誰だって歳をとる。もちろんハリウッドスターだって。
エンタメの最前線で、人はどう“老い”と向き合うのか?
スターの生き様を追って、そのヒントを見つけ出す。
「あまりにパワフルなストーリーと役を得たため
『シンドラー〜』のあとは、かなり長いこと身も心も空っぽになってしまった。
脚本がどっさりと届けられたが、
どれもちっぽけで、くだらない内容ばかりに思えてしまう」
――『キネマ旬報』 1995年6月下旬号
今や鉄拳制裁の代名詞となったリーアム・ニーソン。
深刻な燃え尽き症候群を乗り越え、中年でブレイクした男。
その奇妙なキャリアを振り返る!
「老いてなお盛ん」なる言葉があるが、「老いてから盛ん」というパターンもある。リーアム・ニーソンの人生は、まさに老いてから盛んだ。
彼は今年(2021年)、御年69歳。そのキャリアは、きら星のごとき傑作に溢れている。スティーブン・スピルバーグ渾身の傑作『シンドラーのリスト』(1993年)で主演を任され、『マイケル・コリンズ』(1996年)ではヴェネツィア国際映画祭で最優秀主演男優賞を受賞。まさに名優と呼ぶにふさわしい。
その一方『96時間』(2008年)で人身売買組織を壊滅させる元・特殊工作員を演じ、アクションスターとして大ブレイク。近年では主に人を殴る役で私たちを熱狂させている。
これまでニーソンが歩んできた道を見直すと、人生の難しさが詰まっている。人生は思い通りにならない。転機は突然に訪れる。楽しいことも悲しいことも、本人が予想しない形でやってくる。しかし、それでも人生は続くのだ。
今回は現在進行形で転がり続ける彼の奇妙なキャリアと、人生の難しさ、楽しさについて考えていきたい。
1952年、北アイルランドでニーソンは産まれた。幼いニーソンがまず触れたのは、演技ではなくボクシングだったという。9歳から17歳までボクシングに打ち込み、アマチュアボクサーとして活躍した。
191cmの長身、抜群の運動神経、整った顔立ち、俳優を目指すには十分すぎるポテンシャルを持っていたニーソン。しかし10代から20代にかけて、彼はモラトリアム(社会的アイデンティティーを確立するまでの準備期間)にあった。
演技の道を目指して大学を中退したニーソンは、ギネスビールの工場でフォークリフトを操縦したりトラック運転手をしたり、職を転々とする。(この連載で取り上げる人、やたら大学を中退するなぁ)
その後24歳の時に初舞台に上がり、これを機に本格的に俳優として活動を始めたニーソン。長身と甘いマスク、確かな演技力から舞台の世界で話題になると、映画業界からも声がかかるようになった。ニーソンは映画・演劇の両方で、活動の幅を順調に広げてゆく。
かくしてブレイクの時を待つニーソンだったが、その時は全く来る気配がしなかった。というより、そもそも本人がブレイクを望んでいなかったように思う。
彼は、以前連載で取り上げたトム・クルーズのような「ビッグになってやる!」という野心家タイプではない。そしてスタローンのように食うに困っていたわけでもなく、ウィル・スミスやブラッド・ピットのようなアイドル的ブレイクの仕方もしなかった。
いわば堅実な職業俳優として、そこそこの成功を収めていたのだ。
80~90年代の映画を見ていると、話題作の脇を固めている彼を確認できる。
たとえばロバート・デ・ニーロやジェレミー・アイアンズがメインを務める『ミッション』(1986年)への出演。さらに『ダーティハリー5』(1988年)では、クリント・イーストウッドや伝説のロックバンドGUNS N’ ROSESと共演している。
出演作品の振れ幅からも分かるように、当時のニーソンの立ち位置は、わりと何でも出てくれる名脇役だろう。つまり「俺が、俺が」ではないのだ。
こうした本人の姿勢は、初主演作にして今なおカルト的な人気を持つヒーロー映画『ダークマン』(1990年)でも窺い知れる。初めての大作での主演にも関わらず、多くの場面で顔をマスクで覆っているのだ。普通ならもっと顔を売りたいと思いそうなものだが、この謙虚さが何ともニーソンである。
『ダークマン』は興行的・批評的にも成功を収めるが、残念ながらニーソン自身の決定的なブレイクには至らなかった。
40歳を迎える頃、ニーソンはある映画のオーディションを受ける。スティーブン・スピルバーグの『シンドラーのリスト』(1993年)だ。
当時のスピルバーグは、すでに数々の傑作を手がけていたが、一方で「ドラマが弱い」との批判が付きまとっていた。そんな疑問の声を吹き飛ばすがごとく、スピルバーグは構想10年に及ぶ渾身の企画として『シンドラーのリスト』に挑んだのだ。
同作はナチスからユダヤ人を助けるべく行動した実在の人物、オスカー・シンドラーを描いたヒューマンドラマである。自身もユダヤ系であるスピルバーグにとって、この企画はまさに映画人生を懸けた一本であった。
その主演にリーアム・ニーソンが抜擢されたのである。ニーソンは全力で期待に応え、同作のパンフレットによればスピルバーグに「カリスマ性といい、セックス・アピールといい、彼はシンドラーのスピリッツをすべて備えている」と言わしめる熱演を披露。映画は大成功に終わり、パンフレットにはクリントン大統領のコメントが載るほどの評価を得た。
この成功によって、ニーソンは一気に主演級の大スターへと出世する。演じる役も『シンドラー〜』に近いものが増えていった。人々を導き、助ける、カリスマ性のあるリーダーや師匠の役だ。
『ロブ・ロイ ロマンに生きた男』(1995年)、『マイケル・コリンズ』(1996年)などの実在の偉人モノや、遂には『スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス』(1999年)にジェダイマスター、クワイ=ガン・ジン役で出演した。
かくしてMr.師匠としてブレイクしたニーソンだったが、実は彼の中にはある思いがあった。それは『シンドラー〜』での完全燃焼感である。『ロブ・ロイ〜』の来日インタビューで、ニーソンは冒頭のように語ったのだ。それは映画の歴史に名を残すほどの大仕事を成し遂げたゆえの、いわば燃え尽き症候群だった。
やがて2000年代に突入すると、さすがに『シンドラー〜』効果も薄れてきたのか、ニーソンは昔のように助演や小規模映画への出演を増やしていく。
冒頭で強烈な印象を残して退場する『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002年)や、ロマコメの名作『ラブ・アクチュアリー』(2003年)。『バットマン・ビギンズ』(2005年)では、アメコミ映画にも進出した。
『愛についてのキンゼイ・レポート』(2004年)で来日した際のインタビューでは、彼の生真面目さが窺い知れるエピソードも。同作での来日インタビューに立ち会ったキネマ旬報の記事によると、喉を傷めて声が出ないにも関わらず、わざわざ拡声器を使って応じてくれたという。
燃え尽き症候群を覚えていたニーソンだったが、全力で仕事を続けることで、それを克服したのである。
こうしてブレイクも落ち着いてきた時、ニーソンにあるアクション映画の脚本が届いた。ニーソンは主演で、あらすじはこうだ。元特殊工作員の中年男性が、フランスで娘を人身売買組織に拉致され、ブチギレてパリに殴り込み、逆に人身売買組織を壊滅させてしまう。
脚本を読み終えると、ニーソンは思った。「これはビデオスルーになるだろうな。ヨーロッパのちょっとしたスリラー映画ということで、フランスで数週間上映する分には良さそうだけど、それからはビデオスルーだろう」。
そんな軽い気持ちで主演した『96時間』だったが、これが全米No.1に輝き、世界中で大ヒットしてしまう。
『ジョジョの奇妙な冒険』で知られる荒木飛呂彦先生が「開始五分で泣かせる」と絶賛するなど、日本でも熱心なファンを獲得。『シンドラー〜』が霞むほど、ニーソンの新たな代表作となった。五十路にして、アクションスターとしてブレイクしてしまったのだ。
しかし2009年に、ニーソンを不幸が襲う。妻のナターシャ・リチャードソンが、事故で脳死状態に陥ってしまったのだ。そしてニーソンは、生前にナターシャと交わした約束に従って、彼女の生命維持装置を外した。
突然の悲劇的な別離……。その悲しみを乗り越えるために、ニーソンはとにかく映画に出まくった。ニーソン自身も「逃げることで、私は生き延びたのさ。そう、仕事に逃げたってわけだ」と、この頃を振り返っている。
2010年代になると、ニーソンはさらに仕事の幅を広げた。アクション、コメディ、ファンタジー、サスペンス、ナレーション……その中でも特にアクションがニーソンにハマった。若き日にボクシングに打ち込んだ過去が、ここに来て活きたのだ。
191㎝の長身から振り下ろされるニーソンの鉄拳制裁は、今も世界を熱狂させ続けている。その証拠に、2010年代の半ばから現在(2021年)に至るまで、ニーソンが暴力で揉め事を解決する主演映画が、だいたい1年に1本のペースで作られてきた。
特にジャウム・コレット=セラ監督とのコラボ作は充実している。『フライト・ゲーム』(2014年)、『ラン・オールナイト』(2015年)、『トレイン・ミッション』(2018年)の3作は、ニーソンの確かな演技力とパワフルなアクションが楽しめる快作だ。
2021年現在69歳のニーソンだが、相変わらずアクション映画の主演作が何作も控えている。あまりにもアクション映画に出すぎたせいで、もはや「ニーソン映画」という一ジャンルを形成しているように思う。かつてのシンドラーは、第二のスティーブン・セガールと化したのだ。
もっとも、その合間を縫うように遠藤周作の同名小説の映画版『沈黙 -サイレンス-』(2016年)に出演するのが、さすがニーソンなわけだが。
ニーソンのキャリアを見ていくと、本当に人生は何が起きるか分からないと痛感する。嬉しいことも悲しいことも、こっちの都合なんて考えずにやってくるのだ。
しかしニーソンは常に真摯に仕事に向き合っている。だからこそ急にやってきたチャンスを自分の物にできるし、不幸を乗り越えることができたのだ。
もし『96時間』の時、ビデオスルーだろうと手を抜いていたら、果たして今の成功はあっただろうか?
現場でも謙虚に振る舞うことを心がけていると語ったことからも、きっとニーソンの仕事に向ける情熱は、脇役を演じていた駆け出しの頃から変わらないのだろう。(逆に自分がスターという自覚に欠けるため、時おり失言が目立つのだが……)
最後は、比較的最近のニーソンの言葉を引用して終わろう。
『トレイン・ミッション』での来日時、彼はこんなふうに語っている。かつてどの脚本を読んでも「どれもちっぽけで、くだらない内容ばかりに思えてしまう」とまで公言していた男は、今やこんなに軽やかに仕事を楽しんでいるのだ。
何事も続けていれば楽しみ方が分かるもの。まさに「継続は力なり」である。
「こういうスリラーは劇場を出て家に帰り一息ついて、冷蔵庫の扉を開けた瞬間
『待てよ、あれは一体?』と後から疑問が湧いてくるシーンがあるものだ(笑)」
――2018年 SCREEN 6月号
「『トレイン・ミッション』リーアム・ニーソン インタビューより」
▽参考資料
・『キネマ旬報』 1994年3月上旬号、1995年6月下旬号、2005年9月上旬号
・『SCREEN』 2018年6月号
・『荒木飛呂彦の超偏愛! 映画の掟』
(2013年 荒木飛呂彦 集英社)
・『シンドラーのリスト』劇場パンフレット
・『THE GREY 凍える太陽』リーアム・ニーソン インタビュー
https://www.moviecollection.jp/interview/25728/
・リーアム・ニーソン “熟年アクションスター”を生んだ悲しすぎる妻との死別
https://www.excite.co.jp/news/article/Techinsight_20170922_423798/
・リーアム・ニーソン、『96時間』は当初「ビデオスルーになると思ってた」
https://theriver.jp/liam-taken-straight-to-video/
300年続く日本のエンターテインメント「忠臣蔵」のマニア。
昼は通勤、夜は自宅で映画に関してあれこれ書く兼業ライター。主な寄稿先はweb媒体ですと「リアルサウンド映画部」「シネマトゥデイ」、紙媒体は「映画秘宝」本誌と別冊(洋泉社)、「想像以上のマネーとパワーと愛と夢で幸福になる、拳突き上げて声高らかに叫べHiGH&LOWへの愛と情熱、そしてHIROさんの本気(マジ)を本気で考察する本」(サイゾー)など。ちなみに昼はゲームのシナリオを書くお仕事をしています。
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