2018年、「老いていることを自ら宣言して笑っていこう」と「老いるショック」という新語をひっさげて還暦を迎えたみうらじゅんさん。「ゆるキャラ」や「いやげもの(もらってもうれしくない土産物)」など、世の中に見過ごされてきたモノたちを「笑えるネタ」に変えてきたセンスで、「老い」をもポジティブに捉えています。
なぜ、みうらさんは「老い」さえもネタにしてしまえるのかーー全ては「人に見せる前提」でやっているという「見せ前(みせぜん)」の生き方、還暦を迎えてなお燃え盛るロック魂、そして将来への不安さえも「不安タスティック!」と表現し、楽しく変えていく極意を伺いました。
ーー還暦を迎えてから、「腰が痛い」とか「朝早く目がさめる」など、老いを感じるときに「老いるショック!」と自ら宣言して笑うようにされていると伺いました。
みうらじゅん(以下、みうら)
「老いるショック」という言葉は、10年ぐらい前に考えていたんだけど、当時は「まだ言うのは早いな」と思っていたんです。言った本人が「老いるショック」を受けていないと説得力がないですから。でも今、誰からも非難されていないってことは「老いるショッカー」に見えているんだろうし、よかったー! と思っています。
ーー老いって、どうしても受け入れがたいところがあると思うんです。ところが、みうらさんは前向きに捉えておられるのですばらしいなと思いました。
みうら
前向きというか、完璧にネタですね。それに、僕の場合ですけど、思い返すと「若い」ってことでそんなに得したことがないんですよ。そのときどきは楽しかったんですけど、うらやましがられるようなこともなかったしね。
子どもの頃に比べると、20代から50代って身長や容姿が大きく変わるわけでもないし、変化がなくてつまんないなと思っていたんです。ところが「歳を取って、以前はできたことができなくなる」というのは変化ですからね。
この前、ずっと読んでいた松本清張の文庫本がないから探していたら、冷蔵庫の棚にきれいに並べてあったんですよ。そんなことをした記憶は全然なくて「これは面白いことになってきたな」と思いました。自分でも笑けるし、ネタとしておいしい。それを「老化」と呼ぶか「変化」と呼ぶかだけの違いじゃないかな。
ーー歳を取って「以前はできたことができなくなる」ことに寂しさを感じたりはしませんか?
みうら
以前は、無理していたんですよね。いまは「好きだと思い込んでいたことが好きとは限らない」と分かってきました。
僕は、ずいぶんお酒を飲み倒している人だというイメージを持たれていて、いまだにお歳暮にお酒を送ってくれる人がいるんです。でもコロナ禍で飲みにも行かなくなって、よくよく考えてみたら僕はお酒の味が苦手で、一番好きな味はカルピスだってことがようやく判明したんです。
徹夜も好きでやってたわけじゃなかったなと思いました。今は夜10時半には寝て、朝6時半に起きているから仕事もスムーズなんです。たいてい昼過ぎには書き物が終わっているし、飲まないから体の調子もいい。いいことずくめですよ。
ーー嫌なことをやめていけるのは、歳を取る良さなのかもしれませんね。
みうら
最近ね、ヒザに水が溜まっているらしくて、痛いからあんまり歩きたくないんですよ。でも、もともと運動なんて好きじゃないわけで。前は、どう見ても年下の医者から「もっと歩かなきゃダメ!」とか言われていたんですけど、最近はあまり注意されなくなってきたんです。「もう、しょうがないな」って周りに諦めてもらえるのも、すごく楽ですよ。
ーー年齢を重ねる中で、こだわりが強くなったり、頭が固くなっていく人もいると思いますが、みうらさんは無理をやめて楽になれたんだなと思いました。
みうら
だって、老いをネガティブに考えるってフツーじゃないですか。でもやっぱり、僕は若い頃にロックを食らっているもんで。フツーじゃないことをしたいし、言いたいんです。フツーのことをしていたらロックじゃないからね。
ーー「誰にも注意されない」っていうのもなんかロックな感じですね。
みうら
そうでしょう? 「老いるショック」を使って、「しょうがないだろ!」って言い切って我が道を行ってるんです。昔は何か言われることをぐっとガマンしていましたけど、今はもう髪の毛が倍に伸びても、顔中にヒゲがあっても周りは何も言わないもん。還暦を過ぎて、ついにきたな! と思っています。
本来なら「30歳までに死ぬ」というのがロックの定義だったし、「カルピスが好きだ」って言ったらロックじゃないし、ねえ? いまだにこんな姿をしているのはロックの呪縛があるからだけど、還暦を過ぎて既成のロックを真似するのをやめて、自分なりの解釈の「マイロック」になったんですよね、きっと。
ーー還暦は満60歳。生まれた年の干支に戻ることから「生まれ直し」、つまり「赤ちゃんに戻る」と言われますよね。
みうら
言いますよねえ。ただ問題はね、「“かわいくない”赤ちゃんに戻る」ことなんですよ。やっぱり年寄りは、赤ちゃんの一番の魅力であるかわいさを見習わなければいけないと思います。まずは「意見を言わない」。例えば映画を見ても「このシーンがつまらなかった」「あの俳優がよかった」とか言わない。「僕は○○という映画を見た」って言うだけでもう十分なんです。
ーー「何をしたか」だけを端的に言うんですね。
みうら
すると、「えー、あの映画見たんだー」ってことで終わります。よく考えたら、そこに意見を求める人なんていなかったわけで。自分の主張を抑え気味に生きていけば丸く収まる。ラーメンを食べたら、「ん、ラーメンだ!」と言っていれば、「あの人、赤ちゃんみたいに『ラーメン!ラーメン!』って言ってるだけでかわいいな」につながると思うんですよ。
赤ちゃんは「オムツ蒸れてんだよ! 早く変えろ!」なんて言わないじゃないですか。意見を言わないからかわいいんです。
ーー確かに。文句を言ったり、指示を出したりする赤ちゃんがいたら世話しづらいですね……。
みうら
イヤでしょう? いくら赤ちゃんがかわいくても、文句を言われたら腹が立ちますよ。介護されるときも「オムツ! オムツ!」とだけ言えばいいんじゃないですかね。
それから、赤ちゃんなら「しつけ」がいるけど、年寄りも「しつけ直し」をした方がいいよね。僕はこの頃、洗濯をするようになりました。考えてみたら、家事をするっていうのも、昔ジョン・レノンに教えてもらっていた。ジョンはオノ・ヨーコとの間に息子が生まれたとき、丸5年も家事と育児をやっていたんです。あのイメージが僕の中にずーっとあってね。ロックが教えてくれたことの中に、家事もちゃんと入っていたんですよね。
ーーみうらさんは「カスハガ(絵ハガキセットに混ざり込んでいるカスのような絵ハガキ)」や「冷マ(冷蔵庫マグネット)」などさまざまなコレクターとして知られていますが、全ては人に見せる前提の「見せ前」で続けておられるそうですね。
みうら
いや、「見せ前」だと思い込まないと続かないんですよ。小学校1年生のときに初めて作った「怪獣スクラップ」からずーっと、架空の読者を想定して「見せ前」のつもりでやっています。「誰かに見せて喜んでもらうには?」「どうしたらウケるか?」と考える方がやっぱり技術も伸びるからね。そうやって自分に義務感を与える癖があるんです。
みんながいらないと思うような土産物を「いやげもの」と称して買っていたのも、本当は全然欲しくなかったけど、集まったら面白いということだけは分かっていました。だからコツコツと集めていただけのことなんです。
ーーモノを集める行為は煩悩っぽいんですけど、みうらさんのお仕事はむしろ正反対というか、煩悩を感じないのが不思議です。
みうら
僕は、好きになったモノを集めているのではなくて、「好きになろう」と思ったモノを集めているからじゃないかな。好きになっていく過程がモノ集めだから、欲しいモノを収集する煩悩とはちょっとベクトルが違うのかもしれない。
一つか二つ買って気がすむようなモノには、そんなに好きになる要素はないんですよ。でも、なんだかよく分からないけど気になる、普通は買うまでは至らないはずのモノを買うのは、好きになるように自分を洗脳するような行為なんです。
ーー長年集めてこられたコレクションについて、2019年に『マイ遺品セレクション』(文藝春秋)という本にまとめられましたね。これはMJ流の「マイ終活」になるのでしょうか。
みうら
もし“遺品”として残った場合、世の中的な「ザ・遺品」からかなり逸脱しているものばかりなので。生前に僕が自分のコレクションの学芸員になって「これはこういう意図で集めている」と解釈しておかないと困るだろうなと思ったんです。これもまた「見せ前」ですよ。誰かが博物館を作ってくれたらいいけど、作ってくれなかったときのためにやっているんです。
ーー好きでもないと言いつつ集めたモノたちのことを、そこまで考えているとは……。
みうら
あまり関心がないところから無理やり好きになったものって、好きになるまで年月をかけていますから根深いですよ。好きになってすぐ成就したものの方が、意外と飽きるのが早いです。
ずいぶん修行はしたけれど、やっぱり僕も飽きるんです。「飽きて、捨てて、忘れる」というのが人間の摂理だし、人類の歴史でしょう。でもロックとしてはそれに反発したいわけで、飽きているのに飽きていないふりを始めたんです。
「いやげものについて話してください」と言われたら、今でもさも夢中になっているようにしゃべることはできる。思い出せば再燃することだってあるし、牛のように繰り返し反芻(はんすう)しているんです。
ーーなんだかご自身についても「見せ前」で人生を作っておられる感じがします。
みうら
漢字の「三浦純」が、ペンネームの「みうらじゅん」を動かしているイメージなんです。「三浦純」がプロデューサーとして、「みうらじゅんという人はこういうことをするべきだ」と決めて仕事をしてきたから、今はもうどっちがどっちか分からなくなっている状態なんですよね。
ーーこれから、70代、80代になっていくことについて、何かイメージはありますか?
みうら
うーん、ないですねえ。分かりもしない将来のことを考えるのはすごく難しいじゃないですか。「終活」なんて僕にとっては複雑過ぎて、考えようとするとすぐに眠くなります。それは神様が僕の脳に与えたもうた「それ以上は考えても仕方ない」ってやつだと思うんだけど。
自分の中では「未来は分からないこと。過去は終わったこと」ってことにしています。ついつい不安な気持ちになって先のことを考えたとき、この言葉を思い出すと「そうだそうだ」と思って、それ以上はもう考えない。自分に洗脳されたんだと思います。
ーー不安といえば「不安タスティック(不安な気持ちに「タスティック」を付けることで楽しく捉えようという考え方)」という言葉も作られましたね。
みうら
それはまあ単なるギャグですよね。でもこの言葉を考えたとき、「不安タスティック!」って言えたらそんなに不安じゃないんだなと思ったんです。鏡に向かって「不安タスティック!」って言ってみると「まだまだ大丈夫だな、こいつ」って他人のように思えるんですよね。
とりあえず、不安は全部他人事のように思った方が不安じゃなくなるんじゃないかと、思い込もうとしています、きっと。
ーー結局のところ、人生って思い込みといえば思い込みばかりですものね。
みうら
そうなんですよ、結局生きてるって思い込みですから。思い込みで恋愛もしてきたし、人生も生きてきたのに、歳を取ったからって焦って真面目になるのって、一番かっこ悪い気がするけどなぁ。
ーーそれこそロックじゃないってことになりそうです。
みうら
うん。そもそも、不安って言葉がいらなかったと思います。そもそも、生きることに安定なんてないわけで、ベースが不安でたまたま止まり木みたいに「安定」があるだけだからね。だから、わざわざ「不安なんだよ」って言わなくていいんじゃないかな。口に出せばまた不安になるし、相手にも「俺も不安だよ」って言われるだけに決まっているんだからね。
取材・構成:杉本恭子
編集:はてな編集部
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