話せない人を助ける技術--超高齢社会に福祉工学の貢献が期待される理由

サイエンスの壁、マーケットの壁に立ち向かい福祉工学の道を切り拓いてきた伊福部達先生だが、超高齢化する日本社会にあって、にわかに追い風が吹いてきたという。

東京大学高齢社会総合研究機構(IOG)にある研究室を訪ね、福祉工学の未来について話を聞いてみよう。

「話す」を助ける技術にヒントを与えたのは九官鳥だった

伊福部先生は、これまで紹介してきたものの他にも、人が発声した言葉を文字に変換して伝える「音声タイプライタ」など、「聴く」を助ける技術に挑戦してきた。

また、視覚障害者に外界の気配を伝える「超音波メガネ」のように「見る」を助ける技術もある。

その中でも今回は、「話す」を助ける技術について、見ていくことにしよう。

「話す」を助ける技術──、すなわち「人工喉頭」の研究である。

話すことが困難な原因は3つある。1つは喉頭、すなわち声帯を喉頭がんなどで摘出した場合(喉頭摘出)。

もう1つは舌やあごをうまく動かせない場合で、これを構音障害という。

3つ目は、脳機能障害による失語症で言葉が出ないケースである。

伊福部先生はまず、1980年代初頭から喉頭摘出をした人の支援をするための方法を模索した。

基本研究を行う際に着目したのは、九官鳥だった。

九官鳥


「お祭りの夜店などでヘリウム酸素の入った風船を売っていますが、それを吸ってしゃべるとドナルドダックのような甲高い声になりますよね。ヘリウムは空気中の窒素に比べて軽いので音速が速くなり、口の中での共鳴音が高くなるのです。

ところが、研究室に人の声真似の上手な九官鳥を飼っている人を探し当て、その家でヘリウム酸素を充満させたテントの中でしゃべらせる実験を行ったところ、人間のように声が高くならなかったのです。

つまり、九官鳥の声の作り方は、人間と全く異なるし、声の波形も異なります。なのになぜ、『オハヨウ』という九官鳥の声が、人間の耳に『オハヨウ』と聞こえるのか。その疑問が出発点でした」

実験台となった九官鳥は、札幌市内に多弁で発音も明瞭だと評判の個体に協力あおいだほか、研究室でもペットショップで購入した個体を飼育していたそうだが、後者の九官鳥は研究室の環境になじめなかったのか、原因不明の死を遂げてしまったそうだ。

「手厚く冥福を祈った後、ノドを解剖して最後まで実験台としての役割を全うしてもらいました。おかげで九官鳥の気管支には『鳴管』という2つの発音体があることなどを確認することができました」

九官鳥の声真似から生まれた人口喉頭

数学的な手法を用いた音声解析でも、九官鳥の声は音の周波数、口の中の共鳴によって増強された成分(ホルマント)ともに人間のものと違うことがわかった。

「さまざまな検討を重ねた後、1つだけ共通点があるという結論にたどりつきました。それは、イントネーション、すなわち抑揚です。九官鳥が真似をしていたのは、この抑揚の部分が大きく、人間の耳はそれだけで『九官鳥がしゃべっている』と錯覚する、つまりは騙されてしまうのです」

この発見から生まれたのが、「抑揚制御型人工喉頭」である。その仕組みは、喉頭を摘出した人の期間に開けた孔から抑揚の情報を取り出し、コンピュータで処理した後、ノドに当てたバイブレータの周波数を変えるのだ。

「製品化までに8年もかかってしまいましたが、その間、喉頭摘出者団体の方々が自ら実験台となり、改良に改良を重ねて精度を高めることができました。

こうした福祉器具は、大量生産をするといっても数が限られているので高額になってしまうのが常で、実際のところ、2万人の喉頭摘出者の中で人工喉頭を使っている人はわずか数千人とも言われています。

しかも、福祉用具認定法という制度を使って値段の8割近くを地方自治体が負担してくれることになったので、ようやく国産第一号として製品化することができたのです」

それが札幌にある株式会社電制が開発・製造し、株式会社第一医科が販売を手掛ける「ユアトーン」である。同製品は喉頭摘出者だけでなく、気管切開や神経麻痺、筋ジストロフィーなどによって発話障害になった人にも利用され、我が国の電気式人口喉頭ではトップシェアを誇る。

なお、同製品は現在も改良が続けられ、より良い音質や使いやすさが追求されている。

<ユアトーンの最新機種の性能を解説したPR動画>

腹話術師いっこく堂が貢献した、意外なる基礎研究

ユアトーンは喉頭摘出者の「話す」を助ける機具として、見事に認められたわけだが、構音障害や脳梗塞などで舌やあごをうまく動かせなった人の場合は、十分な助けにならない。

そう、課題はまだ残されたままだったのだ。

この課題を解決する糸口を伊福部先生が見つけたのは1998年、テレビを漫然と見ていたときだ。

「テレビには腹話術師が芸を披露する様子が写っていて、その巧みさに驚いたのです。

私が驚いたのは、『パ』、『バ』、『マ』のような両唇を閉じた状態からすばやく口を開けなければ発音できない音を、その腹話術師は口を閉じたまま発声していたことです。

急いでビデオに収録し、何回も再生して本当に口を閉じているかを確かめましたが、画像の解像度が悪くて結論を出すには至りませんでした」

当時、北海道在住だった伊福部先生は、札幌の温泉地のレジャーセンターでその腹話術師の公演があることを聞きつけ、タクシーを飛ばして彼の楽屋に駆けつけたという。

「手品師なら、観客からタネを聞かれても教える人はいないでしょうから、同じような対応をされるのではないかと恐る恐る聞いてみましたが、その人は『自分の芸が役に立つなら』と快く承諾し、その場でいろいろな声を披露してくれたばかりか、その後も何度か私共の研究に参加してくれました」

とはいえ、なぜ口を閉じているのに「パ」、「バ」、「マ」を発音できるのかと聞いても、「口の中にもう1つの口を作る」といった感覚的な説明のみで、実際の機能的な仕組みはゼロから探る他なかった。

録音した腹話術の声を学生たちと何度も聞いた結果、口の中での自由な舌の動きが必要不可欠であること、口の中での共鳴(ホルマント)を時間的に激しく変化させていることなどがわかった。

「この結果を学会で発表した後、日本腹話術協会から第3回世界腹話術の祭典で講演をして欲しいのと依頼を受けました。そのとき、『腹話術の技術が解明されれば、発音に障害を持つ人々を助けるのに生かせるかもしれません』と結んだところ、会場から大きな拍手があがりました」

腹話術の発声研究から生まれた「音声生成器」

腹話術の発声研究で得られた知見は、意外なところで生かされている。

「東京大学の博士課程の交流学生の中に、筋肉をうまく動かせない学生がいて、彼と共同で人間の声をコンピュータで合成する装置を開発することになったのです。そのとき、腹話術師が舌の動きだけで自然な声を出せるのだから、舌の動きを指や手の動きで代用できるのではないかと考えたわけです」

4年を超える試行錯誤の結果、完成した「音声生成器」は、2013年に株式会社電制がスマートフォンアプリ「ゆびで話そう」として製品化し、無料版、有料版のどちらも気軽にダウンロードすることができる。

iOS用 音声生成アプリ「ゆびで話そう」

日本社会の高齢化に福祉工学はどんな貢献ができるのか?

これまで、伊福部先生の不屈の挑戦のごく一部をこれまで紹介してきたわけだが、日本が超高齢化に向かうにあたり、にわかに注目されてきたようだ。

研究人生が40年目に差しかかろうとしていた2010年、科学技術振興機構(JST)の戦略イノベーション創出推進の一環として、「高齢社会を豊かにする科学・技術・システムの創成(高齢社会プロジェクト)」という国家プロジェクトが立ち上がり、伊福部先生はそのプログラム・オフィサーとしてプロジェクトを引っ張っていく役割を任せられたのだ。

このプロジェクトは社会の高齢化により深刻になった、労働者人口の減少、社会保障費の増加、老後の生き方など、さまざまな課題をテクノロジーで解決するためのプロジェクト。

高齢化した日本社会において、まさに福祉工学は脚光を浴びる研究テーマとなりそうだ。そこで最後に福祉工学の未来の展望について、伊福部先生に改めて語ってもらおう。

「グラハム・ベル(1847~1922)が、聴覚障害者だった妻とのコミュケーションをとりたいとい熱意で発明した電話は、情報革命という大きなイノベーションを生み出しました。

また、スタンフォード大学のリンビル教授とブリス教授が盲の娘のため、文字を触覚で読めるようにと開発した視覚代行器『オプタコン』の開発に使ったCCDという光学センサは、現在のデジタルカメラやビデオカメラにも採用され、カメラの世界を一変させました。

このように福祉工学は、健常者だけを相手にした技術からは想像できないような新しい技術に結びつき、イノベーションを起こす可能性を秘めています。

社会の高齢化は日本だけでなく、世界的な傾向にあることから、福祉工学は今後も重要なテーマに取り組み続けていくことになるでしょう。新しい時代の価値観に合った技術・システムを実現すること、それが福祉工学の大きな夢であり、日本の明るい未来はその延長線上にきっと見えてくるはずです」

内藤 孝宏
内藤 孝宏 フリーライター・編集者

「ボブ内藤」名義でも活動。編集プロダクション方南ぐみを経て2009年にフリーに。1990年より25年間で1500を超える企業を取材。また、財界人、有名人、芸能人にも連載を通じて2000人強にインタビューしている。著書に『ニッポンを発信する外国人たち』『はじめての輪行』(ともに洋泉社)などがある。

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