「最近なんだか頭が重い」
「前より視界がぼやける気がする」
など、日々感じる体や心のちょっとした不調。なかには放置している内に悪化してしまったり、専門家が診ればすぐ解決できたりする症状もあるはずです。とはいえ、実生活に不便がないのに病院に行くのも億劫で、ついそのままにしてしまいがち。人が適切なタイミングでケアと出合うのは、簡単なことではありません。
そんななか、“ある場所”が始めた取り組みが話題となっています。
その場所とは「銭湯」。杉並区にある銭湯・小杉湯では、地域の交流拠点としての役割を活かし、健康についての相談対応や医療・福祉のイベントなどを展開しているんです。
「小杉湯で私が最初に取り組んだ医療・福祉企画は、医療関係者と小杉湯スタッフ向けの学習・交流イベントでした。それ以降、取り組みに関わるメンバーが増え、カジノを使った脳トレ「鍛の湯(かじのゆ)」や理学療法士の講師と共に街を歩く「夕焼け散歩」、身体や心の悩み相談室「となりの保健室」などの企画も展開するようになりました」
と語るのは、小杉湯における医療・福祉の取り組みの中心的な人物、コミュニティナースの藤澤春菜さん。
そのほかにも現在小杉湯では、医療・福祉機関と一緒に健康な街づくりを行うプロジェクト「高円寺健康まちづくり」や、病院などの専門機関とタッグを組んで小杉湯のコミュニティを活かした健康プログラムを提供する「EIM小杉湯」、健康情報を発信する新聞の発行など、イベント開催にとどまらない幅広い取り組みを行っています。
普段は地域包括支援センターで保健師として働く医療関係者でもある藤澤さんは、これら銭湯が主導で行う医療・福祉の活動について、大きな可能性を感じていると言います。
「体や心の不調を感じても『こんなことで相談していいのかな』『自分はまだ大丈夫』と考えて受診や相談をせずに済ませている人は少なくありません。しかし、そうした方こそ実は問題を抱え込みやすいんです。公共空間でもあり、世代や趣味が異なる人が集う銭湯は、彼らが適切なタイミングでケアと出合うのにうってつけの場所だと感じています」
病院や役所に行くのはハードルが高くても、銭湯なら誰もが気軽に足を運べます。そこが“まちの保健室”として機能すれば、体や心の悩みをお風呂や散歩のついでに相談でき、早い段階で病気に気付くことができたり、日常の不安を解消できるかもしれません。
「それに、」と藤澤さんは続けます。「裸になると、不思議と体の話をし始める人って多いんです。服を脱いで汚れを落とし、温かいお湯につかって疲れを癒やす銭湯は、自分の身体を気にかけるのにぴったりの場所なのかもしれません」
藤澤さんが銭湯に医療の場としての可能性を初めて感じたのも、前職で看護師として働いていたころ、ふと訪れた近所の銭湯での”ある体験”がきっかけだったそう。
「脱衣所で着替えていると、常連とおぼしき2人の高齢女性が病気や体のことについてあれこれ話しているのが聞こえたんです。気付けば私もその輪に加わり、いろんな話を聞いたあげく『あなたもちゃんと検診に行くのよ』とアドバイスまでいただいて(笑)。
そのとき自分が看護師であることは伏せていたんですが、病院では聞けないような本音が聞けただけでなく、最後には立場まで逆転してしまったことに驚きました。普段私が『〇〇病の患者さん』とラベリングして接することが、その人の力を奪っていたのかもしれないと気付くきっかけにもなりました」
この体験が「病院に来た“患者さん”としてでなく、目の前のひとりひとりと向き合うケアがしたい」という藤澤さんの思いの後押しとなり、その後の地域包括支援センターへの転職、そして、小杉湯での活動開始につながっていきました。
「私が本格的に小杉湯で活動するようになったのは、2019年の夏ごろのこと。地域のコミュニティハブとして活動の幅を広げる姿に共感し、小杉湯が主催するイベントなどに参加していたところ、3代目の平松佑介さんから『コミュニティナースをやってみない?』と声をかけていただいたんです」
こうして、2019年の秋とその翌年明けに、前述した、医療関係者と小杉湯スタッフ向けのイベントを連続で企画。第1回はのぼせ対応法の講義と交流会、第2回は「お客さんが倒れてしまったらどうする?——風呂〜チャートを作ろう」と題したワークショップを開催したそうです。
イベント後、活動に共感・協力してくれる医療関係者が徐々に集まりはじめ、2020年3月、小杉湯の隣に会員制セカンドハウス「小杉湯となり」がオープンすると、さらにその数は増加。その年の秋に 「せっかくならこのプロジェクトを大々的に推進しよう!」と立ち上げたのが、現在の活動の運営を担う「小杉湯健康ラボ」でした。
メンバーは年齢も職業もさまざまですが、一番多いのはやっぱり医療従事者だそう。彼らがどんなモチベーションで活動に参加しているのか尋ねてみると「よく聞くのは『患者さんに対して別の視点を持つことができた』という声です」とのこと。
「医療視点で変わった行動を取る人を見ると『これはあの病気のあの症状だな』というように、つい“問題”として捉えてしまうんです。でも銭湯の番頭さんは『いつもと同じ時間に同じ行動をしてる。元気そうだ』と前向きに捉えていたりする。そんな“銭湯視点”に、こんな風に人を肯定的に見られる場があるんだ、と私も最初驚きました」
その視点を知ってから、藤澤さんも以前よりおおらかに患者さんと向き合えるようになった気がしているといいます。これまでは、患者さんと対面したとき念頭に浮かぶのが「大変だ! なんとかしなきゃ」だったのに、今では「この人がこうする理由は何だろう?」に変わってきたのだとか。
「小杉湯の番頭さんが言っていて印象的だった言葉が『銭湯は人の弱さを許せる場所』。弱さを受け入れるおおらかさが、銭湯にはあるんです」
こうした小杉湯での取り組みはじわじわと共感の輪を広げ、今では長野や京都にもコミュニティナースのいる銭湯が生まれているのだそう。
「こんな風に活動が広がっていくなんて思っていませんでしたが、ありがたいことに、気付けば各地に仲間が増えていました。街の人たちにとってもですが、運営する医療者にとっても、銭湯にとってもメリットのある取り組みだからかな? と思っています」
医療関係者と小杉湯スタッフ向けのイベントでは、銭湯関係者からも「お客さんが倒れてしまったらどうしよう、という不安を解消できた」と好評だったそう。また、新型コロナウイルスが流行し始めてからは、衛生管理のサポートをしたり、お客さんに正しい情報を発信したり、銭湯の感染対策係としても一役買ったのだとか。
「まちの保健室」としての役割以外にも、これまで、小さな子どものいるお父さんお母さんにゆっくりお風呂に入ってもらう「パパママ銭湯」や、ラジオ体操の運営などのほか、お祭りでわたあめ屋をしていた利用者さんが活躍する機会を作るため、銭湯の軒先でわたあめ屋を開店したりと、街の人に喜んでもらえることを考えて取り組んできた小杉湯。
地域に必要とされることを続々と提供してきたからこそ、銭湯ばなれが叫ばれる今も、地域の人からも愛され、それ以外の人からも熱い視線を浴びる銭湯となっているのかもしれません。
現在は、こうした銭湯が持つ地域コミュニティの可能性を学術的に解き明かすため、大学の研究費を使った研究も計画しているのだとか。
「メンバーの多くが医療関係者のため、今はみんな大変な状況で進みは遅いですが、少しずつでもこの活動を通して、みんなが自分の半径数メートル以内にいる誰かを手助けできるような社会になればいいな、と思っています」
「まちの保健室」に必要なのは、開かれたコミュニティと協力してくれる医療関係者だけ。老若男女誰もが訪れられる銭湯は特別な存在ですが、各地のコミュニティ拠点でも同様のことができるはずです。この取り組みが広がれば、ふと立ち寄ったお店などで健康相談ができる未来が実現するかもしれません。
東京都在住のフリーライター。2013年より「旅」や「ローカル」をメインテーマに、webと紙面での執筆活動を開始。2015年に編集者として企業に所属したのち、2018年に再びライターとして独立。日本各地のユニークな取り組みや伝統などの取材をライフワークとしつつ、持ち前の探究心を武器に幅広いテーマで記事を手がける。
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