お笑いコンビ「ミキ」の亜生さんは、芸人になる前に介護の仕事に就いていたことで知られています。
大学を卒業後、就職活動を経て亜生さんが入社したのは、介護が必要な方のお宅に訪問して入浴介助をする会社。そこで得た経験は、意外にも芸人としてのスキルを培ってくれたと語ります。なぜ亜生さんは新卒で介護の仕事を選んだのか、その仕事ぶりや、介護の仕事の魅力について伺いました。
――大学卒業後、芸人になる前に訪問入浴サービスの会社で1年間働かれた経歴をお持ちです。なぜ介護の仕事を選んだのでしょう?
もともとイルカの調教師になりたくて大学の海洋学部に行ったんですけど、ちゃんと調べなくて微生物を研究する学科に入ってしまったんです。大型哺乳類はできへんくて、「どうしようかな」と思ってて。ただ、大学時代にフットサルのレフリーや遊園地の誘導員などいろんなバイトをして、「人と関わるのが好きやな」って思ってました。だから就職活動をするときに、人と関われて、その中でも誇りを持ってやれる仕事をしたくて介護職を選びました。
――仕事をするにあたって、研修や勉強はみっちりされましたか?
内定をもらった後、大学に通いながら空き時間に勉強してホームヘルパー2級(現在は介護職員初任者研修)の資格を取りました。介護施設や訪問介護で研修をやらせてもらったのが新鮮で楽しかったです。しゃべり方や所作もいろいろ教えてもらって、すごく丁寧だったんで「ホテルマンみたいやな」と思いました。
会社に入ってからは結構、現場で色々なことを覚える感じでしたね。入社して営業所に配属されてから1カ月は先輩について見て回ってました。結局、利用者さん一人ひとりに合った介助をしないとなので、みんな揃ってマニュアル通りというわけにはいかないんですよね。「この利用者さんはこの順で洗って差し上げて」「このお宅は浴槽を入れるときの向きに注意して」って教わって、1軒ずつ覚えていきました。
――1日のスケジュールはどんな感じだったんでしょう。
8:30には1軒目に行かないといけないので、シャンプーやタオルなどの備品を揃えてワゴンに乗せて出発して、そこから8軒ぐらい回って夕方頃に営業所に戻ってくるようなスケジュールでした。看護師さんと女性のヘルパーさんと僕の3人1組で、1軒あたり40〜45分くらいでしたね。ベッドの横に簡易浴槽っていう持ち運べるお風呂を設置して、利用者さんの入浴を介助して、体を拭いて、着替えの介助をして、一通り終わったらお風呂を回収して。
――かなりタイトですね。
そうなんです。しかも僕が働いていたのが京都やったんで、長屋やエレベーターのない団地が結構あったんですよ。ほっそい家とかね。子供の体重くらいあるお風呂を担いで上らなあかんので、ほんまに力仕事でした。研修のいちばん最初に、腰を痛めないモノの持ち方を教えられた意味がわかりました。
――働きだしてから「想像していたのとは違うな」と思ったところはありましたか?
しゃべり方なんかは良い意味でかしこまりすぎなくていいんやな、ってところですね。ホームヘルパー2級の勉強だと「必ず敬語で膝をついて、何かを指すときは手のひらで」みたいに教わったんですよ。でも現場の人たちは「利用者さんが『いいよ』って言ってんねんから、いいよ」って感じで、それが面白かったです。
それから、洗い方も利用者さんによって全然違うんですよね。「この人はこのくらいの力強さで」「ここを特にしっかり洗う」「ここは手で掻いて差し上げて」っていろいろあって。ホースを巻いたり浴槽を持っていったり、そういう作業は多分1カ月あれば誰でもできるんですけど、利用者さんに合わせたやり方を覚えるのは時間をかけないと難しいやろな、と思いました。
――1年の間に、そのあたりのコツは掴めましたか?
僕はしゃべるのに必死で手がおろそかになるタイプでしたね……。45分の中で洗うのにかけられる時間は15分くらいなんで、そこで「気持ちよかった」と満足してもらえるまでにはなかなか至らなくて。人に洗ってもらってるんじゃなくて、利用者さんが自分で洗ってる感覚になれるくらいにできたらいいのになぁ、と思ってました。
先輩たちを見てると、うまい人は洗うだけじゃなくてリラックスさせたり気遣いができてたりするんですよ。「この人は冷たいおしぼりが好きやから、冬でも冷たいおしぼり使ってあげよう」って、マニュアルにないことをやってはって。すごいな、と思いましたね。
――勝手なイメージですが、しゃべるのに一生懸命だったというのはすごく亜生さんっぽいなと思いました。
今もそうなんですけど、思ってることが口に出ちゃうんです。お宅に行って「家でっか!」とか、痩せてはる利用者さんを抱えて「軽いな〜!」とか。
要介護認定4のおじいさんが、体の状態から普段はできないはずのこと、例えば自分でベッドから立ってお風呂に座れたのを見て「やってるや〜ん!」って、つい言っちゃったこともあります。
関西だからか、ご本人が笑ってくれたり、ご家族もその感じを喜んでくれたりするんですよ。「今日は三木くんが来てくれたんや」「三木くんがいいです」なんて言ってもらって、ありがたかったです。もちろん、めっちゃ怒られることもありましたけど。
――過剰に気を使われないほうが楽だという方もいらっしゃいますよね。
結構ガッといったほうが喜んでくれるのは、働いていて思いましたね。気を遣いすぎんほうがいいな、って。何を考えてるかわからへん人って怖いじゃないですか。しかもこっちは若いし「なんやこいつ、ちゃんとできんのか」って利用者さんは不安にもなると思うんです。実際、1年目だからちゃんとできないし。その分をなんとかおしゃべりで挽回するというか(笑)。「サッカーやってたんですけど」「釣りやってるんです」って、自分のこともいろいろ話して説明してました。
――以前に同じく介護職の経験がある芸人としてEXITのりんたろー。さんに取材したとき、「いい意味で適当で明るいから向いていた」とおっしゃっていたんですが、通じるところがある気がします。
「家でみるのも、施設に預けるのも愛」EXITりんたろー。が見てきた介護の現場と、そこにいる人々
そうそう、真面目な人は緊張して疲れちゃうと思います。利用者さんも緊張しはるし。むしろおしゃべりに行ってるくらいの感覚のほうがいい気がしてましたね。そのほうが楽しいかなって。
――働く中でもっともやりがいを感じたのはどんなところでしたか?
それはやっぱり、ダイレクトに喜んでもらえることですよね。「ほんまにありがとう」って。その点は人と接する仕事の中でもいちばんなんじゃないかな。洋服を売ったりご飯つくったりしても、そこまで喜んでもらえることはなかなかないと思います。利用者さん本人だけじゃなくて、家族の方が喜んでくれはるのもうれしかったです。
――自分たちの仕事が利用者さんの生活に大きな影響を与えていると実感した、印象に残る場面はありますか?
鮮明に覚えてるのは、認知症が進んではって、お風呂を2年間拒んで入ってなかった一人暮らしのおばあちゃんですね。「なんとかきれいにしてあげたいな」と思いました。何度もお宅に通って、みんなで「うわ〜! 気持ちいい〜!」って自分の手を風呂に入れて洗ってみせたり、「手だけでも!」っておばあちゃんの手だけ洗わせてもらって「ほら、きれいになった!」ってやったり。
――ハイテンションの説得! それが功を奏して?
何がきっかけやったのかわからないんですけど、あるとき急に「お風呂入る」って言わはって、「じゃあ入りましょう!」って。女性の利用者さんのときは僕は洗うことができないんで、お風呂の水を入れ替えたりしてました。びっくりしたのが、お風呂に入る前と後で顔つきが完全に変わったんですよ。みんなで「顔、変わった!」って言い合いました。柔らかくなって、性格もめっちゃ変わって笑わはるようになって。
――それは忘れがたい経験ですね。
ほかの職業ではできひん経験がいっぱいできました。昨日まで寝たきりだった人が今日はちょっとだけ起き上がれたり、逆に昨日は元気やった人が亡くなられたり、嬉しいことも悲しいことも、いろいろありました。
――やはり最期のときを目の当たりにされることもありましたか。
「最期のお風呂です」ってことがありましたね。主治医の先生が来て「血圧が下がってきてるから、多分今日を越えるのは厳しい。お風呂に入れたら多分そのまま亡くなられるけど、どうしますか?」ってなったときに、ご家族が「お風呂好きなんで、入れてあげてください」って。僕は入社して5日目ぐらいで、先輩がお風呂に入れてあげているのを見て「これはすごい仕事だな」と思いました。ご家族は「ありがとうございます」という感じで、いいお別れの仕方やなとも思いましたね。
――1年で退職して芸人の道を選ばれたのはなぜだったのでしょう。
お兄ちゃんが先に芸人になっていて、親がめっちゃ反対してたんで「僕は真面目に働かないと」と思って就職したんです。でも結局、自分も芸人になりたい思いがあふれ出ちゃって。それに、さっき話したように思ったことをポンポン言っちゃうので、営業所でも「芸人のほうが向いてるんちゃう?」とは言われてました。
――芸人の仕事をしていて、介護の仕事での経験が活きていると感じる場面はありますか?
芸人って、どうしてもトークをつなげないとあかん場面ってあるんですよね。芸人同士だったらお互いに聞きたいことがあるから、トークライブって誰とやってもうまくいくんですよ。でもたとえばロケで一般の方相手となると、こっちから話を聞いて膨らまして、そこからまた別のネタを見つけて膨らまして、またもう一個……って広げなあかん。そういうときに、介護の仕事でお宅に行って、利用者さんと二人っきりでもシーンとしないようにどうにか話をつなげようとしていたのが役に立ってると思います。
しゃべるのはもともと好きでしたけど、どうしたって話題がない人と話すのが大学生の頃はしんどくて、結構そこでバサッと切ってしまってたんです。だけど介護の仕事をしてから、おしゃべりが苦じゃなくなりましたね。あんまり良くないですけど部屋の中をぐるっと見てヒント探して、なんでもいいから話のきっかけになるものを拾っとけ! ってやってました(笑)。見えたもん全部さらっていったらしゃべれるから。
――場をつなぐ力がそこで育ったんですね(笑)。今も介護業界に関するニュースなどは気にされていますか?
そうですね。やっぱり、働いている人の職場環境の改善はどんどん進めていってほしいなと思います。僕が勤めていた会社は待遇も良かったんですけど、整ってないところもまだまだあると思うんです。休みのことだったり、働く時間の長さとか。そういうのは今も聞くんで、もっとちゃんとしたら働く人は増えるやろうなと思います。
――介護の仕事に興味を持っている人に、今だから言えることがあるとしたらどんなことでしょう。
めっちゃ良い仕事やと思うんですよ。働く中で楽しみを見いだせたりやりがいを感じられたりすれば、不器用でも全然いいですし。気持ちが大事な職業なんですよね。僕はまったく器用ではなかったけどなんとかできてたし、喜んでもらえました。ちょっとでも興味があって「やりたいな」と思うんやったら、ぜひやってみるべきやと思います。
写真:八木虎造
1986年、神奈川県生まれ。編集者、ライター。月刊誌「サイゾー」編集部を経て、フリーランスに。編集書籍に『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』「HiGH&LOW THE FAN BOOK」など。
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