相模原市南区について

相模原市南区の概要

相模原市は神奈川県の北部に位置する政令指定都市です。2010年に中核都市から緑区、中央区、南区の3区で構成される政令指定都市に移行しました。

鉄道網や道路網などの地理的要因から、旧来より隣接する東京都町田市とのつながりが深い相模原市ですが、近年は相模大野駅新宿駅間を小田急小田原線で約35分、橋本駅新宿駅間を京王相模原線で約で40分と東京都新への交通の利便性が向上したことにより、東京のベッドタウンとしての性格が強くなってきています。

1954年に誕生した相模原市の当時の人口は8万374人でしたが、その13年後の1967年には20万人を超えます。1977年には40万人、1987年には50万人、2000年には60万人に達し、人口は増え続け、2017年3月1日時点で72万1099人となっています。

南区は相模原市の一番東に位置する区です。面積は市域の11.6パーセントを占め、2017年3月1日時点での人口は27万7252人で、3つの区の中で最も人口が多くなっています。市街地として発展している地域がある一方、県立相模原公園や相模原麻溝公園などの自然に触れることができる公園などもたくさんあります。西部は山が多く、東部は相模原大地の上にあり平坦な地形です。

相模原市南区の老人ホーム状況

2017年2月現在、LIFULL介護に掲載されている南区の有料老人ホームは14あり、そのうち入居金ゼロ円の料金プランを用意している施設は7施設あります。

各施設の入居金の最高額の平均は200万円弱で横浜市や川崎市の各区と比べるとだいぶ少ない数字です。入居金は高いもので1500万円、一番安いもので13万円とかなりばらつきがみられます。入居金を支払う料金プランの平均月額利用料は約22万円で、横浜市や川崎市の各区と比べると若干安くなっていますが、入居金ゼロのプランの平均月額利用料は約25万円と、こちらは横浜市や川崎市の各区と比べると、特に高い2、3の区を除いてほぼ同じくらいであまり差が見られません。

居室数は最も少ない施設で18室、最も多い施設で96室で、1施設あたりの平均居室数は51.2室となっています。

上鶴間本町について

上鶴間本町は相模大野駅の東側、国道16号線より東、境川より西の地域を指す町名です。相模原市の東端に位置し、町田市と大和市に接しています。

飛び地

町田市との境界線は境川に沿った形で引かれていました。境川は洪水の多い川で、たびたび改修工事が行われ、その都度川は形を変えていきましたが、境界線はそのまま残されるので、飛び地ができてしまうことがあります。相模原市と町田市は、飛び地解消のため協議を続け、協議がまとまった場所から境界の変更が行われています。

鶴間という地名

「鶴間」は昔から大和市、町田市を含むこの辺りの地名でした。現在も各市に「鶴間」の字を含む地名が残っています。由来は、いくつかあります。昔、この地に鶴がよくやって来て空を舞っていたことから「鶴舞(つるまい)」が転じて「鶴間」になったという説、源頼朝が富士へ鷹狩りに出かけ、その帰りにこの地で鶴が飛んでいるのを見て「鶴舞の里」と名付けたことによるという説、源義経が京都へ向かう途中、この地で鶴が舞っているのを見たことによるという説などです。

「鶴間」は1500年代後半に、相模国高座郡上鶴間村、相模国高座郡下鶴間村、武蔵国多摩郡鶴間村3つに分かれたと見られています。旧相模国高座郡上鶴間村は現在の上鶴間本町や東林間、相模大野を含む南区東部の広い地域にまたがっていました。旧相模国高座郡下鶴間村は現在の大和市のつきみ野や下鶴間を含んだ地域、旧武蔵国多摩郡鶴間村は現在の町田市の鶴間や南町田を含んだ地域にあたります。

明治時代初期、上鶴間村には養蚕のための桑畑が広がっていました。昭和に入ると養蚕業が衰退し、桑畑は野菜畑に変わっていきました。

南台について

南台は南区の中央部よりやや南に位置する町です。かつての旧相模国高座郡上鶴間村の西端が現在の南台にあたります。

米軍相模原住宅地区

南台の西隣には、面積が南台とほぼ同じくらいある米軍相模原住宅地区があります。在日アメリカ陸軍の住宅施設で、小学校や食料品店、映画館に教会など生活に必要な施設があり、住宅施設というよりもひとつの街と言えます。

1950年にアメリカ軍が旧日本陸軍電信第1連隊が使っていた土地と民間が所有していた土地を接収し、住宅専用地区として使用を開始しました。

小田急相模原駅

小田急相模原駅の開業は1938年です。当時は「相模原駅」という駅名でしたが、1941年に横浜線相模原駅が開業し、「小田急相模原駅」に改称しました。

駅北口の商店街

小田急相模原駅の北口から国立病院機構相模原病院までの全長1キロメートルの道路に長い商店街があります。

小田急線が開通した1927年は、まだ小田急相模原駅は開業しておらず、雑木林や荒地が広がっていました。その後、相模原を軍都にする計画が持ち上がり、1936年に軍関係の施設や道路が相模原に架設され始めますが、終戦を迎えるまで駅付近には数件の店舗があるだけでした。1950年頃、米軍相模原住宅地区を建設するための労働者や朝鮮戦争帰りの米兵などで人が増え、通りには多くの商店ができ始めます。高度経済成長期に入り、鶴が丘団地をはじめとした大型団地が周辺に次々と建設されます。現在の駅周辺は、ここ10年の間に商業施設を兼ねた高層マンションや駅ビルが完成し、新たな賑わいを見せています。

磯部について

磯部は南区の民部に位置する町名です。東部に米軍キャンプ座間があり、西は相模川に接しています。

磯部の史跡公園

南区磯部の南東にある史跡勝坂遺跡公園は、縄文時代の集落の雰囲気を再現した公園で、縄文時代を体験できると人気です。

勝坂遺跡は縄文時代中期前半ごろの大集落跡で、1926年に大山柏氏によってはじめて調査されました。調査が行われたのは、たった1日だけでしたが、多くの土器や人面把手、打製石斧が見つかりました。これらの土器は後に勝坂式土器と呼ばれます。この調査で注目を集めたのは、大山柏氏が多数出土した打製石斧を土掻きと考え、縄文時代に農耕が可能だったことを指摘したことです。

勝坂式土器は、1940年に考古学者山内清男によって設定された土器型式で、勝坂遺跡から出土した土器を標式としています。勝坂式土器の特徴としては、縄文式土器でありながら、その模様に縄文があまり使われていないことや、表面を立体的に装飾する「隆帯」が多用されていることがあげられます。また、人や動物などを抽象的に表現したデザインも多く見られます。

1973年に発見された集落遺跡の一部が、1974年に国の史跡として指定されました。その後、谷を隔てて近接する地区で2005年に発見された集落の一部が、2006年に追加指定されました。

史跡勝坂遺跡公園には、復元した竪穴住居が2棟と敷石住居が発掘当時の状況を再現して展示されています。竪穴住居2棟のうち一方の屋根は笹葺で、もう一方の屋根は土葺です。土葺は密閉度が高く保温性に優れていますが、湿度の高い暑い時期には向いていません。住居の中には炉があり、冬だけ使われていた住居だと考えられています。竪穴式住居の建物としての寿命は10数年と考えられており、半地下になっているため役割を終えた住居は窪地となります。この窪地はゴミ捨て場として利用されることが多く、たくさんの土器や石器が出土します。

有鹿神社

有鹿神社は本宮、奥宮、中宮の3社からなる神社です。奥宮は史跡勝坂遺跡公園のすぐ近くにあります。本宮はここから6キロメートルほど相模川沿いに南に下った神奈川県海老名市上郷にあり、中宮は本宮からほど近い、徒歩5分ほどの距離にあります。奥宮だけが本宮と中宮から離れて鎮座しています。奥宮には水の湧き出る有鹿泉があり、鳩川はこの泉を源流とし、この地域を潤してきました。縄文時代から有鹿泉は信仰の対象とされてきました。

東大沼・西大沼について

東大沼と西大沼は南区の北部にある町名です。北端を古淵駅周辺地区と接しています。

大沼の歩み

江戸時代の頃、大沼は萱が生い茂る原野でした。この頃、この地は相模国高座郡淵野辺村と武蔵国多摩郡木曽村の入会地で、1698年に木曽村から入会地の開発が願い出されます。入会地とは薪や家や道具を作るための用材、農作物の肥料、屋根を作る萱などを採取するために、村が管理所有している土地のことです。その村の村人は採取した萱を自分のために使うことができます。

1699年に淵野辺村と木曽村から移り住んだ村人たちにより新田の開発が始まります。開発当初は家も人も少なかったですが、少しずつ人が増えていきました。大沼神社はこの頃に作られたと言われています。近くに大きな沼があり大沼と呼ばれていました。

この辺りの水源は宙水と雨が降ったときに溜めた水だけだったので、たくさんの水田を作るには水が足りず、開発した農地はほとんどが畑でした。主に麦、粟、稗などが作られていましたが、収穫量は少なく、村人たちの生活は苦しかったようです。そこで、椚や楢を育てて雑木林を作り、その木々で炭を作り売り始めました。評判がよく、町田市や川崎市でよく売れたといいます。また、桑の木が植えられ、養蚕も行われるようになりました。

大沼の戦後から現在まで

太平洋戦争後は、食べ物が不足している時代でした。食糧難を乗り切るため、大沼神社の南にある沼を水田に変え、灌漑用水路が作られました。「もはや戦後ではない」という言葉も懐かしく響く1960年代になると、大沼地区にも人が増え始め、田んぼや畑は住宅地に姿を変えていきました。

1972年には住居表示が実施され、西大沼、東大沼の町名が生まれました。水はけの悪さは相変わらずで、砂利道は雨が降ると道路が水浸しになり大変でしたが、ほとんどの道路が舗装され、バス路線も増えました。

1988年には古淵駅が開業し、駅を中心に開発が進められ、現在、駅と大沼地区の間には商業施設が並び立っています。

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