サンドラ・ブロック-老後に効くハリウッドスターの名言(17)

誰だって歳をとる。もちろんハリウッドスターだって。

エンタメの最前線で、人はどう“老い”と向き合うのか?

スターの生き様を追って、そのヒントを見つけ出す。

「やるとなったらトコトンやらないと気が済まないの。私って体育会系だからネ」
――サンドラ・ブロック『スピード』のパンフレットより(1994年)

俳優休業を宣言したサンドラ・ブロック

ロマンティック・コメディの女王から全米の姉御になった彼女の、元気爆裂のキャリアを振り返る!

全米の姉御 サンドラ・ブロック

ハリウッドには     全米の姉御と呼ぶべきへ成り上がった女優人物がいる。サンドラ・ブロックだ。2022年現在で58歳になるが、彼女ほど元気いっぱいでキャリアを突っ走ってきた女優はいないし、姉御という言葉にあう人物はいないだろう。

サンドラの姉御は、90年代から2020年代に至るまで、ハリウッドの第一線で活躍を続けた。ささやかなトキメキを描くラブコメから、宇宙で大変なことになるアクション超大作まで、彼女は様々なジャンルの映画で全力投球を続け、気が付けばハリウッドで不動の地位を得た。しかし不思議なことに、彼女に近寄りがたさは微塵もない。正真正銘の大スターであるにも関わらず、親しみやすさがある。だからこそ姉御と呼びたくなるのだ。

そんなサンドラの姉御だが、2022年に俳優業をしばらく休むと宣言。現在は活動休止期間に入っている。今回はそれを一つの区切りと捉え、姉御が突っ走ってきた元気炸裂の足跡と、来たるべき未来について考えていきたい。

【10代~20代】稀代の元気っ子、ハリウッドへ行く

本名サンドラ・アネット・ブロック、1964年生まれ。父はボイストレーナーで、母はオペラ歌手という芸能一家だった。母はオペラ界では名の知れた人物で、とにかく忙しかったらしく、公演でアメリカとヨーロッパを往復しながら幼い姉御の面倒を見たという。そんなわけで姉御の遊び場は、もっぱら母のツアーの楽屋だった。

ドタバタしていたが、姉御にとっては楽しい日々だったらしく、当時をこんなふうに語っている。「舞台が私のベビーシッターだったの。母が出るオペラで、私も六歳のときからステージに上がっていたの」かくして6歳にして初舞台を踏んだ姉御は、その後も色々な役を演じた。さらにピアノを10年、クラシック・バレエを12年間に渡って習い、高校ではチアリーディング部に所属。本人に自覚はなかったと思われるが、大物に向けて仕上げている感のある青春だ(ちなみに若い頃の姉御の趣味は、ロック・クライミングと大工仕事である)。

度胸と身体能力に磨きをかける少女時代を経て、大学へ進学後に演劇部の門を叩いた。在学中に32の舞台をこなしつつ、文学士の称号を取って無事に大学もちゃんと卒業。そして女優を目指してニューヨークへ出る。演技の勉強をしながら、バイトをして、オーディションを受ける日々。いわゆる下積み時代だが、しかし姉御は「苦労というより、楽しい思い出ばかり」と振り返る。

舞台、テレビ、映画の助演……目の前の仕事に全力投球する日々が続いた。苦渋をなめたこともあったが、持ち前のガッツで確実に進み続ける。二十代の後半には映画で準主役を張る機会も得た。惚れ薬を巡るドタバタ劇『ラブ・ポーションNo.9』(1992年)では後に爆発するコメディの才能の片鱗を見せ、打って変わって失踪した女性を演じたサイコサスペンス『失踪』(1993年)、そしてリバー・フェニックスの遺作『愛と呼ばれるもの』(1993年)など、順調にキャリアを築いていった。

そんな仕事を片っ端から仕事を受けていたサンドラの姉御もとへ、とんでもない話が飛び込んでくる。あのシルベスター・スタローンと、ウェズリー・スナイプスの共演作『デモリションマン』(1993年)だ。「壊し屋(デモリションマン)」と呼ばれる鬼刑事スタローンと、極悪犯罪者スナイプスが冷凍保存されてしまい、目を覚ましたら36年後の未来になっていた。未来社会は犯罪や暴力が消えて平和ではあるが、そのせいで逆に人類全体が恐ろしく弱体化しており、警察官は犯罪者にどう接するかも忘れてしまっていた……という、コメディとアクションのバランスがちょうどいい快作だ。姉御のもとへ、この映画のヒロインに役が来たのである。

まさに大抜擢だが、こういう話には裏があるもの。実はこの映画のヒロイン役は本来、別の女優さんの予定だった。しかし撮影直前 でその女優さんが降板してしまい、同作のプロデューサーであるジョエル・シルバーが頭を抱えていると、たまたま彼の近くで姉御のロック・クライミング友達が働いていて、「代役を探しているなら、サンドラを使うべきだ」と推したという。そして撮影開始の三日前に、姉御は同作のヒロイン役に決定した。当時の突貫具合を本人はこう振り返っている。「出演依頼の電話がかかってきたとき、私はバスルームのペンキ塗りをしていたのよ。それが二時間後にはジョエルのオフィスにいて、さらに十五分後にはカメラの前に立っていたんだから、ホント、自分でも驚いちゃった」

初のアクション映画、共演はコクしかない2人、おまけに撮影の準備時間はロクにない。かなり厳しい現場だが、姉御は幾多の現場で 培った技術と経験、6歳の頃から舞台に立っていた度胸を存分に発揮。スタさん とスナイプスに勝るとも劣らない存在感を発揮し、同作を成功へと導いた。

続いてノンストップアクションの金字塔『スピード』(1994年)では、キアヌ・リーヴスと共演、爆弾を仕掛けられたバスに偶然乗り合わせた女性を好演した。同作は大ヒットして、姉御はスターの仲間入りを果たす。かくして立て続けにアクション映画でヒロインを飾った姉御だったが、30代に突入すると、明確に一つのジャンルへ活躍の場を移す。それはラブコメ映画だった。

【30~40代】やれんのか! ラブコメ映画100人組手!

世の中には「〇〇の映画」という概念がある。たとえば『燃えよドラゴン』(1973年)を語るとき、ほとんどの人は「ブルース・リーの映画」だと語り、監督である「ロバート・クローズの映画」と語る人は少ないはずだ。近年でいえば『トップガン マーヴェリック』(2022年)は「トム・クルーズの映画」である。30~40代の姉御は、こうした意味での「サンドラ・ブロックの映画」をモノにしようとしていたように思う。その主戦場として姉御が選んだのがラブコメディだった。

『デモリションマン』と『スピード』の大ヒットを受けて、姉御のもとへ大型企画が次々と舞い込んできた。中には『バットマン フォーエヴァー』(1995年)もあったというが、姉御はそれらを断って、1本のラブコメ映画に出演する。『あなたが寝てる間に…』(1995年)だ。

ここで姉御が演じるのは、ごくごく平凡な駅員である。ほのかな恋心を抱いていた駅の利用客の男性が、トラブルから線路に落下。とっさに身を挺して男性を助けるが、憧れの彼は昏睡状態に陥ってしまう。病院につきそうが、事態が事態だけにパニック状態になっており、「この男との関係は?」との問いかけに思わず「婚約者です」と大嘘をついてしまう。すると男性の一家がそれを真に受けてしまい、おまけに憧れの彼の弟(ビル・プルマン)とイイ感じの関係になって……という、ちょっとしたウソが巻き起こす騒動を描いたハートフルなラブコメディだ。

出演を決めた経緯について、「脚本に惚れてしまったのよ。誰にも渡したくない役。私に近いキャラクターだし、ロマンスの発展にひねりがあるし、どの点を取っても、私ならベストをつくせると心が高揚してしまったの」と語っている。本作は姉御の初主演作となったが、見立ての通り大ヒット。さらに姉御は、ゴールデングローブ賞 主演女優賞にもノミネートされた。

その後も『ザ・インターネット』(1995年)や『評決のとき』(1996年)といったサスペンスにも出演し、順調に活躍を続けるが……ハリウッド名物の大ゴケも経験。色んな意味で悪名高い『スピード2』(1997年)である。前回のバスから巨大客船に舞台を移し、ここ日本では小室哲哉の全米デビュー曲『SPEED TK RE-MIX』まで作られるなど、鳴り物入り制作されたものの、ふたを開けてみると映画は大ゴケ。しかし、同作には姉御の非常に好感が持てるエピソードが残っている。

現在、姉御は『スピード2』を失敗作だったと断言している。とあるインタビューでも「出演したことが恥ずかしかった映画はあるか?」と尋ねられたとき「それは『スピード2』ってタイトルのやつよ。この作品についてははっきり言ってきた。意味がわからない。遅いボートの話。島に向かってゆっくり進んでいくんだよ」と即答した。

ここまで言うということは、撮影時点でも中身がヤバいと分かっていそうなものだが……当時の姉御のインタビューを読むと、出演経緯について「ブロンドで脚の長い美女を求めるスタジオ側を説得して“そうじゃない私”を起用し、サンドラ・ブロックに現在のキャリアをもたらしてくれたヤン・デ・ボン監督への“感謝”“信頼”からね」と     語っている。恩人のために、あえて火中の栗を拾う。まさに仁義であり、姉御が姉御たるゆえんだ。

手痛い失敗を経験しながらも、90年代後半からサンドラの姉御はプロデューサー業でも精力的に活動しつつ、大量のラブコメ映画に出続けた。『恋は嵐のように』(1999年)、『ガンシャイ』(2000年)、『トゥーウィーク・ノーティス』(2002年)……共演相手はベン・アフレック(後のバットマン)、リーアム・ニーソン (後に『96時間』で大暴れ)、ヒュー・グラント(イギリスを代表するラブコメ映画の帝王)など、大物実力派俳優ばかりだが、姉御はどの映画も手堅くヒットさせた。

その一方で、ガサツな女捜査官が潜入捜査のためにミスコンに参加するコメディ『デンジャラス・ビューティー』(2000年)が主演兼プロデューサーとして大ヒットさせ、単独主演作でもイケるところを見せる。

こうして40代を迎える頃には「サンドラ・ブロックの映画」というジャンルが形成されていった。明るくて元気いっぱいな(しかしちょっと抜けている)サンドラの姉御が、何かしら落ち込むことがあるけれど、持ち前の度胸と周囲のサポートで何とか幸せな未来を勝ち取る……ある意味での「型」が出来上がってきたのだ。そんな型が完成する頃には、姉御はラブコメの女王というアダ名を勝ち取っていた。一つのジャンルを制覇した姉御は、40代にしてさらなる飛躍を遂げる。

【40~50代】全米の姉御となった日

2000年代の半ばになると、徐々に姉御はシリアスな作品への出演が目立つようになる。人種差別をテーマにした群像劇『クラッシュ』(2005年)は、同年のアカデミー賞レースの目玉となった。ここで姉御はアンサンブルキャストの1人として、目立ち過ぎず、けれどシッカリと脇を固めている。実話をもとにした『しあわせの隠れ場所』(2009年)では、遂にアカデミー賞の主演女優賞を獲得。もちろんラブコメ出演も忘れず、『あなたは私の婿になる』(2009年)は邦題の力強さもあって大いに話題となった。

硬軟自在の演技を身に着けたサンドラの姉御が、満を持して挑んだのがSF映画の金字塔『ゼロ・グラビティ』(2013年)だ。宇宙ステーションで事故が起き、姉御とジョージ・クルーニー演じる2人が宇宙空間に投げ出されてしまう。文字通り無限の暗闇である宇宙で、なんとかして生き残ろうと2人は奮闘するが……。そんなシンプル極まりない物語なうえ、さらに途中から映画は姉御の一人芝居となる。本人も「何もかもが大変だった」と語っていたが、最新の技術を使ったド迫力かつリアルな映像と、絶望しかない状況の中で、ド根性で地球帰還を目指す姉御の演技は全世界で絶賛され、本作はSF映画、ひいてはパニック映画の歴史に残る傑作となった(この映画以降、1人きりで絶望的な環境をサバイバルする作品が爆発的に増えた)。

かくしてファイト一発ド根性サバイバルの傑作をモノにしたサンドラの姉御は、返す刀でスタイリッシュな犯罪映画『オーシャンズ8』(2018年)に主演。カリスマ泥棒が華麗なテクニックでお宝を盗み出す『オーシャンズ11』シリーズの女性版だ。

『オーシャンズ』といえばオールスター映画であるが、同作に集結したのはジョージ・クルーニー版を超える多彩なキャストだった。『エリザベス』(1998年)のケイト・ブランシェット、『プラダを着た悪魔』(2005年)のアン・ハサウェイ、TVドラマ界で引っ張りだこのサラ・ポールソン、コメディ畑を代表してミンディ・カリング、女優・ラッパー・脚本家とマルチに活躍する才人オークワフィナ、さらに性格俳優ヘレナ・ボラム=カーター、そして極めつけは歌姫のリアーナ……。各界を代表する     とんでもないメンバーが集ったが、姉御はこのメンツを引っ張る怪盗役を堂々と演じ切り、同作はスマッシュヒット。このとき、まさしくサンドラ・ブロックは全米の姉御になったのである。

その後もNetflixオリジナル作品『バードボックス』(2018年)や『消えない罪』(2021年)といったシリアスな作品に出演しつつ、久しぶりのラブコメ『ザ・ロストシティ』(2022年)で水を得た魚のような好演を披露。姉御が演じるスランプ気味の作家が狂った富豪に拉致されて、ジャングルで宝探しをする羽目に。彼女を慕う見た目がイイだけが取り柄のモデル(チャニング・テイタム)がジャングルへ助けに向かうが……という、あらすじからしてコメディ爆裂の1本で、2人のズンドコ冒険譚が最高な1本だ。スパンコールがついたピンクのドレス姿でジャングルをえっちらおっちら歩き回る姉御は、ひとり吉本新喜劇状態。それでいて、実は「ラブコメ」というジャンルそのものへの愛に溢れており、最後にはちょっとホロっと来るので恐ろしい。

まだまだサンドラの姉御は止まらない……かと思いきや、2022年、姉御は当面の俳優活動休止宣言を出した。曰く「(中略)私は燃え尽きてしまいました。自分以外の誰かのスケジュールに気兼ねしたくないのです。疲れ切ってしまい、ヘルシーでスマートな決断ができないのがわかったのです」    

「燃え尽きた」という発言。さらに復帰の予定は未定だが……不思議と私は、あまり心配していない。何故ならコレはサンドラの姉御の話だからだ。スパッと休んで、また戻ってくるに違いない。     というのも、実はかなり前から仕事よりも子どもを大事にしたいと語っていたからだ。姉御は2人の養子を迎えており、ずっと子育てに追われながらの仕事をしていた。今回の休業は、大切な2人の子どもとの時間を作るためだとしている。

それでは最後は、サンドラの姉御の家庭との向き合い方を引用して終わろう。姉御のハンパを許さない姿勢は、子育てに対しても一貫している。仕事でもプライベートでも、決してハンパな真似をしないのが姉御のやり方である。子育てが一区切りついたら、姉御は必ず戻ってくるだろう。いちファンとしては、確実にやってくるその日を楽しみに待ちたい。

「『次はどんな映画をやりたいですか?』とよく聞かれるけれど、その答えはない。
今の私は、お弁当の用意や学校の行事などで頭がいっぱいだから。
それでも、もし何か素敵なプロジェクトが突然現れて私を驚かせてくれるようなことがあれば、大歓迎よ」

 ――『サンドラ・ブロック、今の最優先は育児 素敵なプロジェクトは「大歓迎」』
クランクイン! 2018年インタビューより

『老後に効くハリウッドスターの名言』が、内容をバージョンアップして書籍化!
2022年7月21日発売

▽参考・引用元

・『キネマ旬報』

1992年2月上旬号 1997年9月下旬号 1995年12月上旬号 1994年3月上旬号

・『デモリションマン』パンフレット

・『スピード』パンフレット

・『ゼロ・グラビティ』パンフレット

・『オーシャンズ8』パンフレット

・『デラックスカラー シネマアルバム サンドラ・ブロック』(1997年 芳賀書店)

「燃え尽きた」サンドラ・ブロック、女優業を無期休業へ

サンドラ・ブロック、今の最優先は育児 素敵なプロジェクトは「大歓迎」

イラスト/もりいくすお

300年続く日本のエンターテインメント「忠臣蔵」のマニア。

加藤よしき
加藤よしき

昼は通勤、夜は自宅で映画に関してあれこれ書く兼業ライター。主な寄稿先はweb媒体ですと「リアルサウンド映画部」「シネマトゥデイ」、紙媒体は「映画秘宝」本誌と別冊(洋泉社)、「想像以上のマネーとパワーと愛と夢で幸福になる、拳突き上げて声高らかに叫べHiGH&LOWへの愛と情熱、そしてHIROさんの本気(マジ)を本気で考察する本」(サイゾー)など。ちなみに昼はゲームのシナリオを書くお仕事をしています。

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