誰だって歳をとる。もちろんハリウッドスターだって。
エンタメの最前線で、人はどう“老い”と向き合うのか?
スターの生き様を追って、そのヒントを見つけ出す。
「重要とされる映画だけを選んで、心を狭めたり見栄を張ったりしたくないんだ。もちろん『リービング・ラスベガス』も重要だけど、『スーパーマン』だって価値があると信じてる。価値観の問題だと思うんだ」
――『ニコラス・ケイジ ハリウッドの野性』
(2000年 ブライアン・Jロブ著 志摩千歳・松本貴子 訳より引用)
ハリウッドきっての怪優にして、
決してブレない男、ニコラス・ケイジ!
その奇妙かつ堂々たる足跡を振り返る!
「怪優」……ニコラス・ケイジという男を一言で表現するなら、これに尽きるだろう。それは単にエキセントリックな役を多く演じているからではない。決して平たんではない人生を、常人なら己を曲げることで乗り切るであろう局面を、常にゴーイング・マイ・ウェイの姿勢を崩さずに乗り切ってきた人間離れした精神的な強さ、一種の怪物性ゆえだ。
何が起きてもニコケイはブレない。彼が身を置くハリウッドも変化を続けているが……しかし、それでもニコケイは常にニコケイなのだ。この世に生れ落ちたときから、ニコケイのスタンスは変わっていない。
今回はハリウッドきっての怪優の人生を振り返りながら、老いについて考えてゆきたい。特殊すぎて恐らく今まで1番参考にならないが、知っておいて損はないはずだ。人間、こういう生き方もあるのである。
1964年、ニコラス・ケイジことニコラス・キム・コッポラは、この世に生を受けた。ちなみに『ゴッドファーザー』(1972年)や『地獄の黙示録』(1979年)で知られる巨匠フランシス・フォード・コッポラ監督は、彼の叔父にあたる。こう書くと恵まれているように思えるが、彼の家庭は決して円満ではなかった。両親は幼いニコラスの前で衝突を繰り返した。ニコラスは家庭に居場所をなくし、テレビ・映画・漫画と言った空想の世界に没頭し、“ごっこ遊び”に夢中になる。
そんな空想の世界に浸る少年時代、ニコラスの人生を一変させる出来事が起きた。小学校でイジメを受け、激怒したニコラスは……なんと変装して“ニコラスの怖い従兄”になりきり「今度ニコラスを手を出したらシメるぞ!」とイジメっ子たちを脅したのである。後年、彼自身も「演技して自分自身を変える、という初めての経験だった。僕はこのことで、自分が演技できる能力を持っているってことを知ったんだ」と振り返っているが、それはまさに役者としての出発点であった。
かくして演技の力でイジメを乗り越えたニコラスだったが、今度はアナーキーさに磨きがかかる。問題行動を繰り返して、小学校を次々と退学。さすがに父も心配して、ニコラスが高校生になる頃には、環境を変えようとビバリーヒルズの金持ち高校へ進学させる。しかし、これは全くの逆効果だった。金持ちの同級生がポルシェやフェラーリで登校するのに、ニコラスはバス通学。さらに同級生たちは、コッポラ監督の親戚なんだから金持ちなんじゃないの? と彼を煽りまくった(父オーガストとフランシスは仲が悪かった)。ニコラスのアナーキーさに拍車がかかり、プロム用に買った車で連日ブッ飛ばして、肝心のプロムを迎える前に車を破壊してしまうなど、文字通りの暴走を繰り返すのであった。
そんなとき、ニコラスは色々わけあって、フランシス・コッポラの家に滞在することになる。既に監督として名声を得ていたフランシスの家は、自分の家とは比較にならないほど豪華で、フランシスを慕う人々に溢れていた。叔父の成功と名声を実際に目にしたとき、彼は強烈な嫉妬と決意を抱く。
「その時、誓ったんだ。ロスアンゼルスで演技を学び、いつの日かサンフランシスコにヴィクトリア調の大邸宅を買うぞ、ってね。ただ残念だったのは、僕のその野心は復讐によってかきたてられていた、ってことだな」
決意を固めたニコラスは、演劇学校に通って本格的に俳優の道を歩み始める。
オーディションを乗り越えて業界に潜り込んだニコラスだったが、そこで待っていたのは、またしても鬱屈した日々だった。周囲はコッポラの甥という点にばかり注目して、共演者たちもコッポラの甥だから優遇されていると彼を敵視。ニコラス・コッポラとして『初体験/リッジモント・ハイ』(1982年)で脇役ながら映画デビューを飾るも、『地獄の黙示録』の名台詞「起きがけにナパーム弾の匂いを嗅ぐのは最高だ!」をもじって、「起きがけにニコラスの匂いを嗅ぐのは最高だ!」などと小学生レベルの悪口を言われることもあったという。いよいよコッポラを名乗ることに嫌気がさしたニコラスは改名を決意。子どもの頃から大好きだった漫画『ルーク・ケイジ』から芸名を拝借、俳優“ニコラス・ケイジ”として再出発するのだった。
かくして人生を仕切り直したニコケイだが、相変わらず仕事は安定しなかった。役作りで歯を抜いて臨んだ『バーディー』(1984年)、『アップタウン・ガール』(1983年)や『月を追いかけて』(1984年)といった映画で大きな役を得て、一定の評価を集めるものの、彼が求めたスターとしての大成功には遠かった。
やがてフランシス・フォード・コッポラの映画に呼ばれるが、ここでコッポラとニコケイのクリエイティブ・マインドが衝突事故を起こす。『ランブル・フィッシュ』(1983年)は脇役だったのでまだ良かったが、『コットンクラブ』(1984年)の現場ではトラブルが重なって進行が遅れ、ブチギレたニコケイがトレーラーハウスを破壊する。同じくコッポラ案件のタイムスリップもの『ペギー・スーの結婚』(1986年)では、大人と若者を演じるが、ここでニコケイは世代によって声色を変える実験的演技をブチ込んだ。共演者たちから白い目で見られ、主演のキャスリーン・ターナーはコッポラ監督に「ニコケイを降ろせ」と直訴する始末。公開された映画は好意的に評価されたものの、ニコケイの暴走演技は酷評された。
しかし本人は同作での酷評に対して「<美しい作品の中の唯一の汚点>とまで言われたよ」と認知しつつ、その悪評を糧にしていたという。いわく「当時の僕は、悪い評判を集めるくらいじゃなきゃ仕事をしたことにならない、なんて思ってた。今思えば、若くて傲慢だったんだ。偉大な俳優はたちはみんな、チャンスを手に入れるといつもこきおろされていた、だから自分も批評家にこきおろされるようなことをしなくちゃいけない、そうでなきゃいい仕事なんかできない、と思ってたんだよ。人々を怒らせるような映画を作りたい、ってね」何かが根本でズレている気もするが、しかし、このひねくれた発想は新たなチャンスをもたらす。
『ペギー・スーの結婚』で吹き荒れる酷評の中、巨匠コッポラの現場で好き放題に暴走するニコケイの演技に、何人かの大物が注目する。1人は、後にアメリカ映画界を代表する巨匠となるコーエン兄弟。もう1人は、数々の伝説を持つ歌姫シェールである。ニコケイは前者とは『赤ちゃん泥棒』、後者とは『月の輝く夜に』(どちらも1987年)でタッグを組む。どちらの役も突飛さがニコケイにピッタリとハマった。この2本は大成功に終わり、ニコケイはエキセントリックな役を得意とする「性格俳優」として確固たる地位を築く。
三十路を迎えたニコケイの運命を変える映画が生まれた。『リービング・ラスベガス』(1995年)、そして『ザ・ロック』(1996年)である
家族も仕事を失ったアルコール中毒の脚本家が、ラスベガスで出会った娼婦に「一緒にいて欲しい。だけど俺が酒を飲むのを止めるな」と頼み、死ぬまで酒を飲む。『リービング・ラスベガス』は、そんな悲しくて虚しい大人の物語だ。本作の主演を張るにあたり、ニコケイは過去の酒を扱った名作や、治療施設で専門医やアルコール中毒者に話を聞いて回って徹底した役作りを敢行。その演技は絶賛され、見事にアカデミー主演男優賞を受賞する。
ダウナーな大人の寓話で大成功を収めたニコケイだったが、次に彼が引き受けたのは全編アッパーな超大作アクション『ザ・ロック』だった。国からの不当な扱いに怒った兵士たちが細菌兵器を持ってアルカトラズ島に立て籠もり、アメリカ政府を脅迫。最悪の事態を回避するため、ショーン・コネリーとニコラス・ケイジが突撃する。
『リービング・ラスベガス』とは180度違う雰囲気の映画なうえ、予算も規模も比べものならない。おまけに撮影中にプロデューサーが酒とドラッグで死んでしまうなどのトラブルも続出。凄まじい修羅場にありながら、それでもニコケイはゴーイング・マイ・ウェイの姿勢を崩さなかった。
当初は「拳銃をぶっ放したいタイプの」武闘派なキャラクターだったが、「プライドを持って演じられない」と初期設定を一蹴。当然、脚本家たちは怒ったが、今回はニコケイの判断が正しかった。ビートルズをこよなく愛し、銃の扱いには不慣れだが、愛する家族のために無事に家に帰りたがるスタンリー・グッドスピード役は当たり役となった。映画は大ヒットし、90年代を代表するアクション映画として今なお語り継がれている。
『ザ・ロック』を皮切りに、ニコケイはアクション映画に本格参戦。『コン・エアー』『フェイス/オフ』(どちらも1997年)の2本で新世代のアクションスターとしての地位を確立した。ここ日本でも『ザ・ロック』『コン・エアー』『フェイス/オフ』は地上波洋画劇場の常連となる。アカデミー賞をゲットし、全米No.1大ヒットをモノにした。ニコケイは名実ともにハリウッド・スターへと上り詰めたのである。
そのまま2000年代に突入すると、ニコケイは俳優として理想的なポジションを確保。ニコケイは性格俳優として作家性の強い作品に出つつ、アクション大作でも活躍するのであった。シュールなコメディー『アダプテーション』(2002年)や、真っ当な娯楽大作『ナショナルトレジャー』(2004年)、皮肉に満ちた戦争映画『ロード・オブ・ウォー』(2005年)、子どもの頃から大好きだったアメコミヒーロー『ゴーストライダー』(2007年)……怒涛の勢いでニコケイは2000年代を通過した。
ようやく10代の頃に夢見た成功を手にしたニコケイだが、しかし彼は私生活でもゴーイング・マイ・ウェイ。大金を手にしたニコケイは、物欲を全開にする。かつて夢見た豪邸を建て、高級車や漫画、ドイツの城などなど、欲しいものを買いまくった。ここ日本でも、来日のたびにまんだらけでフィギュアを大量購入していたという。
離婚と結婚も相次ぎ、エルビス・プレスリーの娘と再婚して世間を騒がせたかと思ったら、1年で離婚して、今度は寿司屋のウェイトレスと結婚。息子にカル=エルとスーパマンの本名を名付ける(日本でいうと、子どもにカカロットと名付けるようなもんです)。
10代の頃と同じアナーキーさで突っ走るニコケイだったが、金は使えば無くなるもので、徐々に懐が限界を迎え始めた。そして2009年頃から借金問題が本格的に表面化。次々と銀行から訴えられてしまい、借金返済のため、ニコケイは仕事をしまくった。
2010年代中盤以降、ニコケイの出演作は急激に増えている。その中には借金返済のために出ていると思われる映画も多かった。たとえばサスペンス映画として売られている『レフト・ビハインド』(2014年)は宗教映画で、内容的にも見ていて厳しいものがある。
そしてニコケイの演技はハマれば120点を叩き出すが、はずれると面白くなってしまうという弱点もあった。失敗作でも全力で演技をするニコケイを見かける機会が増えたせいか、次第にニコケイは一種のネタとして消費されるようになる。ちょっとインターネットで検索をかけるだけで、山のような面白コラ画像が出てくることがその証だ。
またハリウッドのトレンドも90年代とは大きく変わった。時代は1人の主演俳優で引っ張るスター映画から、俳優陣の掛け合いで見せるアンサンブル映画へとシフト。この連載で過去に取り上げたように、同じく90年代を代表するスターであるトム・クルーズは体を張る方向へ、ウィル・スミスはオレ様感を減らす方向に変わっていった。こうした時代において、共演者を食ってナンボの精神でやってきた、個性の塊であるニコケイは分が悪い。
借金、周囲の目、時代の変化……様々なことが起きた(寿司屋のウェイトレスとも離婚したが、その後にメイクアップアーティストと泥酔して婚姻届けを出すも、数か月後にまた離婚した)。すっかり「超大作」からニコケイの姿は消え、日本ではニコケイ映画が劇場公開されることも減ってしまった。しかし、それらの変化をものともせず、ニコケイは2020年現在も相変わらずゴーイング・マイ・ウェイである。
借金返済のためか映画に出まくっているし、1本1本の予算は90年代の頃とは比較にならないほど小規模だ。荒い映画も多いが、しかし相変わらず主演作の幅は広く、その全てで全力投球をしている。
『マンディ 地獄のロード・ウォーリアー』(2018年)で妻を殺したカルト教団に復讐する夫を演じ、その血みどろの演技と狂い果てた笑顔で世界中の度肝を抜いた。ちなみに同作の現場でもニコラスは「ブルース・リーの動きを取り入れたい」と独自の演技プランを持ち込んだそうだ。ニコケイの現場に臨む姿勢は、コッポラと喧嘩をした若き日も、アクション超大作に主演してハリウッドスターとなった日も、色々な苦労を抱えて現場に入る56歳の今も、全く変わっていない。
いつだってニコケイは自分の好きなことをやるために全力を尽くし、俳優という仕事を楽しんでいる。それを証拠に、現時点でもニコケイの予定表には、宇宙人と地球人が柔術で対決するらしい『Jiu Jitsu(原題)』(2020年)や、個人で何匹もの虎を飼って、自分の虎パークを築き、色々あって殺人の共謀で逮捕された実在の人物を演じるドラマシリーズなど、相変わらずの幅の広さと挑戦的な企画が並んでいる。
人間、歳を取ると落ち着いていったり、年相応の振る舞いを身に着けていくものだが、ニコケイは変わらない。それはきっと、ニコケイが子どもの頃に空想の世界と、「演技」という行為そのものに救われたからだろう。最後に、そんなニコケイの映画に対するスタンスを示した発言を引用して、この記事を終わりとしたい。
「個人的に、メッセージ性のある映画は退屈だな~って思うんだよ。僕は映画を見て、説教されたくないんだよ。映画は社会を映し出す鏡であるという考え方は、社会的な面からみれば価値のあることかもしれない。ただ映画の中で、人生について説教されることに僕は同意できないんだよ」
――――【独占インタビュー】ニコラス・ケイジ「好きな日本映画は、『進撃の巨人』『リング』」より引用
▽参考・引用元
・キネマ旬報
1996年9月下旬号、2002年8月下旬号、2007年3月上旬号、2008年1月上旬号
・『ニコラス・ケイジ ハリウッドの野性』(2000年 ブライアン・Jロブ著 志摩千歳・松本貴子 訳より引用)
・【独占インタビュー】ニコラス・ケイジ「好きな日本映画は、『進撃の巨人』『リング』」
300年続く日本のエンターテインメント「忠臣蔵」のマニア。
昼は通勤、夜は自宅で映画に関してあれこれ書く兼業ライター。主な寄稿先はweb媒体ですと「リアルサウンド映画部」「シネマトゥデイ」、紙媒体は「映画秘宝」本誌と別冊(洋泉社)、「想像以上のマネーとパワーと愛と夢で幸福になる、拳突き上げて声高らかに叫べHiGH&LOWへの愛と情熱、そしてHIROさんの本気(マジ)を本気で考察する本」(サイゾー)など。ちなみに昼はゲームのシナリオを書くお仕事をしています。
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