老いをきっかけに、20年続けた農家をやめて人生をリセットした話

この先の老いに備えて、私たち夫婦は動き出した

「腰の調子はどぉ?」

最近、私たち夫婦の朝はこの一言から始まる。

20年余り有機野菜農家を営んできたので、お互い何度もギックリ腰を経験している。私は2年半前にすべり症と診断され、夫は軽いヘルニア状態。二人とも、重いものを持つときや長時間立ちっぱなしになるときにはコルセットが手放せない。
 
まだ元気なうちに退職を迎えるサラリーマンと違い、引き際を自分で決められる農家には高齢の方が多い。そんな先輩たちの老いていく様を幾度となく見てきた。

膝が痛いと脚を引きずっていたところ股関節から曲がってしまい、両足とも手術することになったおばちゃん。

背中がすっかり曲がって、寝るときも仰向けになれない近所のおばあちゃん。

身体が人一倍頑丈で、みんなから鉄人と呼ばれていたおじいちゃんも、80歳を過ぎた頃から急に握力が衰え、農業用水のバルブがきちんと閉められなくなってしまった。本人は気付いてないが、いつもチョロチョロと水が漏れている。

まだ若かった頃の私たちは、それが自分たちの将来の姿だとは想像すらしていなかった。頭の中は生産量を増やすことと良い野菜を作ること、ただそれだけだった。
 
老いを自分たちのこととして考え始めたきっかけは、8年前(2012年)に乳がんを患ったことだった。抗ガン剤のせいか、日に日に進行形で衰えを感じ、いつまでも体力勝負の農業はできないことに気付かされた。

20年後、いや10年後ですら、今と同じ労働なんてできる気がしない。これまでだって相当キツかった。仮に限界まで頑張ったとしても、その後には農業の後始末が控えているのだ。間に合うはずがない。

これからは老いていくことを前提とした暮らしや農業のあり方を、真剣に考えなくてはならなくなった。そして昨年(2019年)、私たちは行動に移すことにした。

これまでをリセットし、次に進むための引っ越し

最初に決めたのは、今まで住んでいた借家を出ることだった。

畑に近く、農業をするには申し分なかったが、老朽化に伴うメンテナンス費用が年々かさんでいく家に住み続ける不安は相当なもので、あとどのくらい住めるのだろう? 修理費はいくらかかるんだろう? と心配し続けるよりも、身体の動く今のうちにこの家を出ようと決断した。

そうとなれば、まず住む家を探さなくてはならない。

近くに見つかれば農業を続けることもできるが、20年も暮らしてきたこの土地のことだから、適当な物件が無いことは知っていた。犬や猫がいるので公営住宅は選択肢から外れる。

結局、家も畑も別の場所で探すことにした。

私たちでも手が届きそうな中古物件をネットで探す。最近はネットに物件情報を載せる不動産屋が増え、こんな田舎でもかなりの数がある。

農業を再開した後のことを考えると、これまで築き上げてきた取引先との関係はできるだけ維持したいので、あまり遠くない場所がいい。今の土地は冬が寒過ぎて、作りたくても作れなかった野菜があったから、少し南下したい。それに安いからといって、水回りに問題がないこと。水回りに問題があると、修繕にかなりの費用がかかってしまう。

以上が私たちの最低条件だった。

検索条件を打ち込めば候補は絞られる。何と便利な世の中になったものか。

引っ越すことを決意してからすぐ、片付けも開始した。片付けと書くのは簡単だが、なにせ20年分なので大変だ。農家だから山ほど道具類があるし、おまけに畑の後始末となれば、さすがに気が滅入る。

来る日も来る日も要るものと要らないものに分け、捨てるものをまとめていく。中には何に使うか分からないものもあって、「これは何?」「これは要る?」と、いちいち夫に聞かなくてはならない。なかなか進まない作業に、本当に終わるのかしら? と不安になったことが何度もある。
 
そんな片付けの合間、良さそうな物件を選んでは、ドライブがてら見に行った。たどり着けないほどの山奥だったり、危険過ぎる間取りだったり、極めつけは、隣がお寺で周りは墓地というのもあった。「これはボケ封じの寺なんで、いいですよ」なんて言われたけれど、絶対に嫌だ。

10件ほど見て回ったあるとき、夫が「これ、どう?」とパソコンの中に見つけたのは、林の中にかわいらしく建っている小さな家だった。一目で気に入り、すぐに見に行った。

実際に見てみると陽当たりも周囲の状況も申し分なく、他の人に先を越されまいと、その足で不動産屋に向かった。それが現在の家だ。たぶん二人の終の棲家となるに違いない。
 
移転先が決まると、片付けにも拍車がかかる。

今まで片付けは後始末のためにしているつもりだったが、実は次に進むための準備だと気がついた。これから迎える小さな家での暮らしを快適にするためにはかなりモノを減らさなくてはならないが、自分たちにとって必要か、そうでないかを選択するには良い機会だ。

「終活」や「断捨離」という言葉を何年も前から耳にするが、人生を終えるための準備じゃ遅過ぎるし、悲し過ぎる。終活の一つ前のステップに老いていくことを見据えたリセットがあれば、老後の不安も少なくなる気がする。

数回に分けて新居に荷物を運び込み、何度もゴミ焼却場に通った。軽トラの大活躍により引っ越しは無事終了した。

新しい土地で、これからの自分たちに合った「農業」を探す

移転先で私たちを待ってくれていたのは草刈りだった。

伸びに伸びたカラスノエンドウが、見ないふりをしても目に入ってくる。蒸し暑い中、コルセットをして草刈りをする。草木が生い茂って林のように見えた場所は、実は庭だった。さまざまな木が植えてあり、ミモザやムクゲなど、花を楽しむのもあれば、実のなる果樹もある。この秋には干し柿を作った。

夫は密植し過ぎな木を減らそうと、チェーンソーを買った。「腰が痛いのに、何でこんなことを……」とブツブツ言いながらも楽しそうに見える。

私は、いつかこの庭をキッチンガーデンにしたいと思っている。

アーティチョークは陽当たりの良い場所に。場所を取るルバーブは少し広いこの辺。ワイルドストロベリーは毎年株分けして増やしていこう。などと考えながらワクワクしてる。

一方、本業の農業はまだ再開できていない。

とりあえず、ここの土壌や気候を知るために近所に小さな畑を借り、いくつかの野菜を植えてはみたものの、土がとても固く、小石も多い。以前の畑はクワでも楽々耕せるような黒土で、農業用水も完備されていたが、ここには水も無い。

その上、夜になるとイノシシやシカが出没する。獣除けにポールを立て、腰丈くらいのネットを張ってみると、イノシシには効果があったが、シカはこのくらいじゃヒョイと飛び越えるらしい。翌朝見に行くとレタスは踏みつけられ、ビーツは食い荒らされていた。

でも、悪いことばかりでもない。

以前の場所では寒過ぎて作りにくかったものがここならできるかもしれない。土が固いなら改良したり、地上で育つものを作ったりすれば良い。野菜だけにこだわらなければ、果樹だって考えられる。

ここの風土に逆らわず、自分たちの年齢に見合った農業を見つけるのには、もう少し時間がかかりそうだ。

10年後でもできることを楽しむ

引っ越ししてからしばらくは農業収入が見込めず、生活が立ち行かなくなるかと心配したが、思っていたほどではなかった。引っ越しを決めたときから夫はバイトを始めてくれていたし、種苗費や資材費など、農業にかかる支出がほとんど無くなったのが大きかった。新聞や、怪しい勧誘の電話ばかりかかってくる固定電話も、これを機に止めた。夏は暑く冬は寒かった前の家よりも、光熱費は抑えられている。

私はというと、あまりブログは更新できていないが、ありがたいことに寄稿の依頼がポロポロと舞い込んでくる。トータルすれば主婦がパートで得るくらいの収入にはなっている。
 
年金の不確実性が増し、老後に必要な資金は2000万円とも3000万円ともいわれている。そんなものは到底無理だと、諦めている人も多いだろう。

私たちもその口なので老後に不安が無いわけではない。しかし若い頃から田舎で過ごし、間もなく迎えるであろう老後は、テレビなどでマイナスのイメージで報じられることが多い一般的な老後とは、少し違うと感じる。

毎日畑で見かける人が2、3日家から出てこなければ、誰かが「○○ちゃん、どしたん?」と声を掛けてくれる。孤独死も無いわけではないが、死後ずいぶん経って発見されるような悲しい死を迎える可能性はかなり低いだろう。お金には代えられないメリットだと思う。
 
今回の決断が正解だったかどうかは、まだ分からない。

ただ確実に言えるのは、人間は必ず老いていく。それは誰にも避けることのできない現実だ。今までできたことができなくなり、行動が制限されてくる。できないことが増えてくると、その焦りが一層不安を掻き立てる。

老いてからでは遅過ぎる。

だからこそ、10年後にできないことは潔く諦めよう。一旦リセットして10年後でもできることを探し、いっそ楽しんでしまおうと、私たちは考えた。

私は今この場所で、毎日をご機嫌に過ごしている。

 編集:はてな編集部

※2020年1月29日11:00ごろ、記事の一部を修正しました。ご指摘ありがとうございました。

ホマレ姉さん
ホマレ姉さん

1997年に岡山県で新規就農、野菜農家のホマレ姉さんです。オシャレなレシピから初心者でも簡単なレシピまで、野菜を中心とした料理ブログを書いています。「作りたくなる料理ブログNo.1」を目指して奮闘中です。

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