子どもが巣立ったタイミングで、これからの働き方や暮らし方をどうしていくのか、考える方は少なくないと思います。
一方で、50代・60代となるとキャリアの固定化や体力の低下によって選択肢が狭まり、若いときよりも「自分らしく」人生を楽しむことが難しくなる──と考えている方もいるかもしれません。
しかし、中には年齢を重ねても、これまでに携わってきた仕事や趣味とはまったく違う分野に軽やかに足を踏み出し、新しい挑戦を楽しんでいる人もいます。
50代で「スープ作家」の道を歩むことを決めた有賀薫さんは、まさにその一人。メーカー勤務やライターなどの仕事を経て「スープ作家」に転身した有賀さんは、レシピ執筆にとどまらず、新しい時代の料理や暮らしの提案を含む幅広い活動をされています。
今回はそんな有賀さんに、どのように考えて「自分のやりたいこと」を追求する生き方を選んだのかについて、お話をお聞きしました。(※取材はオンラインで実施しました)
──有賀さんが「スープ作家」としての活動を本格化されたのは、2016年ごろ、50代になられてからのことだったそうですね。
有賀薫さん(以下、有賀)
そうですね。もともとは息子の大学受験をサポートするために毎朝の日課として始めたスープづくりだったのですが、やり始めてみると、これまで家庭で主婦として料理をしていたのとはまったく違うクリエイティビティが刺激される感覚があったんです。
それを続けるうちに「スープ作家」という肩書きで本を出したいと思うようになって、2014年ごろからは出版社に掛け合ってみたり、スープの写真を使った展覧会をしたりと、すでにいろいろな活動を始めていました。
息子がまだ小さかった頃は家事と仕事と子育てで常にいっぱいいっぱいだったのですが……。息子が大学に入って独り立ちしてしまえば、親としては一応、やることがなくなるなと思って。
少し生活にゆとりができたこともあって、ここで自分のやってきたことを見直して、何か自分らしさを出せるような活動をしてみてもいいなと思ったんです。
──スープづくりで、これまでご家庭でつくっていた料理とは違うクリエイティビティを刺激されたというのは、具体的にはどういうことでしょうか?
有賀
家族のごはんを毎日つくっている方は分かるんじゃないかと思うのですが、食事づくりって本当にいろいろな制約があるわけです。時間とか経済的なこととか、家族の好き嫌いとか。
私はもともと料理が大好きなんですが、それでも、毎日仕事の合間に家族の料理を用意して片付けて……ということを繰り返しているとだんだんつらくなってくる。
そんな中で、朝のスープだけは毎日違うメニューにして、もう少し自由な発想でつくるようにしたら楽しいかもと思ったんです。
例えば「ほうれん草のポタージュ」のように、おいしいけれど和食の献立には少し組み込みづらいメニューも、朝の1杯としてならありだなと思って。
有賀
朝だけはいろいろな制限を取り払って好きなスープをつくることにしてみたら、「料理がすごく楽しい」と思える自分を取り戻せた感覚があったんです。
──そこから、料理をお仕事にしてみようと思われたわけですね。
有賀
料理の仕事の経験自体はまったくなかったんですが、いろんなスープをつくっていくうちに、手軽にできて失敗しにくいし、ひと鍋あるだけで食事づくりがちょっと楽になるというスープの良さを生活の中で実感していたんです。
つくったスープのレシピをSNSで紹介していたら、それを見た人たちが「すごいね」とか「仕事にしてほしい」と言ってくれるようになったこともあって。これは人の役に立てることかもしれないなと。
……でも、いま考えると、どうして急に「本を出せるかも」なんて考えたのかは全然分からないんです。その時点で毎朝のスープづくりは2年くらい続けていたので、レシピも600くらい貯まっていたし、自分のつくったものに後押しされるような感じだったのかもしれません。
──当時はどんなお仕事をなされていましたか?
有賀
メーカー勤務の後で、ライターとして働いていました。仕事でたまたま料理本をつくるお手伝いをさせていただいた経験もあったので、どんなふうにすれば本になるのかは、なんとなくイメージできたというのもありますね。
──一般的には、50代、60代と年齢を重ねていくと、仕事の第一線から離れる選択をされる方も少なくないように思います。有賀さんの場合は離れるどころか、まったく違うジャンルに飛び込んでいらっしゃるわけで、すごくアクティブですよね。
有賀
そう言われるとそうですよね。
ただ周りの友人を見ていても、仕事じゃなくても趣味的なことを始める人、これまでのキャリアとは違う新しい仕事・やってみたかった仕事に就く人がいます。子どもが手を離れるタイミングは、何かにチャレンジしてみるチャンスなのかもしれないですね。
私の場合は正直、こんなに忙しくなるとは思っていなかったんですよ! 50歳ごろからこの活動を始めたので、60歳ぐらいまではゆっくりと続けて、60歳になったらまた違うことでもやってみようかな、なんて漠然と思っていたんですが、とんでもなかったですね。
2冊目に出した料理本がありがたいことにとてもヒットして、それからは本当に忙しくなりました。みんなこんなにもスープを求めていたのか……とびっくりしましたね。
──パートナーの方と息子さんは、有賀さんのご活動にもともととても協力的だったとお聞きしています。お仕事がどんどん忙しくなっていく中でも、それは変わらずでしたか?
有賀
夫と息子は私が「自由人」だということを分かってくれているんじゃないかと思います。
実は、私はここ10年くらいはずっとスープをつくっているけれど、その前の10年くらいは絵にハマっていたんです。息子が小学校に上がった頃、少しだけ時間ができたのをきっかけに近所の絵画教室の体験に行ってみたら、楽し過ぎて絵を描くのが大好きになってしまって。
当時は朝から晩まで絵を描いていたので、そのときも、家族はたぶん「この人は何かを始めるとこうなっちゃうんだ」と感じていたと思います(笑)。
──でも、何かに没頭する有賀さんをお二人とも見守ってくれているんですね。
有賀
家事に対してものすごく協力的な家族、というわけでもないんですが、寛容だとは思いますね。
──息子さんが独り立ちしてからは、ご夫婦で二人暮らしをされているんですよね。パートナーの方とは普段、コミュニケーションは頻繁に取られますか?
有賀
コロナの影響で夫がリモートワークになったこともあって、会話はすごく増えましたね。もともと夫には、仕事についての相談もよくするんです。
課題や悩みに対してすごくクリアに「こうしたらどう?」とアイデアをくれるので、パートナーでもあって良きメンターでもある人ですね。
──二人暮らしになったことを機に、これからの老後を見据えたお互いの生き方や暮らし方についてお話しをされたりもしましたか?
有賀
いや、それがほとんど話していないんですよね……。夫はこの3月で仕事をリタイアするんですが、この先どうしたいかとか全然言ってくれないタイプなんです。新しいことを始めるにしても淡々とやりたいというか、これまでと地続きの生活を望んでいるのかもしれないですね。
あるいは、私がこうやっていろいろなことを好き勝手やっているのが、もしかしたら夫の人生にとっての変化になっているのかもしれない(笑)。
でも、これまでは二人とも働いていたから平日に夫婦でどこか行くみたいなこともできなかったので、ちょっとした旅行なんかもできるようになるかもと思うとワクワクしますね。
──それは楽しみですね。二人暮らしになるタイミングで、ご自宅のリノベーションをされて、暮らし方をコンパクトにする工夫を実践されたとお聞きしています。
有賀
収納具をまず減らそうと思って、大きな食器棚とタンス2棹(さお)を捨てたんです。食器も洋服も入れられる場所がぐっと減ったので、それに合わせて物を一度大幅に捨てました。
とにかく「重くて二人で運べない家具はもう捨てようよ」というのは話しましたね。
──それは例えば、お二人のどちらかがご病気になったり、お体が不自由になったときのことを考えての選択でしょうか?
有賀
具体的に病気や介護を見据えてというわけではないのですが、やっぱり50、60歳を超えると体力もなくなってきて、重いタンスの引き出しを開け閉めすることも意外と負担になるんですよね。そういうことをなるべく減らして、合理的にしていきたいと思って。
生活を少し軽くするということは、ここ3年くらい、料理を含むいろいろな面でも意識するようになりました。
──物を減らしたり大量に捨てたりとなると、生活も大きく変わりそうです。そこは話し合って、お互い賛成の上でだったのでしょうか?
有賀
夫は私と違って、物をどんどん増やしていきたいタイプなんですよ。だけどあまりにも物が多かったのでさすがに少しは減らしたいと思って。
一度、全ての衣類を床に並べて「この中からいるものといらないものを分けて」と伝えたんです。そうしたらこんなにあったのかと驚いたのか、だいぶ捨ててくれました(笑)。
──確かに、ご夫婦で暮らしを変えようと思ったら、まずは現状を可視化する、というのは大切かもしれませんね。
有賀
そうですね。家事にしても同じで、担当している人にしか課題の全貌が見えていない、ということがあると思うんですよ。
例えば、私は年末になると、トイレに貼ってあるカレンダーに「玄関」とか「ベランダ」とか「換気扇」とか書き入れるようにしているんです。それは大掃除をする場所のリストなんですが……。
自分が掃除を終えたところにチェックを入れるようにしていると、あるときから私が掃除していないところにもチェックが入っていたりする(笑)。
そういうふうに、見えていないものを可視化することはまず必要かもしれないですね。
──年配の方の場合は、そもそも家事のやり方や順番が分からない、という人もいそうですものね……。
有賀
家事に関しては、体系化されているようでされていない部分も多いと思うんです。だから、単に「やってよ」と言うだけでは伝わらないこともある。まずはそういうことを一つひとつ見せて共有していく、というのも大事なのかなと思いますね。
一人と二人の差って、思っているよりもずっと大きいんですよ。一人でやっているところに誰かがぱっと入ってくればそれで済む、ということではなく、まずは一人が持っている複雑なものを解きほぐして、それを二つに分けた上でそれぞれが持つ、という作業が必要になる。
それが「二人でやる」ということなのかなと思います。
──お話をお聞きしていると、有賀さんは50代以降をとてもポジティブで活動的に過ごされている印象です。仕事や生活を前向きに続けるために、日ごろから意識していることなどはありますか?
有賀
マインド面で特に意識していることはないんですが、私の場合はやっぱり何かを「つくる」ことがとても好きなので、とにかくそれをやり続けたいとは思っていますね。
ただ、自分の年代やライフスタイルに合った方法でものづくりを続けたいと考えると、料理家というのはすごく体力のいる仕事なので、この先、仮に体が動かなくなってきたりしたら、もうちょっと違うかたちになってくるかもしれないと思うこともあります。
たぶん、自分がどう生きたいかとか、自分が何をしていたらごきげんでいられるかというのが、ある程度はっきりしているんでしょうね。自分の「ごきげんポイント」さえ押さえられていれば、あとはなんでもいいやって思っているのかもしれない。
──やりたいことの一点さえクリアできていればあとはなんでもいい、という考え方は、すごくヘルシーな気がします。
有賀
年を重ねるとできないことが増えると感じる方も多いと思うんですが、単に自分の周りの環境が変わるだけだと私は思うんです。
例えば、学生のときや手のかかる年齢の子どもがいるときにもできないことはあるけれど、逆にそのときだからこそできることもある。仕事をリタイアする頃には体力は少し減っているかもしれないけれど、その分、時間ができて平日に街歩きしたりもできるわけですし。
そのときどきに応じて、自分がやりたいこと、今できることというのはいろいろあるんじゃないかと思います。
──そうですよね。ただ、有賀さんのおっしゃる「ごきげんポイント」が自分で分からない、という人もいると思います。自分が何をしていたらごきげんでいられるか、年を重ねて自分がどう生きたいかを知るためには、どうすればいいと思いますか?
有賀
どこかで一度、自分がこれまでにやってきたことを振り返る機会があるといいですよね。
実は私はこの前、友人が主催しているキャリア系のセミナーに参加してきたんです。その中で、自分のこれまでの人生をマップにして振り返るという一幕があったんですが、私もその振り返りを通して自分がずっと何を好きだったかに気付けたような気がします。
──なるほど。確かに、自分がこれまでどんなことに没頭してきたかって、あらためて振り返らないと忘れてしまいがちですね。
有賀
そうですよね。私も昔は「このまま子育てと家事ばっかりして一生が終わっちゃうのかな……」みたいなこともよく考えていたし、好きなことがコロコロ変わる自分にも悩んでいたんです。
同じ料理家さんの中には、若いときからずっとこの仕事一筋でキャリアを積み上げてきたという方がときどきいらっしゃって、私はずっとそういう方に憧れていたんですね。でも結局、子育てとか他の趣味とかいろいろなことに気が散って、全然そういうふうにはなれないなと思って。
──有賀さんがキャリア面でそのように悩まれたことがあるというのは、正直少し意外でした。
有賀
何か一つの仕事を極めると評価されることっていまでもあると思うんですが、そういう意味では私のキャリアは一貫していないんです。
でも、自分らしく好きなことをするという点においては、振り返ってみたら意外とずっとやってきたのかな、とようやく思えたんですよね。
そういうふうに、子どもの頃に好きだったことやこれまでに没頭してきたもの、誰といるときに自分らしくいられたか……というのを思い返して、あらためて言語化してみるのは、自分のこれからしたいことを考える上でも効果的なんじゃないかな。
少なくとも50年とか60年生きてきてそれがまったく思い浮かばない、ということはないと思うので、どんな些細なことでもいいから、みなさんにもぜひ振り返ってみてほしいなと思いますね。
取材・構成:生湯葉シホ
編集:はてな編集部
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