどのような思いで離職したのでしょうか。今回は、介護離職を経験した前澤弘子さんに、話を聞いてみました。すると、想像もしなかった考え方に触れることができました。

今回のtayoriniなる人
前澤 弘子
前澤 弘子 54歳。製薬会社の総務人事畑で勤務していたところ、母が倒れたことをきっかけに仕事と並行して5年間介護を経験し、2016年に退職。現在は介護のことを語り合うカフェの開催、講演活動、傾聴等の講師、グループホームの介護職員と、いくつもの仕事を同時進行させている。

母は脳梗塞、父は認知症。新幹線通勤をしながら3年がんばった

――前澤さんが介護を始めたのは、2011年の2月からだそうですね。突然始まったのですか?

前澤

はい、まさに、突然。土曜日の朝、父から「おかあさんが倒れた」と連絡があり、実家に飛んでいくと、母が苦しそうに横になっていました。母は当時、82歳でした。

そのとき、私は製薬会社の総合職として働いて18年、群馬県の高崎市の事業所に異動になったばかり。新幹線通勤を始めて3日目に母が倒れたのです。

母は糖尿病や狭心症の持病があり、何度か入院していましたが、今回は様子も違います。とりあえずかかりつけの病院へと救急車を呼んで向かってもらったところ、脳梗塞でした。一命は取り留めましたが、入院中もまた脳梗塞を起こして。意識はあるものの麻痺が強くなり、それまで元気だったのに、数日後には会話をすることもできない寝たきり状態になってしまいました。

――では、お父様がその後の看病を?

前澤

父は2年ほど前から認知症だと診断されていました。工場勤めを辞めてからも、シルバー人材センターで仕事をいただいて、認知症と思われる症状が出始めた78歳くらいまで働いていました。その後も、母がいれば日常生活はなんとかできていました。が、その母が入院したことで、父も住みなれた家で暮らせなくなってしまって。すぐに私のマンションに父を引き取りました。父が81歳のときでした。

もともと、高齢の父や母といつか一緒に住み、妹夫婦と協力して世話をしようと、ひとり暮らしには少し広いマンションを、妹夫婦が住むマンションの近くに買ったのです。私や父にしてみれば、同居が少し早くなった、というような感じで、それほど抵抗感はありませんでしたね。祖母が認知症だったので、父の世話もなんとかなるだろうと思っていました。実際に一緒に暮らしてみると、認知症や介護などに関する知識不足で困惑しました。

前澤さん1

――介護休暇や介護休業は取りましたか?

前澤

当時私は47歳でしたが、上司に「介護休業を取ると、今後の昇進に不利になるから、取らないほうがいいよ」と言われて。今考えれば、そんなことはあってはいけない、おかしなことなんですけれどね。当時はそんなものか、と思ってしまって。2月で年度替わりまであとわずかなのに有給休暇がたくさん残っていたので、有休を使ってしのいでしまいました。その後も、介護休暇や介護休業は利用せず、有休を活用しました。

たまたまその年は、3月11日に東日本大震災があり、計画停電もあったので、私が勤務する職場では事務職は半日自宅待機、という日も多く、3月も休める日はわりと多くて。2か月をかけて体制を整えました。震災の自宅待機では、ほかの社員もみんな休んでいたので、「自分ひとりで介護のために休んでいるのではない」というのが安心感になっていて、気持ちは楽でした。

介護が始まった2月から5か月は、前任者からの引継ぎ期間であったため、仕事を休んでも支障が少なかったので、その事業所の所長から「仕事のことは気にせず、体制を整えるように」と言ってもらえました。不要な残業はせず、定時に退社する方針の職場であったことも幸いでした。

――介護が始まったころ、有休を使って、どんなことをしましたか?

前澤

1カ月間は、両親の賃貸マンションを引き払うことと、父の日課を作ることに費やしましたね。家財の処分も含め、マンションを引き払うのは、手間もお金もすごく大変でした。引越し業者に見積もりを出してもらうとゴミの処分だけで、50万円以上かかると言われました。

その業者が高齢者の場合、行政の制度が利用できる可能性があると教えてくれ、その制度を利用して半額程度になりましたが、家財の処分にこれほど費用がかかるとは思いませんでした。

また、それらのお金を出そうにも、親の通帳がどこにあるかわからない。家を片付けながら、通帳やキャッシュカードを見つけたのですが、今度は暗証番号がわからない。父は認知症なので、これはもうだめかな、と思ったのですが、父がいくつかつぶやいた番号のうちのひとつが「当たり」で、なんとか引き出せました。

父のための日課は、当時は介護認定を受けていなかったので、午前中に徒歩10分程度のスーパーに行き、買い物をして昼食をとり、午後は電車に乗って母のところにお見舞いに行く、というものです。私が勤務をしている間、ひとりで家で過ごす時間が長く、活動的な父には耐えられないと考え、「やること」を作らないと、と思ったのです。認知症なので、スッとカンタンにできるわけでなく、何度か練習をして、なんとかルートを覚え、スーパーと病院に通えるようになりました。

半年後、父は要支援1と認定され、週1回半日デイサービスを利用することになりました。その施設の送迎担当者が同じマンションの方で安心でした。マンションの方たちには、父が認知症であることを伝えてありました。

――仕事と介護の両立が始まってからは、新幹線通勤ですよね。何時に起きて何時に帰宅していましたか?

前澤

朝は4時半に起きて、父の朝食と昼食を作り6時に家を出ていました。千葉市美浜区の自宅から東京駅に出て、東京駅から高崎まで新幹線に乗って、ドア・トゥー・ドアで2時間以上かかるんです。帰りは、定時に退社しても帰宅するのが20時半。14時間半も認知症の父親をひとりにするので、毎日ヒヤヒヤしました。

ただ、新幹線通勤自体は、それほど苦ではなかったんです。父との生活とも、仕事とも離れ、新幹線内の1時間弱、自分だけの時間を過ごすことができる。新聞を読んだり、パソコンを打ったり、食事をしたり、気兼ねなくうとうとしたり、意外に貴重な時間でした。

後に、会社側が「介護と遠距離通勤を両立させるのは大変だから、家の近くの職場へ」と異動させてくれたのですが、近いほうがかえって気持ちの切り替えができなくてつらかったですね。通勤時間の分が残業に代わるだけだったりして、むしろ近いことがストレスでした(笑)。辞職したのも、家の近くに職場が異動した後でした。

会社は辞めろといわないのに、自分がつらくなって離職する

前澤さん2

――妹さんご夫婦と協力してご両親の介護をしていたのですか?

前澤

妹夫婦も働いているため、私が朝、出たあとに、通勤の往復に新聞を届けがてら、父の様子を毎日見てくれていました。でも、なんというか、介護に対する温度差があるんですよね。実はそれが一番つらいことでした。

お願いしたことはやってくれるんです。でも、お願いした以上のことはやってくれないんですよね。特に妹は認知症の父が同じことを何度も言うのを理解できず、父に「さっきも聞いたよ!」と怒ったり。認知症のことを学ぼうという気持ちは、あまりなかったようです。母の病院への見舞いに行くこともなく、夫婦で海外旅行へ行く前などにちょっと顔を見にいくといった感じでした。

「いったい介護をどう思っているのかな、一度、妹とちゃんと話してみよう」と思って妹と話したら、「お姉ちゃんのいいようにすればいい、私は親の死に目に会えなくてもしょうがないと思ってる」ってあっさり言われて。親のためにいい介護をしよう、というようなスタンスでは全然ないんだな、と思ったら、もうこれ以上お願いのしようがない、と思ってしまって。その後は、「作業」として新聞を持って行ってもらったけれど、入院や介護施設入所をはじめ、決めるべきことは、全部ひとりで決めてきました。

――それで、仕事と介護の両立ができなくなってきた、と?

前澤

たしかに、介護をしていると、呼び出されることは多いんですよ。母は88歳で亡くなるまでほとんどを病院で過ごし、父は現在、介護施設に預けていますが、手術の同意書にサインしてほしい、処置後にドクターの説明がある、施設の会議に来てとか、家族の確認が必要なことがあれば電話もきます。

そのたびに、会社に話して早退させてもらったりしていると、申し訳ない気持ちが強くなって、だんだん言いにくくなっていって。自分自身の遊びやリフレッシュのために時間や休暇を使うのは悪いことのように思っていました。自分で自分の行動や気持ちを追い込んでいたように思います。

介護離職する人は、こういうタイミングでしちゃうのだろうな、と思ったこともあります。会社は「辞めろ」と言うわけではないのですが、自分が申し訳なくなって、「仕事を辞めるほうが自然なのだ」と思えてくるんです。周囲にも迷惑をかけるし、自分の思い通りに仕事もできない。いろいろな調整が煩雑に思えてきて。

それに、子育ては、妊娠したら出産の時期もわかるし、何歳になったらだいたいこんなふうになるとか、予測が立てられますよね? でも介護はこの先どれぐらい続くのか、まったくわからない。体力的に、精神的につらくなると、「仕事と両立している限り、この大変さが永遠に続くのかな」と思ってしまって、辞めたくなるのです。

――前澤さんが介護離職したのも、そんな理由ですか?

前澤

いえ、それは違うんです。実は、母が倒れる前から、いつか会社を辞めようと思っていたんですよ。

次回は、1月23日(水)公開予定。前澤さんが介護離職をした理由について詳しくうかがいます。

三輪泉
三輪泉 フリーランス編集・ライター

女性誌や子ども関連雑誌・書籍の執筆を長年手がけ、現在も乳児や幼児のママ向けフリーペーパーで食育の連載を担当。生涯学習2級インストラクター(栄養と料理)。近年は介護・福祉・医療関連の記事、書籍編集も数多い。社会福祉士資格を取得し、成年後見人も務める。福祉住環境コーディネーター2級。

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