
ホスピスに関する情報を発信している起業家の樽本さんには、大好きな祖母のがん闘病を家族として支え、最期を看取った経験があります。
家族の闘病をサポートしていると、しばしば重大な選択を迫られる場面があります。これは、樽本さんご家族が悩んだ場面の記録です。
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おばあちゃんががん闘病をはじめて2年。
毎日のように「呼吸が苦しい」と訴えるようになった。
レントゲンを見ると、肺の半分以上が水で白く染まっている。
がん細胞が胸膜に広がり、そこから漏れ出た液体がたまる「胸水」だ。
主治医は画面をみながら、いつも通り顔色一つ変えず、こう言い放った。
「水を抜けば、呼吸は楽になります。明日から入院して抜くか、それともこのまま呼吸の苦しさに耐えるか。今ここで、どうするか決めてください」
実は、おばあちゃんは過去にも一度、胸水を抜いたことがある。
詳しくは後述するが、その時は思うような効果がなかった。
それでもおばあちゃんは、一縷の望みに賭けて再び入院し、胸水を抜くという選択をした。
しかしその後、おばあちゃんが自宅に戻る日は訪れなかった。
今でも、あのときおばあちゃんがどんな気持ちで決断したのかを思うと、胸が締めつけられる。
それでも同じような苦しみの中にいる誰かの力になれたらと思い、この記録を残しておきたい。
大好きなおばあちゃんに、悪性の腫瘍が見つかったのは、とても突然のことだった。
ある日、母からの電話。
「おばあちゃん、がんが見つかったの。もう先は長くないかもしれない。けど、手術はせずに、抗がん剤でできる限りをやることに決めました」
「もう先は長くない」
その言葉の意味を理解する前に、涙が込み上げ
電話を切った後、なんとも言い表せられない感情でいっぱいになった。
私にとっておばあちゃんは家族であり、相棒のような存在だ。
生まれてから片時も離れず、まるで大親友であり、姉のようでもあり、
この世でいちばん大好きな人。
どんな秘密も、「これは、他の人にはナイショなんだけどね…」とこっそり話して、
2人でくすくす笑い合う。
そんな時間が、私にとって何より愛おしく、宝物だった。
だからこそ、突然私にとって一番大切なものを取り上げられ、
世界から色が抜け落ちたような気がした。
翌日、おばあちゃんに会いに行った。
どんな顔をして、どんな言葉をかければいいのか分からず、玄関の前で深呼吸を何度もした。
いつもの笑顔で迎えてくれたおばあちゃんは、私の泣き腫らした目を見ると、少しだけバツが悪そうに微笑んで言った。
「...全然平気よ」
平気なはずがない。
その一言の裏にある強さと覚悟を感じて、胸が締めつけられた。
けれど、同時に私も決めた。
おばあちゃんが「全然平気よ」と言うなら、
私も「きっと大丈夫」と言い続けられる孫でいよう、と。
それから始まったがんとの闘いは、本当に壮絶だった。
抗がん剤の副作用に耐えながら、効果があると言われるものは、どんな治療法でも試した。
どんなに辛い日でも、おばあちゃんは外に出て体を動かし、
食欲がなくても「体のために」と無理やりにでも食べ物を口にした。
それでも呼吸はだんだんと苦しくなり、胸の中には水が溜まっていった。
胸水がたまると、まるで陸の上で溺れているような苦しさになるという。
最初に胸水を抜く決断をしたとき、家族の中では「たまったなら、抜けばいい」という程度の感覚だった。
胸水を減らす方法には、主に三つある。
おばあちゃんの場合、薬は効かなかった。
入院の負担や骨の弱りも心配だったため、家族で話し合った結果、そのときは「1日で一気に抜く」方法を選んだ。
誰もが「抜けば呼吸が楽になる」と信じていた。
ところが、処置を終えて帰宅したおばあちゃんはぐったりと横になり、
「呼吸の苦しさは、何も変わらない」とつぶやいた。
そして数日後、胸水は再び元通りにたまってしまった。
腫瘍がある限り、水はまたすぐにたまってしまうのだという。
それでもおばあちゃんは、少しずつ食欲を取り戻し、散歩に出られるまでに回復した。
けれど時間が経つにつれ、再び呼吸の苦しさは強くなっていった。
レントゲンは片肺が真っ白。主治医は言う。
「水を抜けば楽になります。前回は1日で抜いたから抜け切れていません。入院して徐々に抜けば、次はたまりづらくなります」
正直、にわかには信じられなかった。
一度目は全く楽にならず、すぐ元通りになってしまったのに。
私が問い詰めても、主治医は「楽になります」の一点張り。
さらに「このまま放置すれば心臓を圧迫し、止まる可能性もある」と告げられた。
胸水を抜かない選択をする場合、残された道は、副作用の強い抗がん剤を続けて様子を見るか、緩和ケアに移るかの二つしかなかった。
これ以上効果があるかもわからない抗がん剤の副作用に苦しむことも、命の治療をやめる決断をすることも、私たちには、どちらも選ぶことができなかった。
「さあ、どうするか、今ここで決めてください」
その主治医の言葉に対して、
おばあちゃんと私たち家族に残された道はもはやたったひとつだった。
翌日から入院。
胸の壁から胸腔へ太めの管を留置し、少しずつ胸水を抜いていく胸腔ドレナージ。
「人にこんな太い管が入るのか」と思わず目を疑うほどの径だ。
管を入れる処置自体は短時間で終わる。けれどおばあちゃんは顔をひどくしかめ、
「人生でいちばん痛かった。もう二度としたくない」と小さくこぼした。
留置中は常に管がつながっている状態なので、身動きが制限され、トイレに行くにも廊下を歩くにも不自由。
体をひねるたび、管がわずかにずれて体に痛みが走る。
私たちは毎日病院に通い、ボトルにたまっていく胸水をただ見つめながら、
祈るしかなかった。
「どうか、呼吸が楽になりますように」
「どうか、無事に退院できますように」
そして、おばあちゃんには「きっと大丈夫」と、
なんとも無力な言葉をかけることしかできなかった。
しかし祈りは、届かなかった。
胸水を抜き切ったおばあちゃんの体には、栄養がほとんど残っていなかった。
生力も同時に奪われ、ぐったりと眠る時間が増えた。
さらに、レントゲンをみると腫瘍が大きくなっていた。
医師は、残酷な現実を告げた。
「肺が膨らんでくれば呼吸は戻ります。ただ、おばあさまの肺は膨らみません。片肺同然で、再び水がたまる可能性が高いです」
そして、予後は「半年ほど」と言われた。
退院後に撮ったレントゲンは、悪い予感どおり。
あれほどの痛みと不自由に耐えたのに、肺はまた白く染まっていた。
おばあちゃんの体は栄養不足で、元々細かった体はさらに細くなり
心も折れかけていた。
結局、酸素をつけることになったおばあちゃんは
自分の家に戻ることはできず、それからはさいごまで母の家で暮らすことになった。
あのときの私たちの「水を抜く」選択は、本当に正しかったのか。
ほかに道はなかったのか。やるせなさは消えないままだ。
しかし「胸水を抜くか」と再び迫られても、私はまだ正解を持っていない。
選択肢は三つ。
薬で減らす
1日で抜く
入院して徐々に抜く
きっとおばあちゃんのときと同じように、①→②→③の順に試していくのだろう。
「抜けば楽になるはず」が叶わなかった。
医療の選択は、努力と結果が一直線につながらない世界だと痛感している。
がんの治療期には、しばしば正解が曖昧なまま、突然、究極の選択を迫られる。
そのとき、誰の思いを軸に決めるのかという問いが立ちはだかる。
本人の希望を最優先にするのか、主治医の言葉を信じるのか、あるいは家族みんなで話し合って合意を取るのか。
どれも間違いではないが、どれも容易ではない。
だからこそ、どんな選択肢があり、何を大切に決めるのか。
これだけでも、平時のうちに家族で話し合っておくことが大切だと、この経験で知った。

早稲田大学卒業。最愛の祖母の癌をきっかけに、『癌を患ってもその人らしく過ごせる社会の実現』を目指して活動中。患者とそのご家族が安心して過ごせるよう、広報を通じた集客採用支援や施設紹介業・入居後の伴走支援を提供する。
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