「散歩」は、生活習慣病の予防やダイエット効果、足腰を鍛えるにもいいという気軽に始められる健康対策です。同時に、町の風景や人を眺めながら歩くことは、心のリフレッシュにもなって実に気持ちがいい。
散歩を趣味とするフリーライターが、個人的「散歩術」をお教えします。それは、散歩にちょっとした旅気分を加味すること。観光地や繁華街を歩くのではなく、あえて何気ない町角を歩きながら、ノスタルジックな「昭和っぽさ」を探してぶらぶら――。
今回は東京の立川駅から福生駅まで歩いてみました。
40代になってから健康対策とリフレッシュを兼ねて、ヒマさえあれば散歩に出かけるようになった。散歩の醍醐味は、目的や時間に縛られず、「自由気ままに出歩くこと」にあると思うのだけれど、まったく目的地がないというのも味気ない。そこで僕は、とりあえず「行ったことがない街」を目指すようになった。そういう意味では、東京周辺は未知の散歩スポットに事欠かない。
知らない街をいろいろ歩いてみて、気づいたことがある。なんの期待もしていなかったような町角の風景が、やけに味わい深かったりするのだ。
銀座や渋谷のような華やかさもなければ、浅草や鎌倉のような観光の見所があるわけでもない。そのかわり、再開発から取り残されたような昭和の風景がそこかしこに残っている。そうした何気ない街を歩くと、子どもの頃の原風景を歩いているようなノスタルジーを感じるのだ。
いつしか僕は昭和の名残りを感じさせる街を好んで歩くようになった。そうすると、なんでもない街歩きが、ちょっとした旅気分になる。
それでは、さっそく昭和を探して歩いてみよう。
今回は立川駅からスタートし、福生駅まで歩いてみることにした。
立川というと、ひと昔前は、用事がない限りまず行かない街だったが、今では再開発が進み、買い物や娯楽目的で遊びに行く街へと変貌した。なにしろ休日の乗降客数が、東京では新宿駅に次いで2番目に多いらしい。
立川は大正11年に立川飛行場ができたことで発展した。それがアメリカ空軍の基地となり、その跡地を利用してできたのが現在の昭和記念公園だ。福生には米軍の横田基地があるから、今回の立川~福生ルートは、戦後のアメリカ文化をたどるルートとも言えそうだ。
さらに時代を遡ると、もともと立川は、平安時代から戦国時代にかけて「立川氏」という豪族が治める集落であった。それが由来で明治に入って「立川村」となったのだ。立川氏が居住していた跡地に「普済寺」という寺があるというので、まずはそこを目指すことにした。
途中に1200年の伝統をもつ「諏訪神社」があるので、そこも立ち寄ることにした。諏訪神社は「立川のパワースポット」と呼ばれているそうだ。駅前の発展ぶりとはまた違う立川が感じられ、とても清々しい神社だった。
普済寺は立川氏の菩提寺という由緒ある寺なのだが、あまり知られていないのか、日曜だというのに人ひとりいない。1995年に火災で焼失した本堂は真新しいものだったが、手入れが行き届いた清浄な雰囲気に癒される。裏手に回ってみると、高台から富士山が眺められ、ちょっと得した気分になった。
僕は神社仏閣好きでもあるのだけれど、神社や寺はたいていその地域の一番いい場所に立地しているから、景色が良かったり、空気の抜けがよかったりして、実に気持ちのいい場所であることが多い。だから散歩では神社仏閣めぐりは欠かせないのだ。
先ほど普済寺の高台から眺めた残堀川沿いを歩くことにした。この遊歩道は桜の名所として知られる絶好の散歩スポットでもある。しばらく進むと、ただの川沿いといった様相になるのだけれど、高架橋を走る電車がいかにも昭和といった風情で、僕からするとかえって好ましい。
残堀川そばの団地街も僕にとっては同じ意味合いを持つ。わざわざ団地を見に行く人も少ないだろうけど、平和な箱庭の世界みたいで、けっこう好きなのだ。特にこの団地は、建物がモダンな色で塗られ、なかなかフォトジェニックだった。
団地の一角に「たぬき公園」というのがあり、奇妙な造形の滑り台や色褪せたブランコがいい味を出している。僕は団地育ちではないけれど、なんだか懐かしい感じがする。
次はお隣の昭島市へ。まず向かったのは、国営の「昭和記念公園」ではなく、昭島市営の「昭和公園」である。SLやこじんまりとした動物園があって、その名のとおり昭和っぽい公園だった。気どらない庶民的ムードが妙に落ち着く。
公園の近くに昔ながらの軽食喫茶を見つけ、昭和らしくクリームソーダを頼んだところ、ソフトクリームが山盛りでうれしくなった。子どもの頃、市営プールの売店のソフトクリームが、倒れそうなほどの山盛りで、子どもたちに大人気だったことを思い出す。
昭島駅に近づくと、一転して近代的なショッピングモールとなった。こんな街だったっけ……? ずいぶん前に昭島を訪れたときは、80年代にタイムスリップしたような渋い街という印象だったが、どうやら僕の記憶にあるのは反対側の南口だったようである。ちなみに南口周辺は、まさしく「昭和町」という町名なのだ。
拝島駅を越え、玉川上水沿いを歩くと、東京とは思えない鬱蒼とした森のようになった。こうした車では入れないところに行けるのも散歩の醍醐味だろう。
一般道に戻ったところでコンビニに立ち寄ると、ミリタリーグッズコーナーがあった。いよいよ福生だと実感する。
横田基地に差し掛かった頃には夕暮れ時になっていた。16号線沿いにはレストランバーや米軍放出品の古着屋が並び、道行く人も外国人ばかりで、ロサンゼルスの町角でも歩いているみたいだ。
お店を眺めながらぶらぶらしていると、通りを入ったところに異彩を放つピンクの雑貨屋を発見。アメリカ雑貨の店でもなさそうだし、なんだろう?と不思議に思って入ってみると、所狭しと珍妙な雑貨が並んでいた。
「世直し王様」と名乗る店主が現れ、商品を説明してくれた。なんでも店の商品にはすべて「おやじキャラ」の顔が施されていて、「世の中をおやじの顔でハッピーにしたい」という思いが込められているという。
世直し王様は、もともと東京芸大を目指していたが、進学を断念して独自の創作活動をはじめ、1993年にこの「トム・ソーヤー工房」を開いた。20代半ばから四半世紀もおやじグッズを作り続けているそうだ。
店主が一つひとつ商品説明をしてくれるのだが、おやじがバネで飛ぶオモチャや、おやじが光る電球など、ゆる~い笑いを誘う品々ばかり。子どもの頃、必ず「ハイ、300万円」と言ってお釣りを渡してくる駄菓子屋のじいさんを思い出す。
いったいこの珍妙なおやじグッズで商売がやっていけるのだろうか?と疑問だったが、そんな僕自身が「おやじキノコのストラップ」を買っていた。「世の中をハッピーにしたい」という店主のメッセージと、エキセントリックな生き方に共感したのだ。そして何より、昭和の生き残りのような一風変わった人物に出会えたことがうれしかった。
こうして目的地の福生駅に着いた頃にはあたりは暗くなっていた。立川駅から福生駅までは真っすぐ歩けば10km(2時間半ほど)なのだが、かなり寄り道したこともあり、歩行距離は約20km、活動時間は7時間弱というかなり長い散歩になった。
今回は「昭和を探す」という視点で散歩したわけだけれど、江戸の歴史歩きでも都会の中の自然探しでもなんでもいいので、ぜひ何か視点を持って歩いてみてほしい。電車なら20分もかからず着いてしまうところが、ちょっとした旅気分を味わえるはずだ。
週刊求人誌、月刊カルチャー誌の編集を経て、2000年よりフリーランスのライター・編集者として活動。雑誌、書籍、WEBメディアなどでインタビューや取材記事、書評や企画原稿などを執筆。カルチャー系からビジネス系までフィールドは多岐に渡り、その他、生き方ものや旅行記など幅広く手掛ける。全国津々浦々を旅することがライフワーク。著書に矢沢ファンを取材した『1億2000万人の矢沢永吉論』(双葉社)がある。
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