親が突然倒れた、さぁどうする?
会社員歴20年、その後クリエイティブコンサルタントとして独立し7年。
仕事一筋で生きてきた、介護のことなんてまるでわからない独身ワーキングウーマン、中村美紀49歳。
大好きな母、馬が合わない父の、突然の同時多発介護にてんやわんやしながら、仕事人間としての特性を活かし、「ビジネス思考」で介護を乗り切っていく、壮絶だけど、コミカルな記録。
突然倒れた母。
手術後の容態の不安定さも落ち着き、いよいよ退院が視野に入ってきました。
母は、一命は取り留めましたが、右半身に麻痺が残り、生活は要全介助。失語・失行もあるため、もう今までのような生活はできません。
母の退院後の生活をどうするか。
母の親族も、すぐに「どうするの?」と聞いてきます。
「私たちは口出ししないよ」と言いつつも、「どうなの?」「どうするの?」と毎回聞いてくるのです。
いや、わかります。だって伯父は母の兄だし、叔母は母の妹だし。
母のこと気になりますよね。
気にしてくれていて、娘としては嬉しいんですよ、ありがたいんですよ、ですが、ここだけの話…
嗚呼うるさい!
もちろん、こんな失礼なこと、直接伝えたことはありません。
逆に、常に気にかけてくれて、本当に感謝しています(断言)。
でも、まだ決めきれてない段階で何回も聞かれると、こちらも気持ちに余裕がないので、やっぱり煩わしいと思ってしまいます。
このような外野の声に対し、どのように対処するか。
てんやわんや経験により見出した、私なりの考え方と、それに気付かされたエピソードを紹介します。
母の退院が視野に入ってきた頃、叔母がいろいろ大変だろうと夕食に招いてくれました。
「(母の)退院後はどうするの?」
もちろん聞かれました。
このタイミングでは、自分でもどうするか決めきれていなかったし、家族の意思統一も図れていませんでした。
素直にまだ決めきれていないと言えばよかったのに、言い方がまずかった。
「生活要全介助だからさ。介護施設の入居も考えなきゃいけないと思ってるんだよね。(悪い?)」
なんと、喧嘩腰で返答してしまいました。
大人なのに。
自分はなぜこんな態度を取ってしまったのか、今だからわかります。
母が倒れて数カ月も経ち、主介護者としての対応をしているにも関わらず、まだ母が倒れたという現実を受け入れることができていなかったのです。
頭ではわかっていても、心ではまだ現実を拒否している状態でした。
つまり、まだ感情の整理がつかず、論理的思考に切り替えられていない段階。
この状態だと人の意見を聞く余裕がないので、拒絶反応が「喧嘩腰」という態度に表れてしまったのです。
私の発言を聞いた瞬間、叔母一家は驚いた表情をみせました。
それをみてハッと我に返りました。
いかーん!
家に帰り、このままではいけないと考えを整理しました。
人の意見をうるさいと思ってしまうのは、自分の意思が確立できていないから。
意思が確立できていないのは、情報が足りていないから。
このような場合は、情報収集に徹し「現状把握」に努めること。
適切な「現状把握」ができれば、その後の判断がスムーズになる。
そして、もうあんな態度は二度ととるまい、と反省しました。
ある時、叔父が突然家にやってきました。
「この間、介護施設入居って話をしていたけど、リハビリ病院っていうのがあるぞ。ここには行かないのか?」
そして、近所のリハビリ病院に行って話を聞いてきたと言い、もらってきた資料で説明をしてくれました。
リハビリ病院とは、リハビリテーションを行う専門の病院のこと。
急性期を過ぎ回復期に入ったら、この時期に集中的にリハビリテーションを行うことが、低下した能力を再び獲得するのにとても重要。
リハビリ病院は、医師を含めた専門家たちが共同でリハビリを行う、そのための環境が整った病院、とのことでした。
今母は、手術を受けた病院でリハビリを行なっている段階。
今まで相談していたソーシャルワーカーとの会話には、「リハビリ病院」は出てこなかったので、退院後の母の生活を考えるにあたり、選択肢に入っていませんでした。
前回は余裕がなく、「嗚呼うるさい!」と拒絶反応を示してしまいましたが、あれから私もちょっと大人に。
叔父から聞かれた質問には、正直に、
「リハビリ病院っていうのがあるって知らなかった。初めて聞いたから、ちょっと調べる。リハビリは重視したいから、利用できたらいいよね」
と答え、すぐに現状把握に動きました。
病院に行き、ソーシャルワーカーに「リハビリ病院」について聞いてみると、以下のことがわかりました。
リハビリが受けられる期間は原則決まっている(母の場合は180日)。
母は今「リハビリ病棟」におり、リハビリ病院と同じ環境にある。
ここの病院退院後にリハビリ病院に行ったとしても、リハビリ上限期間から考えると在院できる期間は短く、すぐに退院しなければならなくなる。
なるほど、今の状況でこの先リハビリ病院に行くメリットはあまりなさそう、ということが理解できました。
この内容は、すぐ叔父にフィードバック。
「母の負担を考えて、在院期間が短いのに転院するのはやめておく」という形で、リハビリ病院は利用しないと判断した旨を伝えました。
そして、叔父のおかげでここまで把握できた、勉強になったと感謝しました。
しばらくして、叔父が再びやってきました。
「特別養護老人ホームにはリハビリがないらしいぞ。いいのか?」
生活要全介助、失語・失行のある母は、在宅復帰は難しいと考え、退院後は「特別養護老人ホーム」入居を視野に入れていました。
介護施設には、いろいろな種類があります。
一般的には「介護老人保健施設(以下、老健)は、リハビリに取り組んで在宅復帰を目指すための施設。特別養護老人ホーム(以下、特養)は終身入居を前提にした施設」と説明されています。
種類は他にもたくさんあり、叔父から指摘された時はいろいろ見学をしている段階で、最終的には「特養」を中心に行っていました。
ですが、「特養」は「生活をする場」であり、「老健」と違ってリハビリ機能はありません。
そりゃ、リハビリを受けられるものなら受けたいけど…。
「特養」入居を考えていたものの、叔父に指摘され、判断に迷いが生じました。
「リハビリのない特養でいいんだっけ?」
この迷いを解決するには、また情報収集をしたいところですが、散々調べた上での結論が「特養」なので、ちょっと工夫が必要です。
今度は、知識やルールにとらわれず、母の立場を最優先に考えてくれる専門家の意見を聞けないものか、と考えました。
すると、父が言いました。
「母の友達に、介護施設経営者がいるよ」
あー、その人知ってる!
急いで母の携帯から連絡先を調べ、話を聞きに行く段取りをとりました。
さっそく会いに行くと、母のことを聞いて涙し、介護業界の現状と、友人としての考え方を話してくれました。
今はどこも「特養」は入居待ち状態。待機人数は数十人〜数百人というのが現状。
確かに「老健」は在宅復帰目的、「特養」は入居目的とされているが、「特養」入居待ちとして「老健」を利用するケースも多い。
母は78歳とまだ若いので、リハビリテーションを重視した方がいい。
ええ!「特養」入居待ちで「老健」利用もありなの!? 在宅復帰を目指さなくても利用できるの!? と話を聞いて驚きました。
蓋を開けると、母の友人は「特養」経営者でした。
ですが、自分の利にとらわれず、母のことを最優先に考え、「リハビリのある老健」を勧めてくれたのです。
その想いに感謝しました。
そして、「現状把握」に努めた結果、母の退院後をどうするか結論を出すことができました。
リハビリテーションを重視する。失語対策を最優先に考えたいので、言語療法士のいる「老健」にする。その後、折を見て「特養」を検討する。
「特養でいいのか」と指摘してくれた叔父に、この結論と、判断を変えた理由として、母の友人である介護施設経営者に話を聞きに行ったことを話しました。
そして、指摘してくれたから、判断を変更してこの結論が出せたと感謝しました。
外野の意見というものは、確かにうるさいのですが(失礼)、数ある指摘を「うるさい」ままで終わらせるのか、「ナイスな指摘」として受け入れるのかは、結局自分次第。
まずは、自分の意思を確立するまで考えきる。
できない場合の多くは情報が足りないていないからで、その場合は情報収集を行い「現状把握」に努める。
自分の意思が確立できると、他人の意見を素直に受け入れられ、さらに判断の質が上がる。
ここまで到達すれば、他人の意見に左右されずに、ブレない自分になり、外野の声も気にならずに、受け入れたり、右から左へ聞き流せるようになる(私の場合)。
常にこの状態を目指して、焦らずに、心の中で「わからないときは現状把握」と唱える私です。
次回は「親は突然倒れます! 『親介護・必要情報リスト』で親の現状を把握し、突然の入院・介護に困らないようにしよう」をお届けします。
(株)リクルートフロム エー、(株)リクルートに20年在籍し、副編集長・デスクとして10以上のメディアにかかわる。2012年に独立し、紙・WEBメディア設計、編集コンテンツ企画制作、クリエイティブ研修講師、クリエイティブ組織コンサルタントなどを請け負う。 国家資格キャリアコンサルタント/米国CCE,Inc. GCDF-Japanキャリアカウンセラーでもある。
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