★☆母の日の贈り物♪present♪N様今年も年に一度の母の日♬☆★
日本を始め、世界の多くの国々で「母の日は5月の第2日曜日」として広がっていますが、これはアメリカ発祥とする説が有名です。
1907年5月、アメリカ・フィラデルフィアの教会で、
アンナ・ジャービスという女性が「自分の亡き母を追悼したい」という想いから、教会の参列者にカーネーションを配りました。
アンナ・ジャービスのお母さんはアン・ジャービス。
アンは19世紀後半~20世紀初頭にかけてアメリカで活躍した社会活動家です。なぜアンナは、亡き母の追悼の思いに駆られたのでしょう。
そこに至るまでの経緯には、彼女のお母さんがアメリカ社会に与えた大きな影響が無関係ではありません。
アン・ジャービスがアンナを授かる前後、アメリカは南北戦争の真っただ中。この戦時下、アン・ジャービスは自身がもともと女性で結成していた「母の日ワーククラブ」という公衆衛生運動団体を率いて、敵味方関係なく戦争で負傷した兵士の手当てや看護を積極的に行いました。
戦後も彼女は「母の友情の日」として、まだ火種がくずぶっていた南北の敵同士を結び付けるための平和活動を行います。
彼女の活動は多くの人々の感銘を誘い、アメリカの平和に貢献しました。また、勇気づけられた女性たちが、これまで「男の仕事」であった政治に進んで参加するようになります。
アン・ジャービスの死後、そのような母の活動や功績に心を打たれた娘のアンナ・ジャービスは、母へ敬意を表すとともに追悼の意を込めて集会を開きました。
その時、亡き母が好きだった白いカーネーションを参加者に配ります。
ただし、アンナは「アン・ジャービスの日」とはしていません。
あくまで「母の日」であり、一人ひとりがお母さんの子どもとして、
お母さんに感謝をしたり敬意を払ったりする日、と定義づけたのです。
このアンナの意志や母への感謝の大切さが共感を呼び、アメリカ全土に広がっていきます。
1910年にはアンナの出身地であるウェストバージニア州の州知事が
「5月第2日曜日を母の日とする」と宣言。
さらに、1914年にはアメリカ議会によって5月の第2日曜日が正式に「母の日」と制定されました。
同時に、白いカーネーションが母の日のシンボルとして語り継がれることになります。
これが、最も有名な母の日の由来・起源です。