誰だって歳をとる。もちろんハリウッドスターだって。
エンタメの最前線で、人はどう“老い”と向き合うのか?
スターの生き様を追って、そのヒントを見つけ出す。
「映画業界では男に与えられるチャンスのほうが断然多いの。
それが舞台に戻りたい理由よ、演劇の世界では、あらゆる年代の女性に
すばらしい役が用意されているの」
――『キネマ旬報』(1999年 8月上旬号)インタビューより引用
ありとあらゆる映画で常に輝き続ける、
ハリウッドの女王、ニコール・キッドマン!
そのストイックかつ栄光に満ちた半生を振り返る!
先日、トム・クルーズがいよいよ宇宙に行くことが正式に決まった。成功すれば人類初の偉業だ。その一方、かつてトムと夫婦だったニコール・キッドマンは世界を変えようとしている。
ニコール・キッドマン、53歳。映画業界の最高峰であるハリウッドにおいて、主演・助演と幅広く活動し、各国の賞レースではすっかり常連。ニコールが来たら道を開けろ状態になっている。さらに関わる作品も驚くほど幅が広い。作家性の強いアート系の作品から、エンターテインメント超大作まで、まさに全方位型の俳優だ。
また俳優業だけではなく、プロデューサーとしてチャンスを狙う若手監督、特に女性の映画関係者に積極的に声をかけ、その才能を発掘。いち映画人として、年々その存在感は増している。さらには数多くの慈善事業、子どもや女性への社会的支援なども積極的にこなし……彼女の功績は、すでに1冊の本が書けるレベルだ。
いち俳優として、映画人として、もっと話を大きくするなら1人の人間として、ニコールは53歳の今が全盛期にあるし、ここから更なる高みへ昇っていく可能性も高い。かつて半ば諦めすら感じる形で、映画から舞台への転向すら口にしていた人物が、どのようにして映画の都ハリウッドで台風の目となったのか? 彼女の半生を振り返りつつ、その答えを探っていきたい。
ニコール・キッドマンは1967年、ハワイで生まれた。その後、3歳で家族とオーストラリアへ移住すると、母にあまりに人見知りが過ぎるからと心配され、習い事としてバレエを始める。これをキッカケにして舞台に立つが、「踊りよりも演技をする方が面白い」と気がつき、9歳の頃には本格的に演技の世界へ。
家族のサポートもあって、14歳で子役としてデビューすると、ニコールは順調に頭角を現してゆく。
彼女は駆け出しの時期をこう振り返っている。「演技に惹かれたのは、現実の自分に飽き足らなかったから。背が高かったから、ボーイフレンドもできなかったの。あだ名は『スタルキー(ひょろ長)』だったわ」ニコールは確かな演技力で着実にオーストラリアの映画業界でキャリアを積んでいく。
やがて22歳の時、ハリウッドのとある人物が彼女の圧倒的な実力に気が付くのだった。言わずと知れたトム・クルーズだ。
『トップガン』(1986年)や『レインマン』(1988年)で、既に若手の星となっていたトムクルさんは、『デイズ・オブ・サンダー』(1990年)のヒロイン役でハリウッドに呼び出した。ここでニコールはトムクルさんに「それまでの人生で出会った誰よりも、魅力を感じた」と断言するほど惹かれ、同年に結婚。活動の場をハリウッドへ移す。おしどり夫婦として有名になり、数多くの夫婦共演作で魅せてくれた。
しかし一方で、当時のインタビューを読み返すとニコールの関心は映画よりも舞台にあったようだ。忙しい合間を縫って舞台を見に行き、自身も俳優として舞台に立っている。冒頭に引用したような男女の格差もあるが、そもそも映画の現場がピンと来ていなかったようだ。
当時、彼女はこんなふうに語っている。「(舞台稽古は)大好きよ。面白い作業だわ。映画では、あまりリハーサルできないことが多いでしょう。いつも『リハーサル期間が5日以上ないなら、降ろさせてください』って言ってるわ。そういう映画に興味はないの」ここまでキッパリ言い切る役者も珍しい。
トムクルさんは映画のためなら妥協を許さず、必要ならビルから飛ぶ役者バカだ。だが、その妻だったニコールも、とんでもなくストイックな役者バカだったのである。程なくしてニコールはトムクルさんと離婚するが、それと同時期に(すでに『誘う女』(1995年)などで一定の評価を得ていたが、それらが霞むほど)彼女は役者としての才能を爆裂させるのであった。
転機となったのは、現在もニコールの代表作として語り継がれる『ムーラン・ルージュ』(2001年)だ。19世紀のパリを舞台にした恋愛ミュージカルだが、ニルヴァーナやビートルズ、エルトン・ジョンやマドンナの曲が流れるなか、人々が全編ハイテンションで踊り狂う時代性完全無視の怪作である。
本作でニコールはムーラン・ルージュの高級娼婦を時にコミカルに、時にセクシーに、時に儚く、そしてアクシデントで骨折しながら演じ切り、初のアカデミー賞主演女優賞ノミネートを果たす。
そして『ムーラン・ルージュ』は特殊すぎる現場だった。たとえば監督の別荘で3か月のリハーサル期間があり、週末はパーティーで大盛り上がり。その割に本番で台本にないシーンが次々と足されるなど、映画の内容と同じく、狂騒的な現場だったといわれている。
ニコールの相手役を務めたユアン・マクレガーもこう振り返っている。「僕たち俳優が即興で演じたシーンが、1週間後には脚本に取り入れられているなんて、後にも先にも経験したことがない。本当にユニークで刺激的で、最高の体験だったよ」
これまでの彼女の美学に反する現場だが、しかし映画は大ヒットし、ニコールもそれまでのキャリアで最高の評価を得た。恐らくこの経験に思うところがあったのだろう。もちろん舞台への愛情は持ったままだが、徐々に彼女はより柔軟な姿勢で映画女優という仕事に取り組むようになっていく。
ちなみに『ムーラン・ルージュ』の同年、ニコールはトムクルさんプロデュースのホラー映画『アザーズ』(2001年)が公開され、こちらでも高い評価を得る。本作を作っている最中に2人の離婚が成立したが、この間も2人は最後まで映画人として「仕事」に責任を持って臨んでいたそうだ。
監督のアレハンドロ・アメナーバルは端的にこう証言している。「『アザーズ』編集段階で2人は離婚してしまったが、2人とも、僕に対しても仕事に対しても終始一貫。トムもニコールも、映画という仕事に対する情熱と献身ぶりはもの凄い!」
そんなストレートにも程がある絶賛を受けた彼女だが、とはいえ離婚では精神的に落ち込んだという。しかし彼女は映画に出続けた。本人曰く、「私生活での苦しみを、私は役を創造するエネルギーに変えて、仕事に全身で集中して打ち込んだ」。
『アザーズ』の撮影中に脚本が送られてきたという『めぐりあう時間たち』(2002年)では、メリル・ストリープやジュリアン・ムーアといった大女優たちを向こうに回し、「死にそうに冷たい水に入って自殺を図るシーンでは、代役を使うと言われて、『絶対に大丈夫だから私がします!』と言って、死んでもいいという気持ちで決行したの。体中が氷結してしまって、解凍作業が必要なぐらいだった」と振り返る大熱演で見事にアカデミー主演女優賞を獲得。
離婚という一大事を乗り切りながら、ハリウッド女優の頂点に上り詰めた。それは彼女が文字通り“トムの妻”から“女優ニコール・キッドマン”へ変わった瞬間であった。
そして、『めぐりあう時間たち』でも、ニコールは「あまりリハーサルをせず、撮影現場ではその場その場での本能的演技で必要以上の分析などせず、ラッシュも見ないで、自分で自然に役作りを進めたの」と、かつて「リハーサル期間が5日以上ないなら、降ろさせてください」と断言していた人物とは思えない発言を残している。
この後、ニコールのキャリアはさらに充実していく。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年)などで知られる鬼才ラース・フォン・トリアーの実験作『ドッグヴィル』(2003年)に主演したかと思えば、同じ年には南北戦争を舞台にした『コールドマウンテン』(2003年)に出演。その後もジャンルを問わず、年に1本は映画に出続けた。全てが成功したわけではないが、仕事のハイペースぶり、関わっている作品のジャンルの幅の広さはハリウッドの中でも随一だ。
私生活でも、2006年にカントリー歌手のキース・アーバンと再婚。2008年には41歳で子を授かる。ずっと子どもが持てなかった彼女にとって、待望の出産だった。ちなみに妊娠に気がついたのは映画『オーストラリア』(08年)の撮影中で、本人も「妊娠2ヵ月の時にすでに乗馬シーンなどを済ませていて、かなり丈夫な体を持っているなど自分でもびっくり」と、ここでも役者バカな一面を見せている。
2010年代を迎える頃、ニコールは更なる進化を遂げる。まずは主演だけではなくプロデューサーとしても働いた『ラビット・ホール』(2010年)で再び世界各国の賞レースに荒らしまわる。働きぶりにも拍車がかかり、年に2~3本が公開されることも。それだけでも大変なものだが、この間さらに舞台の仕事もやっていた。
そして2017年には4本の出演作を引っ提げてカンヌ国際映画祭に殴りこみ。例によって作品は不条理サスペンスから青春ファンタジーと幅が広く、演じた役柄も、とんでもないことになる人妻からパンクな人など、バラエティ豊かなラインナップになっていた。
このカンヌでのインタビューで彼女はこう語っている。「世界は常に変化しているし、その変化とともに自分が変わることも大切だと思う。変化する環境により私は恩恵を被っているとも思う。もうじき50歳になるけれど、今まで以上にいろんな役がまわってくる。その理由の一つには、テレビがあり、小さなスクリーンのための作品があり、大劇場用の映画があり、とさまざまな媒体があるからだと思う。それを本当にありがたいと思っている」
カンヌでの発言を体現するかのように、50代を超えたニコールは相変わらず多彩な役を演じている。シリアスな映画への出演が続いたかと思えば、スーパーヒーロー映画の『アクアマン』(2018年)で三つ又の槍をブン回し、金魚を食べる海底王国の女王を演じて世間の度肝を抜いた。その翌年にはシャーリーズ・セロン(44歳)、マーゴット・ロビー(30歳)の、中堅・若手の実力派を相手に『スキャンダル』(2019年)で再び賞レースを席巻。今この時点でもドラマと映画がいくつも動いている。
ニコールの勢いは加速する一方だ。私のような凡人的は「いつ休んでいるんだ?」と素朴な疑問を抱いてしまうが、本人的にはワーク・ライフ・バランスは取れているらしい。特に夫や子どもたち存在が、彼女を強く支えているそうだ。
『vogue』で行われた俳優で作家でもあるレベッカ・ミラーとの対談で、夫の優しい言葉を「妻冥利につきる」と紹介しつつ、自らの家庭についてこう語っている。「私にとって、やすらげる場所、涙を流せる場所があるからこそだと思う。そういうふうにして、私はまた心を開き、好奇心を持ち、意欲的になることができる」この言葉にニコール・キッドマンが、理想的なキャリアを築けた理由がある。ひとえに彼女を成功に導いているのは「好奇心」なのだろう。バレエから舞台へ、舞台から映画へ、映画から社会へ。常に好奇心を忘れず、新しいことに挑戦し続けているのが彼女の成功の秘訣だろう。実際「昔から持っているものは?」という質問にも、彼女は「好奇心」と答えている(最近も『vouge』の企画で虫を食べていた)。
そして恐らくニコールは「成功」をゴールにしていない。「演技」に好奇心を抱いた少女時代のまま、ひたすら好奇心に従って突き進んだ結果、成功の方がついてきた、そう表現するべきだろう。尋常ではない演技への好奇心と、思い立ったら成し遂げる行動力で突き進む。その人生はまさに役者バカ一代。
彼女にとって大きな転機となった『ムーラン・ルージュ』の来日イベントでも、「どうしたらあなたのようなスターになれますか?」という質問に対して、「スターの虚栄を追いもとめることに価値はないんです」と言い放っている。
現在、ニコールは俳優としてステップ・アップを重ねながら、ハリウッドの男女格差を是正すべく積極的に女性監督の作品に出演している。かつて映画業界では女性にチャンスがないから舞台に戻ると考えていた彼女は、今や女性にチャンスを与える力を得た。その力を行使し、世界を変えようとしているのだ。「私にはそのことを話題にするだけで、行動しないというのはできないわ。だって提唱や主張をする者であろうとするなら、実際に行動を起こさなければ」そんなふうに断言して。好奇心に従って、新しい挑戦を繰り返し、その経験が結果に繋がり、その結果が次の経験へ繋がる。役者として、これほど理想的な歳の取り方はないだろう。
最後はそんなニコールの力強い台詞を引用して、この記事を終えたい。現在の映画業界で実際に統計を取ってみると圧倒的に女性映画人が少ないこと、それを変える活動をしていることについて、彼女はこんなふうに語っている。
「私はこのムーブメントの担い手でいなければならない。
それはいつか必ず映画界の統計値を変えてくれるはずよ」
――VOGUE JAPAN 2018年4月7日
「ニコール・キッドマン---彼女が語る、「さらけ出すことを恐れない自信」とは。」より
▽参考・引用元
・キネマ旬報 1999年8月上旬号、2003年5月下旬号、2004年5月上旬特別号
2008年3月上旬号、2017年10月上旬号
・カンヌの女王・ニコール・キッドマンは4作品に出演、70回記念名誉賞受賞
・映画.com
ニコール・キッドマン&ユアン・マクレガー「ムーラン・ルージュ」を振り返る
・VOGUE JAPAN
ニコール・キッドマン---彼女が語る、「さらけ出すことを恐れない自信」とは。
・ニコール・キッドマンに73の質問 ─ 家族で暮らすオーストラリアの自宅/農場から。
300年続く日本のエンターテインメント「忠臣蔵」のマニア。
昼は通勤、夜は自宅で映画に関してあれこれ書く兼業ライター。主な寄稿先はweb媒体ですと「リアルサウンド映画部」「シネマトゥデイ」、紙媒体は「映画秘宝」本誌と別冊(洋泉社)、「想像以上のマネーとパワーと愛と夢で幸福になる、拳突き上げて声高らかに叫べHiGH&LOWへの愛と情熱、そしてHIROさんの本気(マジ)を本気で考察する本」(サイゾー)など。ちなみに昼はゲームのシナリオを書くお仕事をしています。
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