現在44歳の私は、77歳の母と、息子(次男18歳)と親子三代の3人で暮らしている。
今は平穏に暮らしているが、10年ほど前に母と同居を始めたときは「生まれた惑星が違うんではなかろうか」と思うほどにお互いの物事の考え方が折り合わず、言い合いになることが多かった。
母と離れて暮らしていた時は比較的良好な親子関係だと思っていたが、同居してからは私の親としてのあり方や息子の生活態度など、母の価値観と微塵(みじん)も合わないことがたくさんあるようで、顔を突き合わせると「あなたたちのためを思って」と意見を言われ、私が言い返すと急に怒り出した。
その時すでに母の難聴がだいぶ進んでいて、相当大きな声での言い合いだったので、はたから聞いたら怒号の飛び交う言い争いにしか聞こえなかったかもしれない。
いや、完全に言い争いだった。
父が他界してから母は長く一人で生きてきてとても苦労したと思うし、私とも長い間離れて暮らしていたから、親子といえど価値観が離れてしまうのは仕方ないかもしれない。
大人になって親と毎日顔を突き合わせて住むことがこんなに大変なのかと、私はいつも頭を抱えていた。
母も同じように、頭を抱えていたに違いない。
何度も何度も意見を突き合わせてみたが、話し合いでは解決できない状態が長く続いていた。
そんな私と母との関係を改善するきっかけになったのは、意外なものだった。
ある時、母が年賀状のデザインを自分でやりたいというので、パソコンをプレゼントした。
母はもともと絵を描いたりモノを作ったりするのが好きなので、パソコンを使えればできることも増えるんじゃないか。母の世代ぐらいの人がいきなりパソコンを始めるのはなかなか難しいとは思うけれど、パソコンにハマってくれれば私に対する注意もそれて言い合いも減るかもしれない。
そう思って兄と2人で、当時のWindowsノートパソコンの新しい機種を選んでプレゼントした。
母は「やっぱり私はパソコンなんかには向いてないし、使い方が分からないと疲れる」と初めはすぐに投げ出したが、できる限り私もサポートするからと、続けることを強く勧めた。
その当時のことを振り返って母に聞いたら、
「パソコンができるできないんじゃないんだよ、やるかやらないかなんだよ」
と、私にものすごく怖い顔で言われたことしか覚えてないそうだ。記憶にない。全く。あれ、問題があるのは私の方なんじゃないだろうか。いやいや、その時はきっとサスペンスドラマで犯人の役をやっていたんだと思う。そうだ、そうに違いない。
話は戻って、とにかく母もパソコンを使えた方が良いと思ったので、分からないことがあればできる限りサポートして、続けてもらった。
そしてまたある時、私は母にiPhoneをプレゼントした。
理由は、母が携帯の使い方を何度も何度も私に聞いてくるものの、私も自分と違う機種のことはあまりにも分からなかったので、母の携帯も私と同じiPhoneにすれば問題解決できると思ったから。
使い初めは、
「アイフォーンなんてこんな説明書もないモノは使いこなせないし、アップルアイディーとかしょっちゅう要求されるし大変だからストレスだわ、元の携帯に戻してほしい」
「大丈夫、これは誰でもできるようになるから」
「このアプリってのを入れて登録する度に、アイディーだったり、ユーザーネームだったり、パスワードだったり、それぞれ考えていくつも覚えてられるわけないじゃない。それに、大文字とか小文字とか数字を混ぜて使えって言われたりするのよ。セキュリティーのために誕生日の数字はダメとか言われるし」
「セキュリティーがその分上がるから。覚えられないなら、メモしておけば良いじゃない」
「メモしても、どこにメモしたのかを忘れるのよ」
「それは、記憶するアプリがあるから……」
「また面倒くさい登録があるんでしょ?」
「私が代わりにやるから良いじゃない」
と、こんな感じのやりとりだったけれど、やがてiPhoneを使いこなせるようになった母は、
「iPhoneって最高。便利ねぇ、こんな素晴らしいものが世の中にはあったのねぇ、こんな簡単なんだからみんなやればいいのにねぇ。画面が小さいからiPadも欲しいわ」
と、言うようになっていた。iPhoneを使うのは簡単だが、使い方を教えるのは簡単ではなかったような気がする。
母がiPhoneを使えるようになったと同時にLINEも使えるようにしてもらい、スタンプを買うことをとにかく勧めた。理由は、文字だけのメールのやりとりだと怒っているように感じることがあるから。
母は最初、かわいいアライグマのスタンプがとてもとても気に入ったようで、毎日アライグマのスタンプを連打で送ってきた。
母の趣味に最初はとてもビックリしたが、「いつもありがとう」というメッセージが添えてあるかわいらしいスタンプが送られてくると、こちらもいつもありがとうと、ついついかわいいスタンプを返してしまう。
私と母のLINEメッセージのやり取りはアライグマに埋め尽くされてとても平和になり、LINEというのは本当に素晴らしいと切に思った記憶がある。
母はパソコンとiPhoneを使いこなすようになった頃には検索の仕方もうまくなっていて、何かの使い方や欲しいものについてなど、調べ物もかなりできるようになって楽しそうだった。
それと同時に、私に対して細かなことを言わなくなってきて、毎日顔を突き合わせて暮らすことに対して互いに頭を抱えることはなくなってきた。
私たちの関係は、劇的にというより、緩やかに変化していった。
誰かと会話するとき「同じ日本語を話しているから相手に伝わるだろう」と思って話してしまいがちだけど、言葉というのはとても不完全な物で、その人がどのように生きてきたかによって一つ一つの言葉の持つ価値観が違ってくる。
毎日同じ日常を続けていればいるほど人の価値観は固執したものになってきて、ただ話し合いをしても分かり合うのは難しい。
歳を取ってくれば、それはなおさら難しくなる。
例えば「私はこんなに大変だったんだ」と言葉で言われても、それはどれほどのことなのか、経験していない人にとっては何となくしか分からない。聞く側の想像力がなければなおさらで、話す方も相手の想像力がどれぐらいあるなんて分からない。
それでも価値観の違う相手とやりとりするには、何か同じものに取り組んだときの「共通な言語」を作っていくしかないと思う。
全ての価値観をかみ合わせようとする必要はなくて、全体のうちどこか一部分でもかみ合えば、それ以外も尊重していけるようになるのではないだろうか。
私たち親子の場合は、それがたまたまパソコンなどのテクノロジーだった。母がパソコンやiPhoneの使い方を覚えたことをきっかけに共通の話題ができて、これまで全くかみ合わなかった関係の中で、何かが変化した。
普通、母ぐらいの年齢になると物事を考える視野が狭くなって新しいことにも興味を持たなくなるものだと思っていたのだが、うちの母は真逆でいろんなことに興味を持ち始め、新しいことをどんどん追求していっている。
これはとてもすごいことだと思う。
母はインターネットで動画などたくさんのコンテンツを見るようになって、
「世の中にはいろんな人がいて面白いわねぇ、YouTubeで楽しいのがあったからLINEに送っておいたわ」
と、いろんなことを面白がり、ネガティブな言葉をあまり使わなくなった。というか、ほとんど怒ることがなくなった。
ある時「母がパソコンやiPhoneを使うようになってから、親子関係が改善したんだ」と人に話すと「お母様は寂しかったんじゃないかな」と言われた。
確かにそれもあったかもしれない。私は、目の前にいる母と会話をしてるようで聞いていなかっただろうし、聞こうともしていなかったかもしれない。世代が違うと話がかみ合わないのは仕方ないからと思って、相手の価値観がどういうものかを知ろうともしなかったかもしれない。
私が30代前半ぐらいのとき、母が手術して入院したりといろいろあったので、母の老後の生活について真剣に考えるようになった。でも最近は、以前のように不安になることはほとんど無くなった。母と普段から、いろんな話ができるようになったからだろう。
最近の母はパソコンとiPadとiPhoneを使いこなし、スタンディングデスクまで購入してパソコン作業やインターネットライフを楽しんでいる。
最近は分からないことがあると私の息子にもいろいろ聞いたり話したりしており、
「インターネットのゲームって面白いの? 私にもできる?」
というところまできた。
昔は私が長時間テレビゲームをしていたら激怒してコンセントをブッこ抜きコードをハサミで切っていた母が、まさかゲームに興味を持つ日が来るとは夢にも思わなんだ。
もしかしたらインターネットゲームの世界で母と冒険したり、FPSゲームで一緒に戦う日が来るかもしれない。
親子三代でネットゲームで課金三昧とは、なんて素敵なんだろう。
編集:はてな編集部
掲載協力:DECOR
俳優。2人の息子を持つ父親でもあり、独自の子育てをつづるブログが話題を呼び2017年に書籍化。
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