「やりたいのは介護じゃない」介護を通して地域全体を底上げする実践者-ぐるんとびー菅原健介さんに聞く

0~40代が高齢社会を生き抜く3つのしたく

私たち30~40代は、仕事・子育てで、いま手一杯だ。未来のことなんて……気にしている余裕がない、と思っている。

しかし否応なく、多くの人が80歳まで生きる日本。2065年には、平均寿命が男性 84.95年、女性 91.35年、人口の約38.4%が65歳以上という推計もある。

そんな世界で、これから自分も「老いてゆく」。私たちは、どんな「したく」をしておけばよいのだろう?

私たちと同年代でありながら、新しい視点をもって、革新的に「老い」と向き合い実践している人々がいる。彼らに、私たちがこの国で老いるヒントを、3つだけ聞いてみよう。
 

ぐるんとびー 菅原健介さん

北欧仕込みの「平等」感覚で地域づくり

都心から各駅で約1時間の湘南大庭地区に立つ、UR都市機構の団地。その一室に「ぐるんとびー」という、小規模多機能型居宅介護事業所がある。

ぐるんとびーの入るUR住宅「パークサイド駒寄」

【ぐるんとびーの入るUR住宅「パークサイド駒寄」】

「小規模多機能型居宅介護」(以下、小多機)とは、2006年から実施されている介護保険上のサービスのかたちだ。

いま、国は高齢者に、病院や公的施設ではなく、できるだけ自宅か民間住宅で過ごしてもらいたいと思っている。そこで、地域でも施設と同じように安心して過ごせる可能性を広げるために、「訪問ヘルパーを受ける」「施設に通う」「施設で暮らす」をほぼ同じ事業所で柔軟に対応できるサービスのかたちができた。利用したいときに随時来てくれたり、居場所に送迎付きで通えたり、宿泊できたりする。

しかし、こんな便利なサービスだから、実際の提供は簡単ではない。小多機の金額は、1カ月でいくら、と定額制(包括報酬)だ(※)。だから、サービスを受ける人みんなが常にたくさんのサービスを要求し続けると、サービス提供事業所の負担が大きくなりすぎる。その調整は、実はかなり難しいのだ。

ぐるんとびーを立ち上げた菅原健介さんは、それを彼自身の、日本では少し珍しい視点で解決する。彼は中学・高校をデンマークで過ごした。そこの「平等の感覚」は日本と少し異なるという。例えば、ひとつのパイを3人で分けるとき、日本では1/3ずつ分けるのが一般的だ。

しかし、彼の学んだ「平等の感覚」は、「私いまダイエット中だから」という人は1/6でいいし、「2日くらい食べてなくて……」という人は半分くらいあげてもいい。そんな風に、参加する人たちのいまの状況に応じて必要な分を考慮して、資源を分けあう。

彼は、小多機の包括報酬も、その平等の感覚で捉える。「いまこそ誰かの助けが必要」という局面で手厚く入り、生活が落ち着いたらそっと下がり、状況を見守る。でも、手を離さない。そんな緩急のついたサービスで、街の中で過ごすことに安心を作り出そうとしている。

※金額は要介護度で異なる

平時からの地域の人間関係が重要

東日本大震災で彼は、菅原さんの母、菅原由美さんが代表を務める「全国訪問ボランティアナースの会 キャンナス」のボランティアコーディネーターとして現地に赴いた。

しかし、やってもやっても終わることのない「支援」に身体・精神とも極限まで疲弊した。その結論として彼が痛感したのは、「非常時の急ごしらえの支援システムはうまく動かない」「平時の関係構築が様々な困難を緩和する」ということだった。

小多機運営を通じて彼が地域に構築しようとしているのは、「どんな時になっても、どんな状況が来ても、対応できるしなやかな人間関係」のようだ。

菅原さんは「自分が」「自分は」という主張が強いタイプではない。みんながそれぞれに楽しく生きている総合的な状態を志向していて、どんな人の話もまずはきちんと聞こうとする。カリスマというより、癒やし系。

菅原さん

そんな菅原さんの「経営者らしくない」フラットさのためか、以前の同僚や友人、若いスタッフたちが集まる。家族ごと団地に引っ越して来るスタッフもいる。団地住まいが合う人、合わない人、様々だが、そのトライ&サクセスorエラーも含めて、人々とともに地域を紡ぎ出す展開を次々と繰り出し、止めない。

団地の自治会運営に、現在ではぐるんとびーのスタッフも深く食い込んでいる。団地の空き部屋を活用して利用者の泊まり部屋にしたり、高齢者と若い住民のシェアルームにしたり、1階に団地以外の地域住民の居場所を作ったり、最近は近隣の特別養護老人ホームと協働したりと、新しい試みもとどまることはない。

ぐるんとびーでは多世代が一緒に過ごす

【ぐるんとびーでは多世代が一緒に過ごす】

そんな菅原健介さんに、私たち30~40代がこれからの時代を生き抜くために、いまから準備しておけることは何かを伺った。

3つのしたく その1:あなたの視点で「いま」を知り、「これから」を整理しよう

菅原

僕はいま、介護保険事業所を運営していますが、やりたいのは「介護」じゃないんです。自分たちの行く先を考えたら、そこからなんとかしなきゃと思うからやっているけれど、実際は、自分の住む場所を、子育てやなんかも含めて全体的に底上げしたいと思っている。

地域でも、医療や介護だけで閉じた世界を作っても、意味がない。だから、地域の同年代が集まる「湘南大庭会」というのを開催しています。飲み会がメインなんですけど、そういうところで自然な人間関係ができればいいなと。

湘南大庭会

【湘南大庭会】

そこで話をすると、若いみんなが意外と「いま」の状況をよく把握していないことに気がつきます。

このまま医療費を使い続けるとどうなるとか、日本の人口はどうなっていくとか。僕たちは福祉をやっているから知っているけれど、それはみんな知らなきゃいけないことなんじゃないかと思うこともたくさんある。暮らしの中で危機感として感じられていないことが多いのかもしれません。

大切なのは、それぞれ自分の身の回りのことから「何が問題なのか」を知ることだと思う。例えば、ママさんなら子どもの食事のことから「日本の食糧自給率ってどうなっているんだろう」とか「みんなうちみたいに忙しいなら、子どもの栄養ってちゃんと考えられてる?」とか、身の回りの課題が「『うち』だけじゃない」ことに気づくことで、少し大きな現在の状況や、考えるべき課題がはっきり見えてくる。

まずは、いまの状況をしっかり把握して、それがどんな問題をはらんでいるのかを知っておくことって、とっても大切です。それが、等身大の危機感になり、課題を考えようというモチベーションになるから。

菅原さん

その課題、いまは「うちのこと」に大きな影響はないかもしれないけど、いつの時代でも、状況は常に変わります。状況が変わってくると、いままでの「あたりまえ」は決して「あたりまえ」じゃなくなってくる。大切な課題がこれからどうなるのか、確実に起こることと、起こりうることに分けて見つめておく冷静さが必要だと思うんです。

近い視点・現実から遠くの問題を見つめ、未来を見据えられる地頭は、状況が変わっても、いや変わりうるからこそ、役に立ってくるはずです。

3つのしたく その2:全住民が「福祉人材」になればいい

菅原

僕は、「福祉」は、特別な仕事にするというより、「教養」みたいな感じでみんなが身につける方がいいと思っています。それは、ぐるんとびーの実践からもわかります。

一般的な介護保険のヘルパーは自宅に行き、デイサービスは事業所に連れてくることが多いですが、ぐるんとびーの「訪問」「通い」は、利用者さんと町に出ることも多いです。例えば、訪問でも、職員と利用者さんで一緒にカフェでごはん(もちろん職員は食費自腹で)を食べたり、俳句の会に行ったり、「通い」でも、利用者さんと一緒に市民プールに行ったりします。

利用者さんと町の人とスタッフと
利用者さんと町の人とスタッフと2

【利用者さんと町の人とスタッフと】

お連れするのは介護が必要な人。認知症をもつ人ももちろんいます。でも、一緒の空間にいることで、町の人が少しずつ、そうした人々の特性にも慣れてきて、対応の仕方がうまくなってくるんです。こんな人にはどう配慮すればいい、いつ気をつけてあげればいいとか。

スタッフが町の人に「◎◎さんは私たちで見ておくから。何かあったら連絡するから」と言われることもあります。

本人は気づいていませんが、それって町の人の福祉的素養が上がったってことなんです。そうなると、近所で似たような人がいたら、どうすればいいかが何となくわかるし、放っておけなくなる。自分が対応できるから。

――いま、地域の中では、小さな「困った」が放置されていて、本人もガマンして問題が悪化して、みんなが困っちゃう。そうなると本人を悪者にして「抱えきれない!」と放棄する。これも「孤立」のひとつです。

もっと早い段階で、町の人が「しょうがないなー」といいながら少しずつ担いカバーできる素養があれば、看護や介護の専門職じゃないと対応しきれなくなってから「困った人だ」と排除することは少なくなります。そのためには、福祉的な素養のある人が、周辺に、圧倒的な人数いることが大切なんです。

そうすれば、本人も「これができない」「こんなふうに困ってる」が建設的に表現されるはず。身の回りの多くの住民が少しずつ、「福祉人材」であることは、私たちみんなが早期相談できる環境になるってことです。

でね、やっぱり子どもの教育から必要なんじゃないかと思って、福祉教育の重要性とかを話したり、「ちょっと挨拶してみよう運動」をしかけたりしています。

3つのしたく その3:全体最適が作り出せる人をたいせつにしよう

菅原

いまは、いわゆる「仕事」で求められる「プロフェッショナル」さって、正確さ・効率・スピードが重視されて、例えば四角のものを、ぴったりはまるきちんと角の尖った四角に仕上げるように、職人的に「型にはめた仕事をしっかりやる」ってことが重視されます。

つまり、「部分最適」の精度をいかに研ぎ澄ますか、ですよね。もちろん、それはそれで大切です。お仕事は、それでお金をもらえるわけですし。

でも、人生の「仕事」以外、おおよそ2/3の時間は、適当・非効率でも、楽しくて心地よく、バランスのよい状態が求められます。自分の生活はそれでいい。プライベートな人との関係にも「部分最適」みたいなきちんとさを求められると、疲れちゃうし、みんな不幸になりかねません。

菅原さん

別に正確でも切れ者でもなくても、その人に話をもっていくと何となく丸く収まっちゃう人っていませんか。そういう人っていま、世の中の評価を高く受けているとはいえないんですけど、実際に地域にいると、こういう人がすごく大切な人材なんですよ。

地域なんて、バラバラの属性の人たちの集まりで、やりたいようにやれば効率的になるわけがない。そこを、みんな「そこそこHappy」な状態、つまり「全体最適」が作り出せる人って、すごくありがたいんです。

身の回りのそういう人を大切にして、どんどん周りの雰囲気をよくしてもらうことって、プライベートな時間を充実させることや、これからの「Happyな暮らし」に結構大切だと思います。

僕が大好きなコミュニティデザイナーの先駆けである山崎亮さんも、そういう「人と人をつなぐ」コーディネーター的な人材は、いま「うさん臭い……」なんて見られがちだけど、少しずつ成果を出し評価され続ければ、20年後にはその人たちの存在価値を認めざるを得ない世の中になるだろうと話しています。

――ぐるんとびーの運営も、地域の活動も、僕はできれば「全体最適」な状態であってほしいと思っています。

だから「正しさ」を固定しないようにしています。スタッフの勤務に関することも、僕が経営者だからと一人で決めるだけではなく、スタッフ会議で話し合ったこともあります。事業所のルールについては、利用者の人たちに「ぐるんとびー会議」を開いてもらって、そのときにいるみんなで、目の前の選択肢を前向きに検討して合意しつつ、そのときなりの「答え」を出してもらうようにしています。

そうして決まったことは、みんなで最善を尽くして守ってもらう。そうすると「みんなそれなりに納得して生きる」状態が生まれます。

盛り上がり納得が生まれるぐるんとびー会議

【盛り上がり納得が生まれるぐるんとびー会議】

でも、そこに来る人も状況も、「全体最適」もいつも変わる。だから、「課題解決」は永遠にしません。人が集まり暮らしていれば、「話し合う」ことが、永遠に、随時、必要なんだと思います。

ぐるんとびー 菅原健介さんが語る、30・40代の私たちがいまからできる 3つのしたく

  • 身の回りのことから、「いま」を見つめ、「これから」を整理しよう
  • 全住民が「福祉人材」の素養を身につけよう(大人は特に)
  • 「全体最適」が見える人をたいせつにしよう(自分を含め)

写真:多田由美子

編集工房まる株式会社 西村舞由子
編集工房まる株式会社 西村舞由子

介護・医療・福祉情報専門で「伝える」コンテンツやツールを制作する編集プロダクション。現在、「伝え合い・つながる」を体感するカードゲームを開発中。 舞台演出家の父をもつ代表の西村は、芸術ではなく法律や介護福祉など実学の道に進むが、近年「実学の情報を芸術で伝える」ことの意義深さに気づきつつある。

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