最初は私たち夫婦と長女の親子3人でマンションに住んでいたのですが、双子の妊娠を機に同居を検討しはじめました。夫は一人っ子なので、いずれ実家を継ぐだろうという感じだったんです。夫の実家には義母と義母の妹が2人で暮らしていました。実は私が長女出産後に軽い育児ノイローゼになっていたので、同居をすれば双子出産後に育児を助けてもらえそうという期待もあり、いずれ継ぐならこのタイミングでもいいんじゃないかと同居を決断しました。
「大切な人が老いるのは苦しく、つらいこと」。そんな声をよく聞きます。ましてやその姿を日々目の当たりにする介護となれば、なおのことでしょう。
しかし、滅入りそうな介護生活の中にも、ほのぼのとした笑いに昇華できたり、目線を変えることで気持ちが楽になったりする瞬間はある――そんなヒントを与えてくれるのが、介護経験を綴ったコミックエッセイです。作者が持つ独特の感性フィルターを通して描かれる介護の日常は、おかしみもありながら、ときにジーンと心を打ち、そして発見に富んでいます。
今回は、総アクセス数が3億を超えるブログ『7人家族の真ん中で。』や、書籍『スーパー嫁の汗と笑いの在宅介護』(主婦と生活社)の著者である、バニラファッジさんにインタビュー。要介護4で認知症の姑と、要介護5で身体が不自由なその妹、2人を同時に在宅介護していたというバニラファッジさん。介護とどのように向き合ってきたのか語っていただきます。
――お義母さん、義叔母さんと同居されることになったきっかけから教えてください。
最初は私たち夫婦と長女の親子3人でマンションに住んでいたのですが、双子の妊娠を機に同居を検討しはじめました。夫は一人っ子なので、いずれ実家を継ぐだろうという感じだったんです。夫の実家には義母と義母の妹が2人で暮らしていました。実は私が長女出産後に軽い育児ノイローゼになっていたので、同居をすれば双子出産後に育児を助けてもらえそうという期待もあり、いずれ継ぐならこのタイミングでもいいんじゃないかと同居を決断しました。
――高齢の姉妹2人暮らしというのは、珍しいですね。
夫の実家は、もともと義母と義叔母の生家なんです。義母が離婚して2歳だった息子(夫)と実家に帰ってきたのですが、その当時、結婚適齢期だった義叔母も甥っ子が可愛かったのと、結婚生活の愚痴を姉から聞かされて、「結婚は地獄だ」と思ったみたいで。結婚せずに姉と2人で甥っ子を育てようと考えて、そのまま実家暮らしを続けたようです。
――ただ、お姑さんが2人いるようなものですよね。抵抗はなかったですか?
当初は全くなかったですね。広い庭や畑もあって、自然に恵まれた環境が自分の地元によく似ていたのと、ご近所付き合いも田舎ならではの暖かみがあって、とても暮らしやすそうだなって思いました。というか長女と双子の3人を育てるのは本当に大変でしたから、おばあちゃんが2人もいるなんてラッキーって思っていました。現実は、甘くなかったのですが……。
――たとえば、どんなことが大変でしたか?
2人とも私とは真逆の人生を送ってきたので、全く相いれませんでした(笑)。義母も義叔母も公務員として定年まで勤めあげた職業婦人で、そのたくましさは筋金入りでした。それもあってか「専業主婦はこうあるべき」という確固たる考え方があり、自分たち含めて夫や子どもにだけ仕えることを要求してくるんです。なので、私が友だちと遊びに行こうとすると、専業主婦が夫や子どもを家に置いて遊び歩くなんてあり得ないと、叱られました。
――それはキツい……(苦笑)
2対1なので、まず嫁の私は勝てない(笑)。でも、夫がいつも私の味方でいてくれたのでイーブンでいられました。私も家事や子育てに十分時間が取れる専業主婦に満足していましたし、完全2世帯住宅だったこともとても助かりました。できるだけ顔を合わせたくありませんでしたから(笑)。
とにかく綺麗好きで料理は台所が汚れるからやらない姑たちと、後片付けが苦手だけど料理やお菓子作りが大好きな嫁の生活はずっと平行線でした。ただ、子どもたちは、あっちでも愛されこっちでも愛され、のびのび育ったと思います。
――お互い付かず離れずの二世帯生活が10年ほど続いた後、お義母さんの認知症にはじまり、お義叔母さんもリウマチを患われて身体が不自由になられたそうですね。そうした状況を予期していましたか?
まったく予期していませんでした。同居した当初は2人とも元気で、十分な蓄えもあり、義叔母の運転でよく買い物にもでかけていました。楽観的だったかもしれませんが、そんな日々がずっと続く気がしていたんです。ただ、年を取れば重いものが持てないとか、固いびんのふたが開けられないとか、少しずつできないことが増えていくだろうとは思っていました。一緒に暮らしている以上、できないことは手伝うのは当たり前と思っていたので、在宅介護はその延長だったのかもしれません。
――施設入居の選択肢はなかったのでしょうか?
とにかく2人は生まれ育った家への愛着がとても強かったので、本人の意思がはっきりしているうちは難しいな、と思いました。とはいえ、義叔母が要介護5になった時は、さすがに考えました。
ただ、老姉妹を別々にしていいのかと悩みました。長年支え合ってきた2人を引き離すぐらいなら、一緒に入所するのもありかと。ところが具体的に話しを進めると、たとえ夫婦でも1人1部屋の規則があり、同じ施設に入っても生活費や住居費はすべて2倍必要。2人なら割引とか、そういうのはないんです(笑)。
金銭的には自宅で家政婦さんや介護サービスをフル活用する在宅介護とあまり変わらないと感じました。ならば2人の姑が強く望んでいた「最期まで家に居たい」に挑戦してみようと思いました。
――なるほど。やはりお金も大切……ですよね。
そうですね。2人とも定年まで公務員として働いていたので年金も老後の蓄えもありました。なので、介護費用はもちろん、家政婦さんを雇う費用も全部姑たちが支払い、息子夫婦が出すことはありませんでした。2世帯住宅も功を奏し、在宅介護と言っても食費や光熱費もきっちり分けてやっていました。私たちは私たちの生活や蓄えを守りながら在宅介護を続けていくことができました。
――介護生活がはじまる前に、お金の合意形成をすることが大事ですね。
義母の認知症が進行し、義叔母が車の運転ができなくなった頃から保険や預金の管理を任せられるようになりました。最初は負担でしたが、本格的に介護が始まった時は姑たちの資金管理ができてとても助かりました。 在宅介護か施設入所かを迷った時も、この先お金がどれだけ必要かが判断材料にもなりましたから。
結局、在宅介護を選びましたが、もしかしたら24時間管理の行き届いた介護施設の方が長生きできたかもしれない、と思うこともあります。ひと昔前だと在宅が幸せ、施設は可哀想なんて考えもありましたが、今や介護のプロにお世話され、掃除の行き届いた部屋で面会に来た家族の笑顔に囲まれる方が幸せな晩年ということもありますよね。
――ちなみに、それぞれどのような介護が必要だったのでしょうか?
義母は認知症なので、物忘れが多くて大変でしたが、身体はすこぶる元気でした。一方、義叔母は、認知症もなく会話もウィットに富んでいるのですが、リウマチと骨粗しょう症で手足に力が入らないという状況で、生活全般に介護が必要でした。なので、2人あわせて、ありとあらゆる介護をした感じですね。
――お義母さんは、認知症とのこと。介護は一層大変ではなかったですか?
そうですね。いろいろなことが徐々に理解できなくなってきて、トイレがわからない、ここがどこかわからない、ということは日常茶飯事でした。でもそこは常に義叔母が監視していてくれたので、義母が大きな失敗をする前に私を呼んでくれました。おかげでよく聞く徘徊やトイレの失敗はほぼありませんでした。認知症介護で一番大変な見守り役を義叔母が担ってくれたので、負担が少なくて済んだ部分もあります。
――義叔母さんの存在は、バニラファッジさんにとって心強かったようですね。
最期まで、周りに気遣いのできる人でしたね。ただ身体はどんどん弱っていき、軽くこすっただけで皮膚が破れたり、関節が変形したり、いつの間にか骨折したりすることもよくありました。本人は痛みとの戦いだったと思います。その全てをぶつけられると私もきつかったかもしれないんですが、いつも「ありがとう、ありがとう」と言葉で伝えてくれました。あと義叔母は、嵐の松本潤さんが大好きで、彼がテレビに登場すると俄然若返り、痛みも吹っ飛び、うれしくて大騒ぎ。とても乙女な人でしたね。
――2人は介護状態になってから、性格や態度に変化はありましたか?
義母は「自分が憲法」みたいな人で、とにかくプライドが高く頑固で厳しかったんです。良く言えば、とても真面目で芯のある女性でした。でも、認知症になってから、「これまでの自分とはちょっと違う」という不安を抱えはじめたのか、自分の考えが絶対だというスタンスから、態度が軟化して周囲を頼るようになってきました。実際のところ、介護に突入してからの方が私との関係が良くなった気がします。
かたや、義叔母は「永遠の妹」のポジション。義母の言いつけを守り、「姉の言うことは絶対」でした。でも、義母が認知症で会話が成り立たなくり、日々の出来事も共有できなくなり、自分も身体が動かなくなってきて、とてもつらかったはずです。それでも姉をサポートするのは自分だと思っていたんじゃないかなと。その意味では、頼もしかったですし、義叔母の方が介護前後での変化はあまりなかったです。
もちろん姉妹ゆえ、言いたい放題の喧嘩もよくありましたが、それが2人の生きる原動力だったのかもしれません。私はその2人の主介護者として社会との繋がりや衣食住のサポート役を淡々とこなしてきたと思っています。介護が始まってから、嫁×義母×義叔母の三角関係はバランス良くなったのではないかと、思っています。
――ただ、2人同時の在宅介護となると、精神的にもきつかったのでは。
そうですね。そこはブログ『7人家族の真ん中で。』がとても支えになりました。困ったことやイライラしたことも、ブログに描くことで、清々しいほど客観視する力が身につきました。
介護の全てが伝えたいエピソードになり、それがエールになり、誰かの助けになって、さらにコメントをもらえる。私も大いに励まされました。離れて暮らす私の両親も、介護に明け暮れる私を心配していましたが、ブログを読んで一緒に笑ったり怒ったり泣いたりしてくれました。それも私のエネルギーに変わりました。
とはいえ、さかのぼれば悠々自適に暮らしていた2人のもとに、3人の子どもを連れて乗り込んできた息子夫婦を受け入れ、子どもたちを無条件に愛してもらった2人には感謝もあります。
――恩返しの気持ちが支えになっていたのですね。
そうですね。私にとっては厳しい2人の姑でしたが、夫にとっては育ててもらった2人の母親、子どもたちにとっては、「大きいばあちゃん」と「ちぃばあちゃん」です。嫁の私は介護がなければ、2人とあんなにたくさんしゃべったり、寄り添ったりはしなかったと思います。そして2人をキチンと看取ることで家族になれたような気がします。
――最後に、介護を経験したことで、バニラファッジさんが得たことについて教えてください。
誰しも等しく老いますが、私は2人からその予習をさせてもらったと思っています。「老い」を目の当たりにしたことで、自分の老後の選択肢も増えたのではないかな、と。とにかくどんな経験も、その後の人生を太く強く豊かにすると思っています。介護はその中の一つという感じでした。その意味でも、義母と義叔母には感謝しています。
ビジネスからグルメまで幅広いジャンルで記事を執筆。
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