「第二の稲川淳二」と呼ばれる、新世代の怪談の名手がいます。その名は「ありがとう・ぁみ」さん。お笑いコンビ「ありがとう」の片割れ、つまり芸人であると同時に怪談家として活躍するぁみさんは、この世界に入る前に介護福祉士として働いていた経験の持ち主です。
芸人として後もホームヘルパー(訪問介護員)のアルバイトをしていたぁみさんが、介護の仕事を振り返って「今に活きている」と思うこととは?
――ぁみさんは芸人になる前に介護施設で1年、芸人になってからもホームヘルパーのアルバイトを約4年していたそうですね。福祉の専門学校で2年学んで介護福祉士の資格をお持ちとのことですが、そもそもなぜ高校卒業後に介護の道を選んだのでしょうか?
小さい頃からよくおじいちゃんおばあちゃんの家に行っていて、遊んでもらうのも話を聞くのも好きだったんです。祖父母が年をとって老健(※)に入ってからも、よく遊びに行っていました。
そこで介護の現場を目の当たりにしたことで、祖父母や両親の介護を、誰かに手放しで「なんとかしてください」って言うんじゃなく、知識を持って具体的に考えられるような人間になりたいなと思ったのがひとつのきっかけですね。
(※老健……介護老人保健施設の略称。公的な老人ホームの一つ)
――18歳当時、ほかの進路は考えなかった?
なかったですね。宇部商業高校という高校野球の名門にいたので、野球関連の進学や就職の話はありました。でも自分がやりたいことを考えたら、芸能か介護の2つだったので。
――勤めていたのはどれくらいの規模の介護施設だったんですか?
かなり大きいところでしたね。デイサービス、ショートステイ、グループホームがあって、特養(※)もありました。僕が辞めて17年たった今は、もっと大きくなってます。
(※特養……特別養護老人ホームの略称。公的な老人ホームの一つ)
――どんなお仕事が印象に残っていますか?
レクリエーション系の仕切りを1年目から任せてもらえたんですよね。もともと僕は人を笑かすのが大好きで。外部からマジシャンや合唱隊がいらっしゃるんですけど、そういうときは必ず前説(※)をやらせてもらって、爆笑をとってました。
(※前説……テレビの収録前や劇場の公演前に、諸注意などを伝えながら場を温める役割。若手芸人にとって重要な仕事のひとつ)
――レクに前説があるんですね(笑)。
もちろん本来はないです(笑)。でも僕は毎日一緒にいるから、何を喜んでくれるかがなんとなくわかるし、ふざけると笑ってくれるんですよ。孫を見る感じで見守ってくれてたんだと思いますが、その優しさに甘えて毎日楽しく過ごしていました。
一昨年、仕事で地元に帰ったとき、当時一緒に働いていた人とご飯を食べに行ったんです。入ったお店に、当時の現場主任さんがたまたまいて「懐かしいね!」なんて盛り上がったんですけど、そこで「あみちゃんが作った体操のマニュアル、今でも使ってるよ」って言われまして。泣きそうになりましたね。
――どんなマニュアルなんですか?
職員が前に立って、みんなで体操する時間があるんです。決められたカリキュラムがあるので、それに沿ってやればいいんですけど、なんでも楽しいほうがいいし喜んでもらいたいから、もっと何かできないかなと思ったんですね。
それでADL(※)維持に役立つ体操をめちゃめちゃ調べて取り入れたり、合間にちょっとふざけた変な動きや表情を入れてみたりして、イラストも自分で描いて「あみADL体操マニュアル」を作りました。結果、一緒にやってるとニコニコしてもらえるようなものにできて。
それを15年たっても使ってくれてるっていうんですよ。これはたまりませんでした。介護の仕事、好きでしたねぇ。
(※ADL……自立した生活を送るために必要な、食事、着替え、入浴などの日常生活動作のこと)
――より楽しくするにはどうしたらいいか、ずっと考えていたんですね。
そうですね。生きがいなんておこがましいことは言えないですけど、来てくださってる時間は「楽しかった」と思ってもらいたい、と毎日思ってました。
人生の大先輩だし、その人たちがいてくれたおかげで、今僕らは楽しく過ごせてるわけじゃないですか。そんな人たちの人生の一部を預からせてもらってるんだから、敬いたいし、ちょっとでも粗末に扱いたくなくて。そのためにできることを考えるのは楽しかったです。
1日の業務の最後に、その日の利用者さんの様子を伝える書類の作成があったんです。ケアマネジャーさんがプランを立てるための資料で、職員全員が等分に受け持つんですけど、僕は周りがビビるくらいそれを書くのが速くて、よく褒められました。
「この人はこういう人だから、こうしたら喜ぶんじゃないか」とか「こういうふうに乗せたらやってくれる」とか、僕の場合、1日の仕事が終わって書く段階になってから考えるんじゃなくて、現場にいる間から考えて実行してたんです。
これって今考えると、芸人としてMCをするときと一緒なんですよね。それを文字にするだけだったから、書類整理が速かったんだと思います。
――それほど楽しかったお仕事を辞めて、夢だった芸人を目指して上京されます。並行してホームヘルパーをしていたそうですが、芸人としての仕事が少ない時期は、ヘルパーをしている時間のほうが長かったんじゃないでしょうか。
それが難しくて、ライブの出演本数が少ない時期でも、稽古がめちゃくちゃ多いんですよ。
――なるほど。ユニットライブがいっぱいあって稽古が忙しいという、吉本若手芸人あるあるですね。
だから夜通しずっと劇場にいたり事務所本社にいたりして、朝方帰ってから寝ずにそのままバイトに行ったりしてました。
――そんな中でヘルパーのバイトをしていたのは、シフトの融通が効きやすかったからですか?
ある程度、融通を効かせてもらっていたと思います。でもありがたいことに、めちゃくちゃ指名が多くて。在宅介護は施設とは違う面白さがあって、ご指名制みたいなところがあるんですよ。人によっては2日おきに呼んでくれたりしました。
芸人の仕事を優先していましたけど、合間に同期からご飯に誘われても「あのおじいちゃん、僕が行かないとだからなぁ」みたいな感じで断ることもありましたね。
――ホームヘルパーだと、施設とは違う密室での関係になりますね。
1対1ですからね。一軒一軒で勝手は違いますし、みんながみんなおしゃべりしてくれる人じゃない。でも頻繁に行くことが決まっているからには、毎回変な空気でいるのも嫌じゃないですか。どうすればその人たちの心を溶かして信頼を勝ち取れるか、よく考えていました。
何回か通ってると、快く返事してくれる瞬間が来るんですよ。そういうのも楽しかったです。
――認知症の方だと、新しく関わる人への拒否感が強い人もいると思います。そういうときもなんとか振り向いてもらおう、と?
基本的にはそうです。ほかの人と比べたことがないので自分ではわかりませんが、だいぶ得意だったみたいです。事業所の先輩やご家族の方に褒められることはありました。それは普段、芸人の同期や先輩たちとのノリに囲まれてたから、自然に出てたのかもしれないですね。
――とはいえ、必ずしも明るくおしゃべりに徹すればいいわけではないですよね。
そうですね。だからその人が何を求めているのか、めちゃくちゃ見ます。受容の精神というんでしょうか。その人のすべてを受け入れて、どうしたらいいのか、相手によってひとりひとり対応を変える。これは今もすごく活きてますね。
僕はMCの仕事がめちゃくちゃ多くて、年間100本以上やってるんですが、共演相手が芸人じゃなくて、アイドルやアーティストの方だった場合「この人のどういうところをどうしたら盛り上げられるか」って考えるんです。それはすごく介護の仕事と似ていると思いますね。
――面白いです。そうやって人を見るときに、気を配るポイントってどんなところなんですか?
敬える部分と「ここに面白みがあるな」って部分に強めに着目してます。言語化するのが難しくて、本当はもっと細かくいろいろあるんですが、大きくはその2つですね。そこに触れながら相手の方を見ているかなぁ。
――最初に働いていたときの報告書の話もそうですが、相手や場をよく見て必要なことを読み取り、言葉にして流れを組み立てていくのは芸人さんの仕事に通じるところがあるんだなと思いました。ぁみさんは自身の心霊体験を周囲に話していたことがきっかけとなって怪談家として活動するようになったわけですが、怪談を語る際にも、その姿勢が活かされるところがありそうですね。
そうですね、全部つながっていると思います。
介護の仕事は「いかに相手のことを思いやれるか」だし、僕は怪談も「思いやり」だと思ってます。聞いている人ができるだけ想像しやすいように、まるで自分がその現場にいるかのように感じてもらうことで、より話を楽しんでもらえる。
どうやったらより良いケアプランにつなげられるか考えて、実践しながらまとめていく書類作りと同じようなところがありますね。それに怪談も、人の人生の一部を人間ドラマとしてしゃべるものですからね。やっぱり、利用者の方の時間をお預かりする介護と近いんですよね。
――介護のお仕事は「大変そう」と思われることも多いと思います。現場を知る身として、それはどう考えますか?
正直、現場で大変だと感じたことは一切ないです。ウンコを手のひらに乗せて「お食べ」って差し出されたこともありますけど「おもろいな」って思っちゃうんですよね。「ありがとう」って受け取って、マジックみたいに持つ手を入れ替えて、食べたフリをして楽しんでました。
言い方が難しいですけど、どんな仕事も好きでやっているかどうかでだいぶ違うと思うんです。何も知らない人は「大変だ」と思うだろうし、その気持ちはわかります。実際、もっと国がお金を投じて給料を上げてほしいとは僕も思います。
でも内容は、好きでやってる人間からしたら超楽しい仕事ですよ。もっとそれが伝わったらいいなと思います。僕は体が2つあったら、芸能も介護も両方やりたかったくらいですから。
▼YouTubeチャンネル【怪談ぁみ語】
撮影:八木虎造
1986年、神奈川県生まれ。編集者、ライター。月刊誌「サイゾー」編集部を経て、フリーランスに。編集書籍に『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』「HiGH&LOW THE FAN BOOK」など。
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